書き入れ時は唐突にやってくる

先週、副業でお世話になっている会社の関係者から引き合いがあった。
ここ数年やっている某社の定期アンケートについて。
作業量こそ具体的な数字があったが、例に倣って?報酬は「去年の同社と同等で」である。
それで引き受けてしまう私も私なのだが、後で調べないといくらだか把握できていない。


去年までは終日そちらの作業に没頭できたのだが、今回はそうはいかない。
毎朝やってくる朝刊翻訳は急に休めないので、朝はそちらに集中せざるを得ないのだ。
こういうとき、時間の拘束が痛いと感じる。
嘆いていても仕方ないので、暇を潰しつつ原稿を待っては片付ける。


幸い、ダンナに余裕があるようで家事をしてもらえることになった。
買い物も夕飯の支度もお任せ。ありがたいことだ。
半端に手出し口出しするよりは完全に任せた方が彼も楽だとのこと。


これなら午後の時間をまるまる使えるぞ!と思っていると。
ついったーで初めて中文和訳の引き合いが来た。
原稿を見た上でこちらが条件面を提示できるという話だったので一安心。
素直に今週は稼働できない旨を伝えたが、問題ないとのこと。


とか何とかやりとりをしていると、なじみの翻訳会社から定期案件が来た。
こちらは定期と言っても毎月あるとしか分かっていないのだが、ご指名なのは分かっている。
客先からの評判がいいとまで言われているので、急ぎでも忙しくても断れない。
副業に本業が割り込むという奇妙な事態に陥りながら、どうにか訳文を提出した。


とまあバタバタしているが、実はよくあることだったりする。
どういうわけか、S社に仕事をもらうと、その後しばらく本業が繁盛するのだ。
何かの本に「運気を上げるには強い人と付き合え」とあったが、こういうことだろうか。

誤解のないように

実務翻訳では、一部の分野を除き「誤読を招かないこと」という原則がある。
習ったことがあるわけではないので、不文律かもしれないが。
(文芸や広告など、ダジャレや複数の含意を持たせた原文の場合は例外)
まあ文章の目的として、通知事項をまっすぐに伝える(曲解させない)のは当然といえば当然だ。
当然なのだが、日常で読み書きする文にも適用するのは案外と難しい。
このブログしかり、ついったーしかり。
他意があるようには見られたくないので、そう見えないように腐心しているつもりなのだが。
感想のつもりで添えた一言が本文をさしおいて一人歩きしてしまったり、議論?の元になったり。
自分が播いた種ならば収集のつけようもあるのだが、他人発となると始末が悪い。
冗談が冗談を呼んで、いつの間にやら私が一部でアイドル化してしまった(らしい)。
ノリのいい、軽口を叩ける人々は好きなのだが、…、これには些か疲れた。
私(のID)として扱われている対象が、どこまで私本人を指しているものなのか分からない。
アイドル化したコレはどこまで私なのだろうか、皆さん何を見て会話しているのだろうか?
初めは軽くほいほいとつられて遊んでいたが、ふと「誰かに失礼では?」と思うと何も書けなくなった。
勉強会の前日に飲み会をしましょう、という本来の主旨に集まった人、不快ではなかろうか。
一方で、私にアイドル的な何かを期待してくれた人に失望を与えずに済むだろうか。
もう少し大人にならないと、うまく立ち回れないようだ。

分業と家事分担

親に怒られそうだが、我が家には主婦がいない。
お互いに自由業で終日在宅なので、家事は「やれるほうがやる」ことになっている。
とは言え食事の支度は私、片付けはダンナというところはほぼ決まっているが。
実際「やれるほうがやる」運用になっているのは、ゴミ出しと買い物である。
前者は回収車が来る前に起きている方がやる、というだけで特に問題ない。
少し工夫が要るのは後者、買い物の要件整理である。

要件整理なんて大げさだと思われる向きもあるだろうが、他人に頼むには引き継ぎが重要である。
私が行く時は、向こう数日分の主菜を覚えておくだけで何とかなる。
主菜に必要なもの、冷蔵庫の在庫、食材の使い回しがひととおり把握できているからだ。
一方、ダンナに頼む場合は上記情報を可視化しないと買い物に過不足が生じてしまう。
決して彼が悪いのではない。日常の管理者が私である以上は、私が引き継ぎをして当然なのだ。
買い足すべき品物だけを整理して「買い物リスト」にまとめる。
購入先が分かれる場合は、お店ごとにまとめて書く。
それに加えて、量り売りの品物は目安量も書くべきだという教訓が得られた。
明文化するほど、まとめるほど、どこかの工場っぽくなっていく、我が家の冷蔵庫。
#冷蔵庫にホワイトボードを貼ってあれこれ書き込んでいる

めずらしいいきもの

最近どうしたことか、私を師匠と呼ぶ目上の方が増えてきて面食らっている。
所詮ついったー上の話なので、そういうネタなのかなと流したり受けたりして遊んでいるが。
・いつでもいる←やや依存症気味
・発言に刺激を受ける←ちょっと好き勝手に言いすぎ?
・和む←こま(写真)の功績
・書き込み(特に反応)が早い←あまり考えずに書いている
・会って話すと縁起がよい←これは当人も(相手から運を頂いていると)感じる
……ここまで並べると、どんな珍しい動物なんだ自分、と思ってしまう。
まあ好きでやっていることなので、ついでに誰か一人でもいい気分にできるなら幸いだとは思う。
私だって皆さんがいるから顔を出していて楽しいので。

おともだちができたね

今日は、ついったーでよく話をしている同業の方々と昼食を楽しんできた。
男性2人と、女性が私のほか1人で総勢4人。
年齢は恐らく私が一番下だったと思う。
平日の昼間に集まれるのは自由業の醍醐味。
顔を合わせるのは初めてだったが、誰もそんな感じがしない。
特に自己紹介をすることもなく、いつもの話題の延長線上にある話やら相場の話やら。
家庭環境が全員バラバラで、日常の話だけでもかなり興味深く面白かった。
オフライン(非公開)でしか言えない話も勿論たくさんあった。
決して第三者の悪口や中傷ではないが、「大人の事情」で外には出しがたい内容。
共通の知り合いがいたり、似たような仕事上の苦労があったりと、話題は事欠かなかった。
話が合うせいか、女性ばかりがまくしたてるということもなく、男性が黙り込むこともない。
ごくテンポよく気分よく、箸も会話も進む。
アルコール抜きで盛り上がれるのは東京に限らないらしい。
正午に入ったはずの料理店を出たのは午後3時だった。
中華のオーダーバイキングという業態のせいかコーヒーの類がなかったので、喫茶店を探すことに。
夏休みとあって街はごった返していたが、幸い地上4F地下1Fという大きなドトールにありついたので着席。
JTF(日本翻訳連盟)やらJAT(日本翻訳者協会)やら、同業の集まる組織は複数あるが、
話を聞いていると、どうも個人翻訳者にとってはJTFよりJATのほうがとっつきやすいらしい。
JAT主催の勉強会、PROJECT Tokyo 2010も面白そうだ。
名前の通り会場が東京なので参加をためらっていたが、申し込んでしまった。
かなり規模が大きいとのこと。250人ほど集めた実績があると聞き、より興味が出た。
参加ついでに東京の同業仲間と集まろうか、などなど画策中。


帰宅後、「大阪で友達ができるとは」との一言を発見。
確かに、皆さんが仲間であって友達な感じがする。
私は昔から人間関係が苦手で、なかなか友達と呼べる相手がいなかったが、そうは見えないとのこと。
だいぶ積極的で陽気な人柄になってきたらしい。
ありがたいことだ。

こまのお客さん

先日こまを預かってくれた方が、こまの顔を見にいらした。
いつでも遊びに来てください、とは言っていたものの、お互いに間が合わず今に至る。
ちょうど中国から取り寄せたエコバッグが届いたので、引き取りがてらいかが?と声をかけていたのだ。
去年まで来客など数えるほどもなかった我が家に、今は遊びに来てくれる人が二人はいる。私の客人か、こまの客人かは分からないが。
預けている間は遊んでもらったりもしていたくせに、どうも誰かさんは覚えていない様子。
赤の他人を見るような顔こそしなかったが、しばらく彼女に近づかなかった。
まるでべったり懐いているかのように、私の肩を離れない。いつもなら、部屋中をさんざん飛び回っているところなのだが。
それならそれで、と例のエコバッグを取り出すと、何かのスイッチが入ったらしい。
そそくさと肩を降りて、バッグに乗り移った。しかもエコバッグではなく客人の鞄。
私は慌てて追い払おうとしたが、彼女は全く意に介さず、笑顔でカメラを取り出した。
「一応こっちから見張っておきますが、革の部品はかじられないように気をつけてください」
「いえいえ大丈夫です、昔ユニクロで買った鞄なんで」
…大丈夫の意味がこちらの意図と違う。
見る間にこまは好き勝手にちょこちょこ走ったり飛んだりと暴れだし、ますます手乗りらしくなくなってきた。
全く接客らしいことをしてくれず、私は困っていたのだが。
小桜インコを飼っていない彼女は、それを眺めるだけで満足なのだという。
「うちの子、全然こういう遊び方をしてくれなくって。必ず相手してやらないと怒るから、眺めていられないんです」とのこと。
「こんな有り様で良かったら、懲りずにまた来てやってくださいね」と返事するのがやっとだった。

談話と議論とついったー(と部屋とワイシャツと私)

日本人は議論が下手だ、とよく言われる。
「ちゃんとした場」を与えられればそれなりに発言するが、普段はモノを言わないからか。
ついったーは、何気ない会話が広がって、議論やら口論やらに発展することが多い。
どうすべきだというルールがない(成立しない)世界だからそれ自体は構わないのだが。
議論をふっかけたつもりでない発言をつかまえられて論駁されると困惑する。
こうなってしまうと、反論=逆らった、別の話題=逃げた、となり、何をしても逆効果。
しかも相手は自分が感情的になっていることに気づいていない(としか見えない言動ばかりする)。
ついったーから学べること、学びたいことは多いし、その対象としたい人々もたくさんいる。
でも私は家庭教師が欲しいわけでもなければ、坊さんの説教を聞きたいわけでもないのだ。
皆さんにそんな個人的態度をいちいち把握してくれとは思わないが、気づかないのかなぁ。
見えている画面が違うと読める空気も違うのだろうか。
気にしても仕方ないことだけは習得しているので、そっとフォローを外すなど。

オフな一日

東京滞在の最終日。私にしては珍しく、チェックアウト以降にネットを見ることが全くなかった。
メールのやりとりはしていたので、ネットを利用しなかったわけではないが。
時間差で5人もの鳥好きさんと会い、たくさん歓談してきた。


チェックアウト時刻ぎりぎりに宿を出て、待ち合わせ場所である浅草へ。
当初そこで会う予定があったのは2人だったが、もう2人に会えることになった。
浅草に行く用事があるのでお昼でも、と声を掛けてくれたのだ。
群青色の七分袖にキバタン柄の白いTシャツという、実に分かりやすいいでたちが功を奏した。
地下鉄の駅を出るや、「あっ、ふるかわさーん!」と声がかかる。
人なつこい笑顔を浮かべた奥さんが、ついったーでの知り合い。
ご主人もインコ好きとのことだが、どうしても奥さんとばかり話してしまい、ご主人と話す機会はあまりなかった。
ご夫婦は浅草寺の「ほうづき市」に行かれるとのことなので、もう二人には携帯メールで連絡しつつ同行してみることに。
週末と縁日が重なったとは言え、通勤電車のごとき人の群れがひたすら続いており驚いた。
どうにかお参りを済ませ、ご夫婦がほうづき市へ、というところで「駅に着いたよ」メールが。
私はホオズキに用事がないので山門前で待っていることにして、ご夫婦を見送った。


しばらくして、人混みにうなされながら別の鳥好きさんが登場。
「お昼の場所に行っておいていいですよ」とメールが来たので、まずは2人で飲食店を物色。
さてここにするかな、と思ったところで「気分が悪くなったので、おとなしく帰ります」とのメール。
つわり中の奥さんは大変だねぇと話しながら、まずは蕎麦屋に入った。
見知らぬおじいさん達と相席。もう1人がいつ来るかねぇなどと話しつつ蕎麦をすする。
席にありつくまで時間がかかったこともあり、食べ終えて店を出たあたりで「駅に着いたよ」メールが来た。
ちょうどお品書きに店の略地図があったので、撮影して「ここです」とメール。
メールだけでは自信がないのか、しばらくして電話があった…と思ったら目の前に相手が。
落ち着いて話せる喫茶店なり甘味処なりをどれくらい探し歩いたことだろう。
昔ながらの喫茶店で空席を見つけたが、3人で入るには微妙に狭い。
よそに行こうかと諦めていたところ、店内から声がかかった。
小さいテーブルをパズルのように寄せ合わせて席を作ってくれたのだ。
一人が柱と向き合ってしまう配置だったが、座れるだけありがたいと入店。
持って行くと約束していた本を披露すると、その内容が話題の中心になった。
鳥籠の鑑賞、インコ中国画の画法、スズメ中国画の画法。
いずれも私が中国から取り寄せた本なので、物珍しいというのはあったのだろう。
また、写真や図例が豊富な本だったので、特に訳して聞かせる必要もなかった。
2人とも、私とは目の付け所が違っていて、出てきた感想が面白い。
「この作者はコンゴウインコがひいきだよね」
「このスズメ、何があってこんな口なんだろう」
「何だか高いと思ったら、鳥籠なのに象牙?」…などなど。
一方で、出てきたおやつもそれぞれ想像とずれがあり、なかなか盛り上がった。
ミルクかき氷のミルクがかかっていない。ピッチャーに少しだけコーヒーフレッシュが注がれている。
ヨーグルトドリンクがストローで吸えないほどドロドロで味が濃い。
プリンを頼んだら品切れで、半強制的にコーヒーゼリーに変更…などなど。
品物がなかなか出てこないのは苦にならなかった。
むしろ待っている間は堂々と本を広げられる。


ひととおり回覧が終わり、おやつも食べ終えたところで喫茶店から退却。
駅で1人と別れ、2人で上野のこんぱまるへ行った。
大型インコの絶叫にまみれながら、店内の珍しいインコ達をぐるりと見回す。
キキョウインコもかわいいが、サザナミインコも捨てがたい。そしてこの色は云々。
お店の人に頼めば籠から出してもらうこともできたが、情が移りそうなので自粛した。
ふと気づいたら次の待ち合わせが迫っていたので、一足お先にと声を掛けてお店を出る。


浜松町に現れてくれたのは、掛川花鳥園でご一緒したことのある方だった。
花鳥園に行っていたときは、総勢18名という大人数だったこともあってほとんど話せていない。
どんなインコ話をしようかと思っていたのだが、存外お仕事の話が興味深く、そちらにはまってしまった。
インコつながりで知り合った皆さんは確かに職業がばらばらであるが、仕事の話はまずしない。
しかし御法度というわけでもないらしく、尋ねたら「堅い仕事ですよ~」と笑顔で仕事用の名刺をくれた。
仕事内容を聞いてみると、通訳や翻訳の発注側、かつ決裁権限のある方だったのでびっくり。
どういう訳文、態度が「使えない」と判断されるのか教えてもらえて、非常に勉強になった。
幸か不幸か、中国語の需要がありそうな職場ではないようだったが。
意外にも能力より態度のほうが客先に与える印象は強いらしい。
もっとも、きちんと仕事をしようという態度を貫くには、それなりの力も必要な気はするが。


もっとお話を聞きたかったし、結局インコ話がほとんどできなかったのだが、時間切れ。
搭乗時刻まで1時間半を切ってしまったので、手土産を渡して駅で別れた。
いつもなら東京滞在の最終日は空港で時間を余らせている。
PCを託送荷物から取り出し、保安検査場を通ってからカードラウンジでネットを見るのが常だった。
それが今回は、空港に着いたときにはPCを取り出す気も起きないような時間。
そのまま託送を依頼し、貴重品だけ持って保安検査場に進んだ。
手土産と夕食用のパンを買っただけで、もう離陸30分前だった。

素敵な会食

日中はブックフェアの後、三鷹へ行ってお茶の商談をしてきた。
ついに雨が降り出したので駅コンビニで傘を購入。
次の約束は渋谷で夕食なのだが、時間が半端にあって少し困った。
宿に戻ってブックフェアの収穫物を置いてくるのも面倒だし、雨の中それほど歩きたくもない。
いっそ渋谷で降りて時間を潰すか、と思い立ったまではよかった。
会食場所の地図を自分で印刷して持っていたのだが、これが役に立たなかったのだ。
駅徒歩7分のはずの目的地を探すこと70分!
そもそも地図に歩道橋や地下道の記載がなかったため、最寄り出口を間違えたのが運の尽き。
苦労はしたが何とか場所は理解したので、いよいよ?駅前に戻って時間を潰すことにした。
最初はマンガ喫茶にでも入ってだらだらしておこうかと思っていたのだが、ふと献血ルームが視界に入ったのでそちらに変更。
無料で好きなだけ滞在できる清潔な空間!しかも精密な血液検査がついてくる!(本末転倒)
採血後、温かいお茶を飲みつつ、今朝もらってきたガイドブックを読んで休憩。
ほどよい時間になったので、お店にゆっくりと移動した。

お店の入口で出迎えてくれたのは、なんと店員さんではなく待ち合わせの相手。
雨だからとハンドタオルを貸してくれた。
しばらくしてもう一人の待ち合わせ相手も到着し、シェフに呼ばれて予約席へ。
三人とも、品数が少ないコースを注文した。
選択肢はメインの肉か魚、スープの温製か冷製、食後のコーヒーか紅茶か。
面白いほどばらばらになった。
最初に飲み物の注文を聞かれたが、献血直後なのでワインを断念。
私に合わせてくれたのか、二人も飲み物を注文しなかった。
前菜が出るより早く、歓談開始。
一人が英日と独日のフリーランス翻訳者、もう一人が翻訳会社でチェッカーをしている半分フリーランス翻訳者。
その二人が取引関係にあったりと、自己紹介からなかなか面白い展開に。
意外と仕事そのものの話はあまり出なかった。
むしろ、ついったー(の使い方)論の方に花が咲いていたのではと思う。
目にする誤訳や誤字が気になる「職業病」の話でひとしきり盛り上がった。
やっぱり自分だけではないのね、と嬉しい、と感じるのも奇妙なのだが。
三人で一致したのは、「ついったーって嬉しいよね」ということだった。
在宅翻訳者などは職場がないので孤独になりがちだが、ついったーという場のおかげで寂しくはない。
それに、特定の団体に所属する訳ではないので、堅苦しいこともない。
気に入った人のつぶやきを読んで、好きなように返答して、気が向いたものにだけ返事。
そういう行いが普通であり、失礼にならない気楽さ。
でも意外と前向きで志のある人が常連の仲間になっていく。
以前JTFのイベントで出会った人々(一名のみ例外)と比べ、より親近感がある。
お冷やだけで三人がほろ酔い同然の上機嫌というすばらしい会だった。
料理については知識がないので記述できない(苦笑)が、どれもあっさりとして美味しかった。

雨は降れどもブックフェア

天気予報では雨、ホテルを出た時点で、降り出す直前のような湿気を感じる重い空。
できるだけ荷物は作りたくないので、傘を買うことなく電車に乗った。
平日の10時台だというのに、りんかい線は信じがたいほどの満員運行。
中学生用の定期券を首から提げた女の子が東京テレポートで降りていった。
今や大人が有給休暇を取るより気軽に子供が学校を休んでしまうのか?
同様に降りていく子供が数人。そのこと自体は問題でもないが、電車が全く空かないのでつらい。


今回の東京滞在の主目的は、東京国際ブックフェアの視察(?)である。
人混みに揉まれつつ国際展示場に着いたが、ブックフェアをのものは去年よりむしろ空いていた。
他の展示会が2-3件あったので、乗車人数がふくれあがっていたらしい。
受付登録をしようとして、手元の招待券が一般公開日専用のものであることに気づく。
むざむざ交通費だけ負担して見ずに帰るのも癪なので、自分に珍しく主催者スタッフに問い合わせてみた。
「本当は違うんですよ」とか言いながら業者用の登録欄つき招待券を出してくれた彼のせいではないが、最初からこれを送ってくれるはずだったのにと気分は晴れない。
業者用の招待券には登録欄があり、職業を選んで名刺を貼り付けることになっている。
その職業一覧に、ちゃんと翻訳業があるのだ。(記載は「作家・翻訳家」なのだが)
翻訳して面白そうな原書がないか探すので、大義名分は十分だと思っている。
が、去年は中国ブースが事実上なかった。
書籍の展示もなければ担当者も見あたらない、空っぽの棚と看板があるだけだったのだ。

何があったのかは分からないが、今年も同様でないことを祈りつつ入場。
今年はちゃんと?出版社がいくつか集まって、書籍の展示と商談会をしていた。
若い女性スタッフが応対してくれたのだが、向こうの人らしかったので日中ちゃんぽんで会話。
展示されていた書籍が伝統文化やら地図やら「中国の資料」といった感じのものばかりだったので、企業経営の本があるかと聞いてみたら「没有(ないよ)」。
次に目に付いた茶芸の本がなかなかよかったので値段を聞いたら「45元だから、13掛けて…」違うだろ。
ブックフェア価格が必ずしも安くないのは問題ないとして、日本円で値札を用意していない。
値段が定義されていないので、その本そのものの担当者がいないと売ることもできないのだ。
これには些か閉口したが、まあ中国なので致し方ないのだろう。

そんなわけで、今年も翻訳対象書籍の獲得という目的は達成できなかった。
とは言え、せっかく来た本の祭典なのだから、よそも見て回りたい。
非営利事業の啓蒙パンフレットから定価の書かれたグルメガイドまで、色々なものが「お持ち帰り自由」。
近年の学校用教科書を覗いて感心したりと、おまけは十分に楽しめた。
唯一ながらたまらなく厭だったのは、宗教系出版社の大音量CM。
同列にいた台湾企業を覗きたかったのだが、気持ち悪くなって退場してしまった。
ブックフェアも民間企業主催だから場所代さえ払えば出展させるのだろうが、あれはひどい。