復元作業

ふと胡弓が弾きたくなったので取り出すと、高音弦が切れていた。
替えの弦は買ってあるので張り替えるか、と気楽に構えていたのがそもそもの間違い。
自分の不器用さと迂闊さをすっかり忘れていた。

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夢と仕事と当たり前の毎日

商店街を歩いていたら、死んだ魚のような目をした女の子とぶつかりそうになった。
こちらの前方不注意ではなく、その子がふらふらと寄ってきたのだ。
目を合わせるでもなくそらすでもなく、彼女は小さなチラシを渡そうとした。
美容室某ですと言っていたようだが聞き取れず。
一つの商店街で三度ほど同じ目に遭った。
固まって存在している訳ではないが、美容室がたくさんある通りなのだ。
競争ってそういうことか、と少し遠く思った。
振り返ってみれば、あのチラシ配りはきっとみんな美容師だ。
小ぎれいな身なりに瀟洒な髪型で、しかし生気なく街角に立っていた。
暑い中たいした人通りもないので、気力が萎えるのも無理はない。
ただ、彼らに会ったからといってその店に入ろうと思えるか?
むしろ印象を落としているのではと他人事ながら気になった。

手に職があっても、腕に自信があっても、お客が来なければ始まらない。
それはサービス業であればほぼ共通だろう。
ではどうやってお客(→仕事)を呼び込んだものかというと。
まずは見込み客に存在を認知してもらうこと、だから彼らは街頭に立つのだろう。
呼び込みの仕事は不本意だと顔に書いたままでも。

私は街頭で呼び込みをしても仕方がないので、就職活動まがいのことをする。
フリーランス翻訳者の求人があれば応募して、履歴書と職務経歴書を送るまでだ。
すぐに話が進む場合もあれば、立ち消えてしまうこともある。
忘れた頃にお声が掛かることも珍しくはない。
いきなり仕事をくれる会社、テストを送ってくる会社、白紙で見積もりを要求する会社。
その相手をする時、ちゃんと生きている顔をしていたい。
伝えるべきことを伝えて、立てるべきところは立てて、自分はこうなのだと示したい。

まがりなりにも一つの夢が叶って、この仕事をしているのだ。
どれほど夢を見ようと追いかけようと、自分が生きるのは現実にすぎない。
だからこそ、真面目にやる意義があるし、それなりの手応えもある。
初心を忘れるなとは言うが、そういうことか。

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BGMないし類似した何か

以前は翻訳作業中にBGMをかける習慣がなかった。
趣味で邦楽ロックしか聴かないもので、歌詞が邪魔かと思いこんでいたためである。
ところが、むしろ歌いながらでも平気という同業者の話を聞き、試してみた。
流石に自分で歌ってしまうと神経がそっちに行ってしまい仕事が進まない。
聞いているだけなら大丈夫かというと、どうも曲によって違うようだ。
一曲ごとにというほど細かい単位ではなく、恐らく作曲者か編曲者の単位。
だいたいどれが安全か把握できてきたので、再生リストにしてみた。


何故BGMをかけることにしたのかというと、騒音のマスキング目的である。
仕事部屋が共用廊下に面しているので、網戸にするとご近所の声が気になるのだ。
無論こちらから音を漏らすわけにもいかないので、ヘッドホンを使っている。
電話が鳴れば気づく程度の音量にはしているが、たまにインターホンは聞き逃してしまう。
ずっと在宅しているのに不在連絡票が入っていると非常にばつが悪い。


一方、仕事中に電話が鳴るとやはり集中が途切れてしまうが、メールは意外と平気だ。
更に意外なのは、ついったーの読み書きをしていてもほぼ不都合がないこと。
仕事の進め方からして細かい中断には耐えやすいせいもあるのかとは思う。
例外は、一見して不快になる発言が目に入った場合。
流石にわざわざ厭なものを見たくはないので、そういう場合は画面を閉じる。

松田屋

総菜屋の鯛焼きコーナー。小倉120円也。
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20匹ぐらいまとめて焼いている。
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昔のコロッケ屋を彷彿とさせる包み紙ではある。
人肌程度の微妙な温度だったが、特に温め直してはくれなかった。
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「うす皮」を自称している割に、上下両端の生地は分厚い。
味は確かに薄皮によくある軽い塩味。ふっくらでもない両端部は半端な感じだった。
あんは甘さ控えめ、ややほくほくした食感。
個体差なのかは分からないが、頭のほうよりも尻尾のほうにたくさん詰まっていた。

たい焼き一筋たっぷり庵

店名のとおり、鯛焼きだけを商っている。小倉115円也。
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20匹ぐらいを一気に焼き上げ保温していた。
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あんこがはみ出しているのがお分かりいただけるだろうか。
普通の鯛焼きと違い、焼き上がった上下の生地であんこを挟んでいる。
生地そのものは、可もなく不可もなし。
懐かしい香りがして、しっぽの辺りはかりっとしていた。
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あんこは甘さが強いものの、ねっとりとした感じはない。
しかしこれは鯛焼きなのだろうか。むしろどら焼きのような気がする。

両親と水

宅配便がいわき市内各家庭への配達を復活させて最初に私が送った物は飲料水だった。
ウォーターサーバー用の12Lボトル2本組という、戸口でなければ受け取りたくない代物。
その水を母がいかに喜んで飲んでいたかを、父がさも楽しそうに再現して見せてくれた。
まあ喜ばれる贈り物ができたようで、少し安心。
4月、いわきの人々は震度6の余震とやらで2度目の断水に見舞われた。
幸い2度目は復旧が早く数日で済んだのだが、さぞや心細かったことだろう。
まして水道水の安全性も騒がれ出していたので、遅ればせながら水を送った次第。


実家は高台にあるせいか、元々ラジオがあまりよく入らない。
停電の復旧が早かったこともあり、主な情報源はテレビだったそうだ。
しかしライフラインや援助物資などの広報は「詳しくはwebで」扱いのものが多かったとのこと。
ADSLが復旧したのは4月に入ってからだったので、えもいわれぬ不安があったらしい。
市のホームページ広報内容に目だった更新があれば、私が印刷してFAXで送ることにした。
そうして知った近所の給水所に20Lのポリ缶を2本も携えて行ったところ、断られたとか。
急に断水だ給水所だと言われても用意がなくペットボトル持参の人も多かったという。
「そんなにたくさん汲むのなら浄水場へ行ってください」
おとなしく平浄水場へ行ってはみたものの、駐車場はないわ行列は長いわの騒ぎ。
おまけに浄水場周辺で断層が露出したり地滑りが起きたりで足元も不安定だったという。
夫婦交代で並ぶこと実に6時間、最初の給水にありついたのだそうだ。
向かいの奥さんから菱川町公園のほうが混雑していないと聞き、翌日からそちらへ。
最初の40Lを伯母宅へ届け、その帰りに自分たちの分を汲んだ。
私がさんざん世話になった伯母夫妻は高齢の上に車を持っていないからだ。
両親とて還暦を過ぎてはいるが、まだ車があるだけいいと水を運び続けた由。
物流麻痺でガソリンが尽きていく中、水は車でないと汲みに行けない日々が続いた。


上水道が復旧しても、蛇口をひねれば飲み水が出るとは信じがたいようだ。
元から大型ペットボトルに浄水用セラミックボールを入れて簡易浄水する習慣はあったが、
加えて放射性ヨウ素の半減期を待つことにしているのだとか。
数日で水が傷むほど暑くなる地域ではないが、カルキ分を抜いてしまうので心配ではある。

田舎と産業と災害と事故と

いわき明星大学のそばを通りがかったら、高校生を満載したバスとすれ違った。
母によると、湯本高校が同大学に避難してきているのでその送迎バスなのだそうだ。
その近辺に避難してきている学校は他にもいくつかあるらしい。
だから3時ぐらいになると、送迎バスが何台も連なるとのことだった。


以下、何次情報になるか分からないので、記録としての価値は無視していただきたい。
いわき明星大学の所在地である中央台近辺は、施設損壊の類の被害があまり出なかった。
反して湯本高校の近隣は地盤沈下が激しく、同高校の仮校舎もまだできていない。
同大学が18の教室を同高校に提供している。
この事実は、同大学もまた被災者であることを示しているのだ。
入学辞退者が多かったから、提供できるほど教室が空いている。
辞退の理由は主に「放射能の心配」だったという。
同様に、平地区に所在する東日本国際大学も存亡の危機にある。
学生の七割以上が留学生だったのだが、多くが帰国してしまったそうだ。
大学が学生不足ということは、近隣のアパートも経営が立ちゆかないことになる。
こうして収入が削られ、間接的な形で被害を受けた人々もいるのだ。
目に見えて悲惨な生活を送っている人だけが被災者ではない。
私立大学もアパートもビジネスだと言われればそれまでかもしれないが、
原発リスクまで考えて立地を検討する発想など去年まで存在していたとは思えない。
とはいえ、ここまで間接的になると補償を要求するにも一筋縄ではいかないだろう。
誰かを責める気は起きないのだが、解決方法も自分にできることも思いつかずにいる。

あるいわき市民の日常

件の震災から三ヶ月が経ち、両親も落ち着いたようなので顔を見せに帰省した。
前回は顔も出さなかったことを詫びたかったのだが、先に礼を言われ言葉に詰まる。
むしろ余計な心配をかけて悪かったとだけは言えたので、気は済んだことにしておくが。
特に何かを根に持つわけでもなく、以前の様子を取り戻せたようだ。
それまでと違うのは、テレビのデータ放送を両親がチェックしだしたこと。
NHKのデータ放送で放射線量の測定値を確認し、ノートに書き取っているのだ。
測定値の公表は一日に何度かあるが、必ずしも同じ時間に配信されないのだという。
それでも二人の共有とおぼしきノートには、三月下旬からの公表値が連綿と綴られていた。
値が小さくなってきたので「帰って来てもいいよ」ということになったらしい。


実家そのものは断水以外の被害を受けなかったので、まあ落ち着いていられるのだろう。
当初の物資不足(特にガソリン)は堪えたというが、今やたいていのものは店頭に並んでいる。
ガイガーカウンターだけはどこも欠品でね、と母が笑っていた。
帰省のたびに寄る和菓子屋もショッピングセンターも、見た感じ普通に営業している。
違うのは、地物の魚がないこと。
美味しそうな魚が手頃な値段で並んではいるが、産地は北海道だったり四国だったり。
千葉県産の鰹を見て少し切なくなった。中之作…。
八百屋には市内産の野菜も並んでいるが、放射線確認済みの手書きポップが痛々しい。
和菓子屋のレジには「浜通り元通り」と書かれた紙が佇んでいた。
どこの誰もが、自分なりに何かしらがんばっている感じ。


壊滅的な被害を受けたのは市内でも専ら沿海部とのこと。
よく連れて行ってもらっていた寿司屋はとても営業再開どころではない。
一件は運営元ごと廃業、一件は建物の基礎しか残存せず、一件は訪れようがないそうだ。
平の市街地には店もあるけど、と言われて、じゃあそこへ行きますかという気にはなれない。
地物の扱いがなくなって活気を失った市場もあるという。
一方で、実家近辺を含む旧平市の住宅街は何事もないような趣だった。
市街地の道路もところどころ亀裂はあるものの迂回が必要なほどではない。
ただ、よく見ると瓦が落ちている家は結構あった。
立派な大谷石の塀はどこの家でも崩れ、ブロック塀は鉄筋の力で生き残ったそうだ。
近くの団地で、それこそ石塀を撤去してブロック塀に取り替える外構工事の現場を見かけた。
母の話によると、瓦職人は向こう三年分ほど予定が埋まっているのだそうだ。
家の塀を直すのに二年以上も待たされる人がいるということか。
地味に(と言い切ると当事者には失礼だろうが)、傷跡は残り続ける。

どこまでが商品なのか

「バリニーズオイルリンパマッサージ」なるものに行ってきた。
腕は悪くないらしく、痛さの割には全身ほぐれた感じがするのだが、満足度はいたって低い。
施術中の態度がひどかったのだ。
入店時は1人しかいなかったが、3人いるらしい店員は全員中国人。それはいい。
日本語がいまいち聞き取りにくいのも問題ではない。
施術中の態度が許し難かったのだ。
・携帯電話でだらだらと喋っている。
・他のお客の応対に出てしまった。
 後から来た人の方へ張り付いてしまい当人は戻ってこなかった。
・時間差でやってきた交代人員が一言の挨拶もなし。
・店員同士が大声で話している。
 中国語だから分かるまいと思っているのか、シフトや取り分など仕事の赤裸々な愚痴。
聞き取れない人は気にならないのか、後から来たお客の一人は日本人だが常連らしかった。
いっそ中国語でまくしたててやろうかとも思ったが、じきにその気力も萎えて実現せず。


確かに提供すべき商品(サービス)はマッサージであり、技術自体に問題はなかった。
しかし、その商品性として客がリラックスできる状態というのは過大要求なのだろうか?
たかが数千円のサービスに期待をしすぎたのだろうか?
心に余裕を持って接しないといけないなとは思うものの、余裕がある時に行く業態ではない。


せめて他山の石としよう。
納品先に対して露骨に不快感を招くようなメールを出した覚えはないが。
手短に用件を書くだけのことが多いので、あるいはぶっきらぼうに見えているかもしれない。
反応を早く、やるべきことを確実に、というだけでは何か足りないかもしれない。

てん神

たこ焼きと鯛焼きを扱っている業態。
つぶあん130円也。
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焼き器を見る限り「天然もの」らしいが、焼き上がりを売ってくれるわけではなかった。
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ストッカーの金網の跡が付いている。
生地もとい皮はぐにぐに(「ぐ」も鼻濁音で読んでいただきたい)の食感。
強いて喩えれば濡れ煎餅のそれに近い。
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あんはさらっとしていて甘みが強いが、くどくはない。
いっそ白い鯛焼きなら諦めもつくのだが。