この時代の読む力

世間では「リテラシー」とか「情報リテラシー」とか呼ばれる能力がある。
横文字が嫌いなので言い換え表現を見つけたいところだが、仮に「読む力」としてみよう。
とほく昭和のおほん時には、「読む力」は「書いてあることを誤解なく読み取る力」だった気がする。
それが誰でもこうして発言を公表できるこのご時世でも同じように通用するだろうか?
誰もが好きに文を書き殴り、そのまま晒している状態では、目に見える文意が事実とは限らない。
Wikipediaの記述を丸呑みして論文に引用することの是非はよく論じられているが、他の場合でも全く同じことが起きている。
新聞だって誤報だったり意図的な編集による偏りがついていたりする。
それ自体は何紙分か並べてみれば何となく理解することはできるだろうが、一般にそんな暇があるだろうか?

人の発言が本当、事実、真実であるとは限らない。

ある意味では常識かもしれないが、それは本当なのだろうか。
情報の整理、取捨選択、時には実用上の妥協点を探る作業までができて「読む」ことができたことになる。
家庭、学校、(身の回りの)社会のいずれでも教わる機会はなかった気がするのだが、求められている気もする。
情報を「読む力」は実は、その情報そのものを「読む力」ではないのだろうと思えてならない。
一昔前に流行った「空気」、もう少し伝統的に言うところの「行間」を「読む」必要性を感じる。
何ともせちがらいことだ。

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このページは、よめが2009年12月17日 16:20に書いたブログ記事です。

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