なるほど

さる方から唐突に頂いた『ニュー・アース』読了。
この本の感想文を書くほど愚かしい(著書の意図に反する)行為もないかと思うが。
なるほど。
考えればいいってもんじゃないのね。
思考停止か。
そうね。

下さった方に失礼でないといいが、真剣に読んで実際に感じたことは以上である。
どうも思考停止という言葉を意識しすぎていたらしい。
思考を停止したら精神活動が止まってしまうではないか、と身構えているところがあった。
しかしよくよく考えてみると、いや考えなくとも、止まるぐらいなら気苦労なんてものはないはず。
むしろ意識的に止める時間があっていいのだ。
ただし、無自覚に勝手に止まる、ではなく、意識的に止める、でないと杞憂が現実化しそうだが。
ごく単純に今を生きるということが実はできていなかったのかもしれない。
確かに整理してみるとくだらないほどの過去にだいぶ拘泥していた気はする。
でもそれはそれでいいのだ。
拘泥していたのも整理したのも過去だから。
少しは自分なるものを許せる気がした。
まだまだ分かってもいないのだろうが、多分それはそれでいいのだ。

無題

あの日から、ついったーには半端な優しさと安易な怒りが飛び交っている。
誰が悪いというわけでもないが、ゆえにもどかしく苦しい。
恐らく自分の悪さ弱さがそこに透けて見えるから、気分が悪くなるのだ。
一種の同族嫌悪みたいなものか。
それでも「人」との接触を断ちたくないという気持ちが捨てきれず、
こちらに書いたりそちらを覗いたりという日々が続いている。
見まごうかたなき個人の日記であるここでさえ、書くのを自粛している項目は多い。
まがりなりにも公開される文書である以上、書くべきでないこと。
特定の読者を意識して、書くのを控えること。
逆に、敢えて特定の読者を想定して書いていることもある。
そんなことして何かの役に立つのか、気持ちが伝わっているかは全く分からない。
伝えようとしている/したという自己満足しか生まないだろうか。
自己満足だけでも、あるだけまし。
さしあたって自分の見ている方向が前だろうから。

薄情者の孤独

母から「もう心配ないから気にせず暮らして」とだめ押しされた。
納得できる材料も一応あるので、実家を気にかけつつも日常に戻ろうとは思っている。
仕事が来れば処理するし、手離れすれば本を読んで過ごす。
ここまでは通常どおり。
いかんせん、自分だけではどうしようもないことが意外なところにもあった。
ついったーに戻れない。
技術的には接続できるが、参加できる場も話題もないのだ。
災害情報やそれにまつわる意見ばかりで見える世界の七割ほどが埋まっており、
他愛もない普通のつぶやきができそうにない。
優しい人を更に傷つけるのも、義憤に満ちている人を刺激してしまうのも御免だ。
結局、いつも数分で見るに堪えなくなり画面を閉じてしまっている。
しかし寂しい。
さぞや身勝手で不謹慎なのだろうとは思うが、寂しいものは寂しい。
こういう時こそ、利害のない普通の人と会話したいのだが。
気にしてばかりで何もできない卑小な自分に嫌気が差しつつある。

最低限の充足

営業所止めとは言え、郷里でも宅急便が復活してくれた。
ADSLが使えなくなっている母はもしや知らないのではと思って電話したが、知っていた模様。
だいぶ落ち着いた様子だったので、近況を少しだけ詳しく聞き取ることができた。
・当面の飲み水と食料は、従姉達やご近所の助けで十二分にあること。
 埼玉に避難している隣人が、荷物を取りに戻るついでにお米を置いていってくれたそうだ。
・実家近辺こそ断水したままだが、親戚のところは水道が開通したこと。
 高齢世帯なので断水中は両親が水を届けていた
・営業を再開するスーパーが少し増えてきたこと。
・母の薬を兄(関東在住)が調達して送ってくれたこと。
 その薬が届いたという知らせで宅急便の件を知ったらしい。
「もう大丈夫」と言い切るのは強がりだろうとしても、ひとまず危機を脱することはできたらしい。
半月分の食材と処方薬があれば、物流の回復まで凌ぐこともできそうだ。
目下の問題は断水だけになった。水道の復旧は来月いっぱいかかるらしい。
少しでも足しになればと思い、市の復興資金口座に募金した。
ひとまず自分ができることもひととおり済ませ、それなりに明るい声を聞くこともできて満足。
上を見てもきりがない。まずは満足しておこう。
直接被災しなかった僥倖の上に、これだけ支えてくれる力があったのだ。
それだけでも幸せではないか。

進んで傷つく人々

両親に声もかけず立ち去ったこと。母が泣きじゃくりながら電話をよこしたこと。
ダンナと話していたら「何で東北人は自分から不幸になりたがるんだ」と訊かれた。
無論、私が母と顔を合わせられなかった経緯も私の意図も彼は承知の上である。
「でもさ、それってみんな傷つくだけなんじゃないの」
まあ間違いではない。
無事に帰ってきたお礼を兼ねて義父母へ挨拶に行った時も、義父に変な顔をされた。
「家まで行っておきながら顔も見せなかったんかい」
見せる顔がないという論理を説明する気は起きなかった。
どれほど整理して伝えようと、その文脈が関西で暮らす九州人に伝わるとは思えない。
説明や理解の能力の問題ではなく、言わば前提とする思考回路が違うからだ。
敢えて言葉にするなら「そういう民族/生き物ですから」ということになる。
不幸になるのは自分だけでいい。
自分が耐えてあの人が少しでも楽になるならそれでいい。
黙っているだけで隠せるものならば、心配はかけないでおきたい。

ごく簡単に整理すると、あの国の人々はそういう前提で生きてきた。
少し前まで自分の個性と混同していたが、これは民族性のようなものであって私に固有のものではない。
むしろ私はそういう意識の低い異分子だ。
だからこうして、他人事のように文字を並べられる。
本来これは説明してはいけないことなのだと思うが「悪い子」なので敢えて記しておく。
一人でも無駄に傷つくことがないように。

親孝行とは言い難い何か

実家に行って来てしまった。
母に電話した時「若い人は来るな」と念を押されたのに。
断水と物資不足の窮状を聞くに耐えかねて、文字どおり飛んで来た。
通常50席の小型ジェットしか飛ばない伊丹福島便だが、明日までなら150席の大型機材が飛ぶので交通機関の圧迫にはなるまいと判断した。
何もないというのに父が家を離れたがらない以上、どうにか物流の回復まで凌いでもらうほかない。
とは言え個人の輸送力には限界がある。たった二箱の飲食物が精一杯だった。
水も届けたかったが、立ち寄ったスーパーでは軟水が品切れ。
東北でしか暮らしていない両親に硬水を飲ませるのは忍びなかったので、お茶とスポーツドリンクに変更。
被災地からおよそ遠い伊丹市内でも、一部物品の買いだめは見られた。
…何故かトイレットペーパーなど。
一番あげたかったドライシャンプーは何軒か回っても売り切れだったので断念。
電気とガスは使えると聞いたので、日持ちのする野菜を中心に調達した。
卵も食べさせたいが、空輸できる自信がないので牛乳に変更。
大型機材の臨時便は、疎開と逆方向のせいか乗客が10人ほどしかいなかった。
そもそも回送ぐらいの扱いだったのだろうか。
福島空港は無事そうだったが、よく見ると売店の飲料類が店頭在庫限り。
物流は限られているようだ。
予約しておいたタクシーで一路実家へ。
運転手の話を聞く限り、物資不足の状況は空港近隣でも芳しくないようだ。
タクシーそのものはLPガスなので問題なく走れているが、やはりガソリンがないと言う。
緊急車両扱いのカードを出せば給油できるが、10リットルまでに制限があるそうだ。
スーパーに商品が多少は入るだけましだろうが、入店まで二時間半も並ばされたとか。
それはさておき、実家への道は案内する必要があった。
途中からかつての通勤路だというのに、道標を思い出せず、密かに焦る。
結果的に正しい経路を辿れて安心したが、中心市街地も見ておくべきだっただろうか。
沿道の建物は嘘のように無事だった。
ただ店に商品がなく、明かりがないだけ。
これでは被災地と言っても信じる人は少ないかもしれない。
実家に着く直前の路面が言い訳のように割れていた。
ともあれ到着したが滞在してはいられない。
両親とも在宅だったが、箱を玄関先に置いて、声もかけず立ち去った。
泊まる余裕がない、すなわち当日中に帰阪するには時間がギリギリだったのだ。
それに、来るなと言っていた両親である。
顔を見せると余計に心配をかけるだろうし、冷静を保てる自信もない。
折り返してタクシーが市境付近に差し掛かったあたりで、母から電話があった。
来たなら一泊でもして行けと。
聞いたことのない声だった。
手短に断ると、母の背後から、なだめるような父の声が聞こえた。
いずれにせよ、私に戻るという選択肢はない。無理だ。
申し訳ないが、私はこういう娘なのだ。
強情で無鉄砲で、言うことを聞かない、薄情な娘だ。
あいつらしいと笑ってくれているといいが。

表現

何かを表現することは、別の何かを表現しないことである。
大学で習ったのか翻訳スクールで出てきたのか思い出せないが、時々ふと思い出す言葉だ。
文字であれ映像であれ、一度にいくつものことは伝わらない。
まして、どのように伝わるかは受け取り手によっても変わってしまう。
翻訳仕事では特に、このことを念頭に置いて言葉を選ぶことにしている。
できるだけ、異なる解釈のしようがないように。
そして、できるだけ、自分が素直に原文を解釈するように。
ここで言う「素直に」は「鵜呑みにして」ではない。
翻訳は他人の言葉を他人に中継する仕事ゆえに、自分も受け取り手の一人である。
ぱっと見て発話者が何を言っているのかは、語学力の範疇で解釈する。
そこから先の「実は何を言いたいのか」が、私の存在(介在)意義なのではなかろうか。
場合によっては訳出しないほうがよい箇所も出てくるのだ。
単純な原文のミスや言語の性質によって内容が重複するとき。
文書の目的としてそぐわない内容のとき。
勿論この場合は申し送りを付けて翻訳会社の判断を仰ぐが、実績として却下されたことはない。

そういう仕事柄、元々の性格とどちらが先か判別不能だが、普段から言葉を選ぶ傾向が強いことは確かだ。
それでも時には間違うだろうし、意図しない受け取り方をされる可能性は否定できない。
冒頭にも記したとおり、表現できるものは捨象の結果だからだ。
字面ではなく、捨象する内容が不適切だと傷はより深くなる。
肝心なのは、その時/それからどう対応するかではと思う。
原因が何であれ、誤解は放置しておきたくない。
一度の失敗が取り返せなくては、余りに哀しいからだ。
どうにかなる/できる可能性のあることを放置して後悔するのは御免だ。
こちらで招いた事態でありながら一方的にも程があるとは思うが。
自分の意思さえ満足に伝えられないようでは…。
できる限り誤解を避けるべく補足しておくと、この記事で自分を含む誰をも責めるつもりはない。
…などという内言はさらりと文脈に埋め込めるようになりたいものだが。

翻訳の処理速度と処理能力

何か大事なものを犠牲にしてしまった気はするが、ともあれ問題の案件は終わった。
複数の打診や仮押さえは来ているが、もう調整不能に陥ることはない。
遊ぶなら今のうち、と言いたいところだが相手がいないのはご愛敬。


今回、何が問題だったかと言うと、根底にあるのは処理能力の概念である。
「この仕事いつまでにできますか」のことだ。
普通は、原稿の量を一日あたりの処理量で割った答えが相当する。
処理能力≒見積もり工数=原稿文字数÷一日あたりの処理量
ここで曲者なのが、一日あたりの処理量だ。
文の内容によっても変動するし、そのときの体調や外部要因によっても前後する。
それでもおおよそ自分の処理量は把握できているものだが、私の場合
公称処理量:原文5000字/日  -通常の1営業日で処理できる量
最大処理量:原文8000字/日  -夜までかかって処理できる量
限界処理量:原文12000字/日 -何らかの犠牲の下に処理できる量
である。
英文和訳をされている方は上記を2で割ってワード数だとお考えいただきたい。
「公称」でも人並みよりは速いほうだと思うのだが、いかがだろうか。
案件の規模が大きい場合は「公称」の数字で所要日数を見積もり回答しているので問題ない。
また、何らかの事情で飛び込み案件が発生しても、これぐらいの負荷ならまず耐えられる。
が、そもそも単発短期案件が多く、こちらから何日くれとは言えない場合がほとんどだ。
所要日数がこちらから提示できない場合は、引き受けるか断るかの二択にせざるを得ない。
それでもたいていの場合、最大処理量を連日でこなす羽目にはまず陥らないでやってきた。
最大はあくまで最大であり、訳あり短期案件の場合にしかまず発揮しない。
ところが、今回に限って、限界処理量を最初から求められていたのである。
尤も、長くない文章であれば早く出すことはできる。
1日や2日なら限界処理量を超えることも物理的には可能なのだ。
今回それが4日になってしまい(以下省略)。
そもそもの原稿量が聞いていた量の倍だったので、計算が狂うどころではなかったのだが。


教訓として言えることは、限界処理量はあくまで一日の限界だということだ。

覚悟

独立して仕事をしている以上、繁閑の並があることは覚悟の上のはずだった。
暇すぎてどうしようもない事態は経験があるものの、今回はちょうどその逆である。
今でこそ日記を書ける程度に立ち直れたが、未曾有の多忙に苛まれていた。
文字通りの忙殺。


ことの次第はこうである。
「来月、100枚ほどの案件を3つ出しますので2週目から4週目まで空けておいてください」
というメールが来たのは2月23日。
この時点では退屈もせず鬱屈もせず、調子よく単発業務をこなせていた。
もしかすると3週間のうちに300枚前後を翻訳するという日程自体が非常識かもしれない。
しかし、100枚を3日で片付けてしまった取引実績のある相手だったので、まあいいかと引き受けた。
精度より速度が優先と言い切られると切ないものはあるが、割り切ってしまえばそれまでである。
具体的な作業日程は3月の第1週に確定するとの話だった。そこまではいい。
さて第1週の終わり、4日の晩になって件の担当者から原稿が届いた。
話が違う。
100枚が3件だから引き受けられると判断したのに、1件で200枚あるのだ。
しかも納期が1件100枚として想定していた10日の朝に指定されている。
流石に無理だと回答して交渉に持ち込んだところ、
「7万字を3日でやってもらえたので、あてにしてしまっておりました」とのこと。
平静なら呆れて済ませるところだが、この時ばかりは虚しくなった。
人間扱いされていると思えなかったのだ。
無茶な条件を飲んで取引をしてしまった自分のツケと言えばそれまでだが、それにしても耐え難い。
その無茶な条件だった前回でさえ、普通はありえないと強調してから引き受けたはずだった。
相手は全くそんなことおかまいなしだったということか。
最短3日でできるものを6日と回答することは罪か。
しかもその最短は、他のものをほぼ全て犠牲にして叩き出した記録である。
100mを7秒台で走れてしまったようなものだ。
それを、200mだから14秒台で走れと要求されていることになる。
たとえ私が今より優秀だったとしても、無理なものは無理だ。
交渉は苦手ながら懸命にかけあった末、どうにか延長できた期日が16日の朝。


どうしてそこまでして納期を延ばす必要があったかというと、3月は定期案件が来るからだ。
定期案件とは言え、何日に何枚やってくるのかは決まっていない。
ただ、断れないことは明らかだった。
よりによってその定期案件が、例年の倍の量である。
取引上こちらを優先しなければならない事情があるので、他の案件を最短納期で仕上げるのは無理という判断があった。


しかし災難はそこでは収まらなかった。
7日に件の担当者から「最終納期16日で調整できました」と連絡があったのだが、
その条件として最終章から訳せと言うのだ。
確か最低でも16日を確保すると息巻いていたはずだったのに、はともかくとして、
週末に稼ぎ出した時間が全て水の泡。
持てる全ての時間と精力を注いで頭から訳していたのが愚行だったというのか。


思わず脱力したところに、定期案件がたたみかけてきた。
50枚強、納期は14日。うち3枚ほどは即日納品指示。
これには流石に壊れてしまった。
途方もなく暗い支離滅裂な愚痴をぶつけてしまった方、ごめんなさい。
私でもだめになるときはだめになるんです。


作業中、何度となく気を取り直そうと努力しては挫折した。
状況が状況なので胃が痛くなり、心身ともに衰弱の悪循環にはまること2日。
どうにか日程が読めてきたところで気分も楽になってきた。


どのみち、手元の原稿を訳すほかないのだ。
改めて腹をくくった。
もう大丈夫。

原稿がきれいな画像だったとき

送られてきた原稿ファイルが画像しかなく、テキストのコピーや書き出しができない時どうするか。
私の場合はOCRソフトでテキストに直しているのだが、文字が黒くないとしばしば認識できない。
複数の色で作られている場合、よりたちが悪い。
そういうとき、私は「PhotoEditor」を応急処置として使っている。
Office2000のツールなのだが、どうも2003からは外されてしまったようだ。


1.画像ファイルをPhotoEditorで開く。
2.ファイル→プロパティでグレースケールを選択。
3.ガンマ値を適当に下げる。
4.保存する。


操作としては単純だが、ページ数がかさむとなかなか骨が折れる。
テキストそのものを入力するのとどちらが効率的か、作業前に吟味が必要だろう。