私は何だったのだ

とある海外の翻訳会社からフォローアップなる通知が来た。
訳文の品質保証と銘打って登録翻訳者の整理をするという。
ついては添付のプログラムに参加するように、と読めた(英語)。
確か書き出しには取引を継続したい旨があったのだが……。
そのプログラムとやらの第一段階として、履歴書の登録が案内されていた。
まぁそのぐらいならどこの翻訳会社でも普通にやっているし、
むしろ今まで(既に数件受注)要求がなかったほうが不思議なくらいだ。
ところが、その履歴書を送付する時点で第一次スクリーニング=足切りに遭うことが判明。
履歴書を送付する資格要件として、通訳・翻訳専門の学位があれば実務経験4年以上、
それ以外の学位であれば実務経験7年以上とあるのだ。
自慢ではないが、私はどちらの要件も満たしていない。
プログラム参加資格がそもそもないではないか。
この基準を満たしていない私が過去やった数件って、会社の責任のもとにちゃんと納品されたのか心配。
引き合いどころか報酬の入金に至っても素性を全く確認されなかったのは私の非だろうか。
でも明らかに私は基準外だ。
逆恨みだったり義憤だったりといった感情はない。
ただ、その素晴らしい矛盾がどう解決できるのか疑問だ。
私のような馬の骨への発注自体が件数として無視できるならばよいが、実際のところどうなのかが他人事ながら非常に気になる。
・下請け総数が激減して困らないか?
・過去の馬の骨の始末は誰かやったのか?
そして、私はどうしたらよいのだろう。
ここは真正直に削除を依頼するのが人間として筋か。
事情を説明する気もできる自信もないが。

想定外

前日もらった仕事が2本もあったので、朝からとっとと帰るつもりでいた。
打ち合わせをこなし、調べものも一応おしまい。
さてハードディスクの掃除でもしようかと思った矢先。
「おともだちから電話だよ~ん」
……おともだち?
出てみるとS先生だった。
「先週もらった数表にいくつか変数の追加をしてほしくって……」
そこまではよかった。
変数は問題なく追加できて、結果もちゃんと書き出した。
しかし容量が大きすぎてメールでは送れそうにない。
分割する旨とその方法を伝えようと受話器を取ったのだが。
何回かけても出ない。
待っているうち予定より2時間も遅くなってしまった。
諦めてメールに伝えたかった内容を書き込み、送信ボタンを押す。
が。送信しきれない。
これまた10分たっても画面が変わらない。
重いから遅いのかな、それにしてももうそろそろ……と思っていると、落ちた。
「サーバーが応答しません」
人のせいならともかく、何で機械のせいで残業せないかんのじゃ。
数分後(ちゃんと送信できれば意外と早かった)。
近くの席の人に「私もう帰りますから」と声をかけ、端末の電源を落とす。
やれやれ、と上着を羽織ったが早いか
「おともだちから電話~」
振り出しに戻る。

ご指名

一番つきあいのある翻訳会社から引き合いが入った。
そのメール本文そのものが泣かせる。
”クライアントの方からも好評を頂きました。
 「大変分かりやすい訳で、満足しています。」”
そのクライアントから似たような依頼内容が来たため私にやってほしい、とのこと。
何よりうれしい言葉のひとつである。
その返信でもちろん引き受けた訳だが、折角のお言葉には感想として「光栄です」と付けた。
何のひねりもなく光栄という言葉が出せた自分に少し驚く。
いつも尊大と自己否定の狭間でゆらめいている私が、素直に光栄だと思ったというのが実は一番の収穫かもしれない。

こっちもおかわり

午前から打合せが4件あった。
最初の打合せは偉い人だらけの課会。私はもぐりで兼務している。
お昼休みに取引先との進捗確認。
午後すぐから正式な所属先のチーム会。
そのあと上半期の振り返りと下半期の業務内容確認。
最初の打合せにて。
偉い人F「このデータベースの一部集計とかって運用会社の人に頼んでいいの?」
偉い人A「だめですよ、運用しかお願いしてないんだから」
偉い人F「ぢゃ誰に頼むもの?」
偉い?人S「操作権限はうちにあるんですけどね」
偉い人Y「権限って何か資格とか関係してたっけ?」
偉い?人T「いや別にないですよ。でもよくわかんなかったりして」
偉い人F「だったら分かる人に権限あげたら?」
一同「……あ。」
偉い人Y「……(私のほうを見て)やる?」
私「喜んで」
扱えるデータの種類が増えるのは個人的にうれしい。
会社への貢献とかいう殊勝なものではなく、好奇心である。
最後の面談にて。
上司「ごめんね~、業務追加になっちゃったから振り返りだけ今やるわ」
私「今朝のあれですか?」
上司「それも、まぁあるけど。もろもろ他にも要望があって」
上半期の査定提示。
上司「どう?思ったより……」
私「全く期待してませんでしたので」
個人事業との兼ね合いがあり、昇給も賞与も本気で嬉しくなかった。
上司「何でまた」
私「これといって結果を出したりもしてませんし」
上司「ま、そのへんは会社と個人の認識ギャップかね。
   そういうわけで仕事はこれからまだ増えるし」
期待していいよ、と言われたが、やっぱり嬉しくない。
足を洗いにくくなるから。
短期的には会社仕事も多いほうがありがたいのだが、一方であまり必要な人材になりたくないという本音もある。
自分の願望同士が矛盾している。

折りたたんで、ありがとう

静岡で大道芸ワールドカップなるものを見ていた。
ワールドカップというだけに、外国人選手?も結構いる。
各人の演技は言葉の壁など無関係に面白かった。
ただ、私の興味を引いたのはその後である。
大道芸には投げ銭がつきものらしい。
各演技の終了時には必ず「投げ銭タイム」があり、
演者が自ら集めたり、ボランティアスタッフが手伝ったりする。
無言でも笑顔で空のトランクを差し出せば結構な額になるのだが、
わざわざ日本語をがんばってくれる縁者が素敵だ。
「明日、帰るのね。軽いの、うれしい」
「お気持ち、何でも、大歓迎。光るのも、たたむのも」
片言なのだがたどたどしいというよりリズムがいい。
とある中国人の演者さんに千円札を畳まないで渡してみた。
「ああ、折りたたんで、ありがとうございます」
振る舞いからするに、彼は畳めとは言っていない。
たたんだもの=たためるもの=紙=紙幣、を指している。
「いっぱい、たたんで、おありがとうございます」発言さえあった。
無論、くしゃくしゃに畳めばいいわけではない。