「普通」ほど難しいものはない

「難易度が低い一般の文章なので、少し安くなりますが」と引き合いが入る。
お金を払う方からみたら、簡単なほうが価値は低いであろうから料金も安くと考えるだろう。
裏返しで、専門性が高い文書ほど受注単価(料金)は大きくなる。
しかし実は(少なくとも私にとって)「普通」の人が使う「普通」の文章が最も難しい。
そのことに気づくのに五年もかかってしまった……。
「普通」の人が「普通」どう思ってどう表現するのか考えるのが実は大変なのだ。
専門性が高い文書ならば「業界の人」が誤解なく情報をやりとりするためにどう表現するのかを考える。
両者は目的も性質もかなり違うのではないか。
他人様から見ればそんなことは自明かもしれないが、気づかないときは気づかないものだ(反省)。
そしてもう一つ簡単(なはず)だが重要なこと。
普通の他国の人が考え、思うことを普通の日本人のそれに訳すこと。
これが思った以上に難しい。学習歴十余年でも実務歴五年でもまだまだ足りない。
「そんなこと普通の日本人が考えるかいな」と自分の脳内で抵抗が出てくるのだ。
しかし思ってもいないことを話す(書く)態度は「普通」でも「自然」でもない。
暫定対策として私は「そういう判断(感情)を招くのはどういう状況のときか」をさんざん考え、
「その状況なら仕方ないかな」という妥協点まで脳内人物を追い込んでそこで考えさせることにしている。
器用な人、本当に優秀な人ならそんな苦労もなく訳出できるのだろうか。
ただの考えすぎだろうか。
答えはまだ出ない。

訳抜け探し

全部で90枚か100枚かという大量の案件を受注。
一週間かかりきりでどうにかやっつけた。
が。目を通してみると訳抜けがちらほら出てきた。
どうしても抜けてしまうのは後で潰す必要がある。
目視で三週してもまだ見つかることに業を煮やしたり落胆したり。
そこで思いついたのはEXCELの活用だった。
原文を左、訳文を右の列に貼り付けて同一かどうかを式で判定。
フィルタをかけると……まだ6件あるorz
ともあれこれで何とかなったので、メモがてら書いておく。

「迷惑」扱いされると「迷惑」

受注できるか読めなかった大型案件が、昨日になって正式発注された。
翻訳会社の説明によれば原稿は今日もらえるはず。
さて、今日のいつだろうか。
待てど暮らせどメールが来ない。本当に日が暮れてしまった。
間によっては割り込みになる他社案件を引き受けて作業の合間にメールチェック。
やはり受信トレイに新着はない。
ところがふと迷惑メールを消そうかと一覧を見たら、……ある。
これまで一度も迷惑メールに分類されたことのない会社からなのに。
誰かが間違って分類したとも思いがたい。
「迷惑メールを解除」して添付された原稿を見ると、うっすら分かった。
添付のZIPファイルがウイルス検査できないから「迷惑」だったらしい。
パスワードのかかったファイルだったので中身が見えなかったのかは不明だが、
いずれにせよ危うく一晩見過ごすところだった。

カルチャーセンターの中国語教室

春に漢語水平考試を受けてみたところ、聞き取り能力のなさに愕然とした。
まぁたかだか半年の留学で一生ものの語学力がつくわけはないし、それから十年も経っているのだが。
総合成績は「二年間留学した者の最低レベル」だそうなので、ぼちぼちなのだ。
読解やら文法やらはほぼ満点だったりするので、明らかに聞き取りが足を引っ張っている。
そこで一念発起?今月から某カルチャーセンターの中国語教室へ通ってみることにした。
毎週水曜日に1コマずつなのでたいした学習量でないことは自明だが、「毎週」がいいかとは思う。
教えてくれるのが大学講師をしている先生というのも魅力に感じた。
かくして先週と今日、「上級中国語」に出席してみた。
・受講者の平均年齢は私の倍ぐらい。15人のうち同世代は3人?
・半分以上の人が電子辞書を持ち込んでいる。
・以前から通っているらしき人々の教科書には蛍光ペンやら鉛筆やらでおびただしい書き込み。
・教科書の難易度は大学の中国語II程度?辞書を引かなくてもすらすら読める。
何だか懐かしいような遠い世界のような違和感を覚えた。
語学の授業には辞書がつきものだし、紙の辞書がかさばるのも道理。
平日の日中に時間が取れる人が親世代であってもおかしくないと頭では分かるのだが。
なにやらいわくいいがたいものが漂っているというか淀んでいるといおうか。
「はい、そこの訳お願いします」と指名されたはいいものの。
訳文はとっくに脳内でまとまっていたのに、原文と同じ順序で直訳調に再生するのは難儀だった。
そもそも学生の頃から直訳は苦手だった(ので英語の成績はいまいちだった)ぐらいなので、
逐語訳っぽい訳文の読み上げのような答え方をしてしまい、周りに変な顔をされた。
……とか考えるのは自意識過剰なのだろうか。