あっけなく最後の日は訪れてしまった。いつもと何も変らない朝。
何も変らないのに、私の荷物だけが片付いている。閑散とした我が部屋。
身繕いを終えて荷物を引きずり出し、出入口の用務員さんに一応ごあいさつ。
部屋の設備を点検するから一緒に来いと言われたので、荷物は預けて引返した。
設備が壊れていないのを見るや、布団を室外に出せという。そういえば来た時はなかった。
いよいよ部屋から私の気配がなくなった所で「よし、終わり」。
正門の脇の用務員さんに鍵を返すと、保証金の五百元が返ってきた。
まだちょっとだけ時間があるので、荷物をそこに預けて片時だけ名残を惜しむ。
どうしても心残りがあったので、迷惑を承知でさる人を訪ねた。
無理を言って起きてもらい、一枚だけ一緒に写真を撮ってもらう。
それ以上は何も言う訳にも行かなかったので、ぼちぼち出発することにした。
高架路の入口が少し混んだものの、空港には一時間とかからず着いてしまった。
国際便なのにまだ搭乗手続きさえ始まっていない。何だか勿体無いことをした気分。
今更うじうじしても仕方ないので、とっとと空港税を払って入ってしまった。
農林局で言われた通り、ここの税関は何も見せろと言ってこなかったので素通り。
出国カードとやらを書いて出し、増えた荷物の手回り品料金を払う。
残った人民元を日本円に換えてもらい、暇に任せて待合室の辺りをうろついた。
もう来る機会がないやもしれぬ上海虹橋国際空港なんだから、見てやろうじゃないの。
じき上海浦東国際空港なるものができてしまうので、上海に来るとしてここに来るとは限らない。
確かにヤな思い出もある空港ではあっても、見納めと思うと目が変ってしまう。
なけなしの元で教科書を一冊とカップアイスを一つ買い、呆然と搭乗を待つ。
偶然うちの大学に留学している中国人と出会ってしまい、嬉しいやら悔しいやら。
私の乗る便が北京発上海経由だから一度ここで下ろされたのだそうである。
しばし喋っているうちに、呼び出しが入った。早々と並ぶ。もう振り向かない。
離陸までの滑走時間すら短く感じられた。すごい勢いで眼下の上海が遠のいていく。
走馬灯のようにとはよく言ったもので、色々な記憶が浮んでは消え、また出てきた。
日本の領空に入った所で腕時計を日本時間に戻す。さよなら上海。
これにて私の「異郷日記」は終わりです。おつきあいありがとうございました。
最後の授業。でも感慨も何もなし。
色々なことがありすぎて混乱気味のところで授業も最後の二回とあいなった。
先生達はドライに試験対策を少々と普通の授業をやっただけ。慣れてはるわ。
かく言う私も何を感じ取った訳ではない。気がついたら二科目とも終っていた感じ。
ただ試験日程を詰めている時そこに参加できない自分がちょっと淋しかっただけ。
午後になっても安穏と感傷に浸っている暇はない。退去手続が済んでいないのだ。
財務室で来週分の家賃を返金してもらうには、一度また別の部署に行かねばならない。
帰国便の時間やら出発の予定やらあれこれ喋らされてそれだけでも疲れた。
また部屋で荷物のつめ直しやら掃除やらをしているところに電話があった。
用件がすんで「晩飯は?」と聞かれ、ふと気づいてみると日が沈んでいる。
忘れてた、とそのまま答えたら、一緒にどうかと誘ってくれた。着いていく。
私の他に二人いたので、寒いこともあり鍋をとることになった。
お品書きには書いてあるのだが三~四人分あるとのことで見たこともなかったのだ。
いわゆる鍋物は「火鍋」というらしく、文字どおりコンロの火にかけながら出してくれる。
つなぎがてら野菜天をとり、ビールを少し飲みながら牛肉鍋の登場を待つ。
山の幸のおでん?つくね状の牛肉にきのこが二種類と野菜が二種類。
薄味ながら結構だしが効いていてよく暖まれた。満足。
もう帰っちゃうんだね、と言われても何故か未だに実感がない。
何で私だけここから消えてしまうんだろう?という疑問が頭を回り続ける。
みんなみんなここにいるのに、何で私だけここにいられないの?
私の歓送会?中国で初めて北京ダックを食べる。
本当は大学グッズも買いたかったのだが、寒さの余りまっすぐ部屋に戻る。
旅行の始末やら退去の準備やらをしているところに電話が入った。
待ち合せは会客室(みんなは小売部と呼んでいるが)で五時半。
何人か集まって北京ダックを食べに行こうという算段があったのだ。
来たのは顔見知りの男の子が五人とこれまた知っている中国人の女の子が一人。
大人数なので「北京飯店」への移動にはタクシー二台に分乗とあいなった。
夜ということもあり道がどうだったのかは全く判らない。でも遠かった気はする。
足代は出してもらえたので実は余り考えなかったのだが(苦笑)。
二台ほぼ一緒に出たはずなのに、何故か我々だけが早く着いたらしい。
予約してあるという二階席の一角に陣取り、まずお茶をすする。
注文は来た経験のある人がやってくれてしまったのでよく覚えていない。
残りの三人が来たか否かのうちに、早速あひる登場。つやつやで実に旨そう。
とりあえずグラスを合わせ、経験者の実演を見てから食べ始めた。
厚切りなのか肉部分もかなりついていて食べ応えがある。意外にあっさり味だった。
味噌だれや葱と一緒に胡瓜も包んで食べるせいかもしれない。
この甘さがいいんだろうに、韓国の子はやはり唐辛子をいっぱいに振って食べていた。
他に注文してあった料理は辛い豆腐もの一つと魚の甘酢あんかけ。
実はどちらも苦手なので、一人ひたすらあひるを食す。飽きもしなかった。
たれを包まずに食べると味がないので少しびっくり。飴色なのは色だけ?
総額二百八十元のところ、一人が気前良く二百元あまり出してくれた。
二人分とのことで、残り五人は各人二十五元の清算でいいという。
そんなことしてくれちゃって、懐から風邪ひきゃしないんだろうか。
旅の疲れを癒す間もなく再び農林局へ。
朝っぱらから学校中の事務所をあちこち回っていて疲れはむしろ倍加している。
でも農林局には今日を逃すと行っている暇がないので午後イチで出かけることに。
歩きとバス二本を足すとやはり二時間はかかってしまう。荷物を抱えての長旅だ。
前回も何やら工事はしていたのだが、農林局本体がなくなっていたのにはやはり驚く。
でも問題の「野生動物保護処」はプレハブのせいかちゃんと残っていた。
がんがん焚かれたストーブで室内は暑い。おばさん達はお茶を飲んでいた。
今回は日本語のできる人が来ていなかったらしく、みんな中国語のまんま。
でも気を遣ってくれているのか、ゆっくりと喋ってくれたので手続に支障はなかった。
時々「弾いてみせてよ」と言われたが、来て半年だからまだ無理だというと苦笑された。
それでも半年ぐらいでここまで喋れれば偉い方だとかなんだとか機嫌を取ってくれる。
そして書類の手続費なんと二百元なり。なかなかな大金だが、大丈夫なんだろか。
曰く、中国側は何も見ないから日本で税関に何か聞かれたら出すように。
おいおい、日本はそもそも持込み禁止なのに堂々とひけらかしてどうするのってば!
書面によるとシールで封印されたもののみ持ち出しが許されたことになっている。
でも中国側の税関が見ないんだったら持ち出しの許可なんて要らないんじゃ…..?
ってことは何だ、私の授業を休んでまで来た足労と二百元は全くの無駄?
しかも「持ち出し許可」はあっても「持込み許可」がないんじゃねぇ…..。
朝イチから郊外観光。寒いながら気分は上々。
於:西安→上海
本によると、兵馬俑の博物館は市内から車で一時間ほどかかり、八時半から開くという。
できるだけ見ることに時間を割くには、七時に出発すべし!と早起きして朝食を摂る。
郊外「東線」観光には昨日ホテルで予約したカムリを使う。半日チャーターというやつだ。
いちいち流しの車を探す手間が省けるだけでも余裕ができるだろうとの作戦。
博物館へは八時半ほぼぴったりに着いた。公園がまだ開門していない。
運ちゃんが中に呼びかけると、おやじさんが眠そうに南京錠をはずして開門した。
今日の一番乗りである。なかなか気分がいい。更に学割も効いて朝からご機嫌!
博物館には一号ホールから三号ホールまであるが、当然どこにも客はいなかった。
ただガイドの押し売りが一人いて少しやかましかっただけ。ふりきって一号ホール内部へ。
遺物保存のためなのか広すぎて諦めたのか、暖房が全くない。冷たい中に俑がごっそり。
人にも弓手やら御者やら色々な職業が見て取れる。が、服装はほぼ一緒に見えた。
よく見れば髷やら冠やらがついているのだが、今いち暗くてそこまで覗くのは怖い。
喋ると声が妙に響く。まるで生気のないこの空間では誰の答える気配もないのに。
二号、三号ホールは新しいものだそうで、寒いのは同じだが見やすい照明がついていた。
発掘作業の途中段階を紹介する掘りだしかけの馬や青銅製の武器なども飾ってあった。
観光でなく勉強に来てもそれなりに収穫はできそうな密度の濃い展示館という印象。
次に訪れたのは始皇帝陵。大きさは下からでは視界に入りきらない。
先が見えないほど延々と続く階段には、物売りが何人か来て商売支度をしていた。
階段というと独秀峰の記憶がまだ抜けないが、頑張ってみようということで最後まで登る。
最高地点についてみると何のことはない小高い丘といった感じしかしなかった。
見下ろす西安市内は霧に煙っている様子。街が来た道よりはるか遠くに感じられた。
ここにある地下宮殿とやらは非公開らしく、宝物は別の施設で公開とのこと。それはまあいい。
これで頂上の石榴売りと入場券売場の妖しいハードロックさえなかったらなぁ。
そして華清池。楊貴妃が入ったとかいう温泉なんかがあったりする。
楊貴妃像の立つ「九龍池」は温泉とは関係ないらしく、三mmほどの氷が張っていた。
唐代建築の湯殿を次々と見て回るが、どこにもお湯の張ってある浴槽はない。
底まで良く見えるようにとの配慮なのだろうか。ともあれどれも広く、贅沢な趣である。
建物を塗り直した時ペンキを使ってしまったらしく、色がどうも毒々しい。
これが少し枯れた丹塗の風情を持っていたら、湯殿だけでも十分に色っぽいのに。
蓮や海棠など、花の名前を付けた湯殿にはそれぞれを象った浴槽がある。割と深い。
「温泉って書いてはあるくせに、どこなんだよぅ」と振り返るに、湯気の立つ噴水が?
蓮の花に似せた台から吹き上がってくるお湯は、説明によると四十三度あるそうだ。
五角かかったが、手先をしばらく浸しただけで実に気持ちいい。半分は寒さのせいだが。
おち。庭園の外周にある建物は公衆浴場で、まさに「温泉」だった。ちょっと幻滅。
運ちゃんが勧めるので半坡博物館とやらに行ってみたが、面白い所なし。
ただ入口が巨大な女体である以外、何を見ても意味が判らない。さっさと切り上げる。
市内に戻って今度は自力観光。昨日から気になっていた包子をとうとう買って頬張る。
海老、高菜、貝、小豆どれも一つ一元。味はあっさりめ。あつあつで実に旨かった。
邪推ながら、小豆は日本からの逆輸入ではなかろうか?だって「あんまん」の味なのだ。
そして余り遠くない鐘楼まで歩く。地下道内に参観券売場があるのはやや意表を突かれた。
地上に登り、またまた階段。息を切らしながら市の四方を眺め、写真を撮る。
城壁までは見通せないほど遠いので、以降は車を拾って動くことにした。
まずは「安定門」こと西門を見る。客がまばらで非常に平和だった。
城壁の上に立ち、西の方シルクロードであった辺りをみはるかす。言葉を無くす。
門の上にある建物には天皇陛下の来た跡だとかいう見苦しい一角があった。
この下手な商売っけさえなかったらもっと感慨もあったろうに。
市の外周を辿って今度は大雁塔。手荷物は強制的に預けさせられる。かなり不安。
入場券だけでは塔まで入れてくれず、更に観覧料を取られる。ぼられてる気分。
階段が急な上に天井が低く首まで疲れて途中で息も絶え絶えになる。かなり笑われた。
何より哀しかったのは、登り切っても展望台に類する設備がなかったこと。骨折り損?
大雁塔を見た以上は小雁塔も行くぞ、ということで軽タクを拾いかなり北上する。
さっきとメーターの数字が違うのは何故だろう。ま、安い分にはいいか。
ここでも荷物は預けさせられたが、階段の幅を見ると納得できてしまう狭さだった。
へろへろぷぅになりながらやっとこさ小雁塔を踏破、と思いきや…..頂上に立てない。
奥行が手の幅ほどしかない階段から一歩で最上部に上がってしまったら降りられんぞ。
「えーっ、いいのぉ?」などと冷かされつつ、明日ある身なので空だけ覗いて退却。
余裕を持ってそろそろ空港に行くか、と軽を拾ったら何やらがみがみ言われた。
ずっと乗ると割高だとか何番の飛行機に乗りたいんだとか、とりあえずやかましい。
急ぎじゃないから途中から空港バスにしようか、といったところで運ちゃん御用。
いわゆる自転車道に乗入れたまま走っていたせいでキップを切られたらしい。
どうでもいいけどそれを客のせいにするなっちゅうの(苦笑)。
四時半に出ると言っていたバスが十五分にででくれて助かった。飛行機にほぼぴったり。
結論:西安のサービス業でほめられるのはバス乗場のおばさんだけだ。
昨日の今日で今度は北だ!いざ悠久の都へ。
於:上海→西安
桂林に行こうか西安にしようか迷っていたという経緯があって、桂林へは行った。
すなわち、西安に行く番である(笑)。午前中に飛行機が予約できれば行こうということに。
一口で予約といってもそう楽ではない。人民元を手に入れて代理店に駆け込まねばならないのだ。
更に前回の窓口では上海航空の券を扱っていなかったので市街まで出て買う羽目に。
それでも何とか間に合って、上海を飛び立ってしまった。なんてことだ(笑)。
とはいえ午後の便では到着が三時を過ぎてしまうので観光にでむく暇はない。
西安は見るところが散在しているので旧城内だけに限っても回れる勝算はなかった。
開き直るだだっ広さを逆手にとってタクシーで移動しつつ見えるだけ見てしまえ!
西安空港があるのは実は隣の咸陽市なので、咸陽市街経由で西安を外から見ることにした。
家並は民家どころか工場までがほとんど煉瓦づくり。砂か埃かをかぶっていて少し白く見える。
最初は「シルクロードって感じだねぇ」と喜んでみていたが、飽きるほどみんな煉瓦ばかり。
白茶けた建物が斜陽を浴びる姿は何となく哀愁をそそるが、ところどころ政府スローガンが書かれている。
遠目にいくつか古墳が見えなかったらまぁ刺激のない風景だったことだろう。
それよりタクシーの運ちゃんが自分を売込むのにやかましく、呆れるやら笑えるやら。
BP機(ポケットベル)を持っているというので、一応その番号を教えてもらうことにした。
視界いっぱいに広がる城壁を見つつ、余り大きくない城門から西安市内へ入る。
省都というだけあって都会っぽいが、一つ一つの建物がばかでかかった。
古典建築を再現したような形の行政機関やら、バスの十台もとまれそうな広場から。
間の路地には市場もあるが、これとて上海の農貿市場なんかと較べ数倍はある。
軽工業品、副食品、生活雑貨と扱う品揃えも場所によってまちまちらしい。
宿に着いてすぐ部屋に入り一服。明日の予定を簡単に話し合い、夕飯時になる。
おいしい餃子屋が市内に二軒あるらしいのだが、どちらも宿からは余り近くない。
ドア付近のおにいちゃんにおすすめの方を教えてもらって辺りを眺めつつ歩くことに。
日が落ちたせいか市場の人々は店じまいをはじめている。友諠商店のネオンがうるさい。
ふかしながら売っている包子類の蒸気に誘惑を覚えつつ寒い夕暮の街を歩く。
目的地が見当らないので軽食屋のおっちゃんに聞くと、何も買わないのに親切に教えてくれた。
かれこれ二十分は歩いただろうか。明代っぽいご立派な建物に捜索中の名を発見。
一階は普通の中国人席なので餃子コースを希望なら上へ、と二階へ通される。
他の街では二階席というとだいたい外国人だらけなのだが、ここは中国人が多かった。
楊琴やら古筝なんかの生演奏をやっていて、なかなか雰囲気がいい。
「餃子十八道」なる文字に惹かれ、一人八十元のコースを注文。ビールと菊花茶もとった。
一種類ひとつずつ小さい餃子が現れる。紹介は日本語だが、時々わけのわからない音が入る。
我々の卓が担当のおねえちゃんは日本語のできる人ではないらしい。
これだけ小さいのだけだったら余裕!と思いきや、何故か最後だけ大皿いっぱい。
「翡翠餃子」とか聞いた気がする。生地に法蓮草か何かの葉が練り込まれているらしい。
二つか三つ食べたところで満腹になってしまった。これ食べきれる人おるんやろか。
車を拾い、西門を往復して市街地の夜景を眺める。鐘楼が下から照らされていて壮観だった。
観光できる時間はあいにく過ぎていたので、車窓から眺めるだけでおとなしく帰る。
そして示し合せた通り車とモーニングコールを予約。あとは寝るのが仕事!
漓江くだりで絶景の世界へ。そして待ち受ける現実。
於:桂林→上海
朝食を摂ってチェックアウトを済ませると、漓江くだりのガイドさんが現れた。
一応「日本語ガイド」らしいのだが、我々が中国語でつっこむや日本語をやめてしまう。
まぁ彼女の言うことが判るだけいいとするか。いらんとこで実践学習させられている気分。
革シートの豪華タクシーとやらに揺られて市街地を離れること一時間あまり。
観光船の出発する竹江フェリーターミナルでは、またしても妖しい日本語の応酬。
かなり少ない乗客はほとんどが五十は過ぎたような日本人だった。
空は晴れ間なく曇っていたが、それが却って山々に幽玄味を添える。
二階の甲板に立つと雲の中から岩山が湧いてくるようで、浮揚感に似たものすら感じられた。
川の水は流石に少ないものの、全く濁っていない。淵の翡翠色がとても綺麗だった。
両岸には少数民族の家やら洗濯する人の姿やらが現れては消え、麓も面白い。
干上った川原で鴨が遊んでいたり、壁のように切立った崖を山羊が歩いていたりする。
寒くさえなければずっと外で見ていたいところだったが、最高気温すら七度。
風を受けながら甲板に立っていられる時間は自ずと限られてしまった。
昼食。川の幸ばかり出て来て私にはほとんど食べられなかった。
しかも向いのおやじ共が程度の低い連中だったので辟易して食欲どころでない。
ぼうっと向う岸を眺めてただ時を過していたが、景色そのものは決して悪くなかった。
水位が低いせいで川下りは臨時港「興坪」にて中断となった。本来の目的地「陽朔」へ陸路で移動する。
ここの船着場は山のように土産もの売りがいて、法外に高い値段で何でも売っていた。
面白かったのは水際に鎮座ましましている鵜。でかいがおとなしい。記念写真の有料モデルだそうだ。
船を下ろされた「興坪」は川下りの佳境の一つで、人は桃源郷と呼ぶそうである。
車に乗った時はぴんとこなかったが、数分するうちに頷けてきた。時の止まった風景。
日本で言う明治か大正あたりの家並が散在し、住民の様子もどことなく呑気。
牛を引いて歩いている女の子やら、トラクターに荷台を付けて寝転がっているお兄ちゃんやら。
遠くを眺めては奇岩に目を見張り、近くを省みてはふっと笑いそうになる。これが桃源郷か。
砂糖黍の畑が青々と波打つなか、煉瓦を干したり焼いたりする場所が赤く目立って見えた。
家は煉瓦造りで茅葺きのようだが、茅は砂糖黍の上半分を使っているかもしれない。
ところどころで咲く菜の花が、このあたりは本来ぬくいのだと教えてくれた。
そこまでして行った陽朔は妙に小さい街だった。通りの作りが宿場街を思わせる。
長屋の一階は土産物屋、二階には宿屋。西洋人観光客が好むというカフェ類も並んでいた。
ハードロックならぬハードシートカフェ(ロゴからして明らかに前者のぱくり)が笑わせてくれる。
多分これは中国ギャクだ。ハードシート=硬座を知っていて失笑しない者はないだろう。
町そのものが小さいのですぐに回り終わり、その足で空港まで送ってもらうことに。
桂林の市街地にさしかかったところでガイドのお姉ちゃんが下り、別れも告げず去っていった。
タクシーの運ちゃんが何やかにやと喋りかけてきて面白いやら鬱陶しいやら。
景色も人も面白いところだったが、サービス業の従事者だけは考え物だろうなぁ。
そして、本日のおち。折角こっちは早目に着いたのに、飛行機が来てくれない!
卓球したりものを書いたりで暇を潰すこと二時間。ごめんなさい放送が入り、軽食が配られた。
料理の味は悪くなかったが、飛立っていく他社便の姿を見ると哀しくてたまらない。
もし今日このまま飛行機がなかったら明日どうなっちゃうんだろう?
一応ないことはなかった。だが、上海に着いたら真夜中。タクシーに夜間料金を取られた。
景色も民族も神秘!そして不可解な果物たち…..
於:上海→桂林
とりあえず朝っぱらから上海虹橋国際空港で記念撮影。多分もうそんな機会ないから。
あほらしいながら面白いので勧められるまま「上海」の文字を頂いてまず一枚。
写るんですの残り六枚なのにこんなとこで使って何やってんだろ、私。
飛行機が桂林についたのは正午ちょっと前だった。団体が来ているのか日本人客が多い。
ふと見ると誰もタクシーを拾っていないので思わず顔を見合せる。
何だか気持ち悪いので我々も空港ミニバスに乗って市街へ向かうことにした。
鄙びた町並といい、平地からぽこぽこ出ている岩山といい、まるで現実ではないような景色が続く。
二期作の何かが青々と棚田を満たしているが、道を流れていく人々はみんな上海より厚着だった。
ここってぬくいのか?寒いのか?よく判らないのでセーターを重ね着してみたが暑くない…..。
中心市街は言わばただの都市なのだが、狭い区間に多くの商店が建ち並ぶので濃い感じ。
路線名標識が数百mおきにしか見当らないので現在位置を確かめるのにすら往生した。
昼休みのせいか人影もまばらな市街地を少しさまよって本にある美食城とやらに着いたが、何のことはない。
やや怪しい大衆食堂の雑居施設だった。不安につき宿へ直行することに。
見たことのない国産車(見た目が実に古めかしい)を拾うと、初乗りからして安かった。
で、問題の五つ星「桂林帝苑酒店」。思わず一言「あれ?これ桂林最高級なのか?」
熱帯風の中庭はまあしっかりしていて壮観なのだが、客の出入りしている様子がない。
しかも数人しかいない服務員ほぼみんなが眠そうでやる気なげ。
「日本語でどうぞ」の札を付けたおねえちゃんが何故か中国語で「これはプレゼントです」。
そして差し出されたものは、ちゃちながら星が五つ入ったキーホルダー。…..。
やはり食事は外でいいやということになり、まず明日の漓江下りを予約に行く。
この漓江下りというのが曲者で、パック旅行として早目に申し込まねばいけないのだ。
更にこの冬場などは水がないと中断や中止の場合すらあるという。善は急げ、で宿の旅行部へ。
英語と日本語のついたパック旅行一覧から漓江下りを選ぶ。値段を確認して申し込む。
ガイドの確保をするとかで受付のおねえちゃんが電話をかける。隣の電話が鳴る。
おねえちゃんが切る。切れる。をい、これは五星級サービスの一人コントか?
ともあれことが済んだので、割と近くの観光名所「伏波山」まで食堂を物色しつつ歩く。
蛇や蛙どころかドブ鼠まで食材として大切に(?)飼っているような所へは流石に足が向かない。
そして伏波山は見れども近づけず。登っている人間は見えるのに入口が閉ざされていた。
正門は蛇腹式の門扉がチャリ鍵で括ってあるし、横に回ると朽ちかけた扉に南京錠…..も、いっか。
次に歩いて数分の市内最高峰「独秀峰」へ。今は大学らしい旧王城跡の真ん中にぽこっとある山。
校門で入場料を取られるのも何だか変だが、旧王城跡の参観料だと言われると頷くしかない。
確かに明代あたりの施設が多く保存されているし、構内もまあいい雰囲気ではあった。
そして、急な山を階段で登る。手すりこそあるものの、石段は高く幅が狭い。何度か落ちそうになる。
頂上に着く頃には息も切れ切れだった。思い切り失笑を買う。だって足の長さが足りなくて(泣)!
景色を眺めていると「わっせ、わっせ」と奇妙なため息をつく現地のおにいちゃんにつかまり話に付き合わされる。
さっきの絵はがきはもっと安く買えただの陽朔(川下りの終点)にはバスで行けだのやかましい。
とりあえず話を聞き流して「いらん」を連発。石段を二割ほど降りたところでやっと解放された。
時間がいい加減おしてきたので車を拾い「西山公園」に向う。流れる景色が面白い。
見るからに違う民族の人々がチャリやら三輪車やらで町を走っているが、道は混んでいない。
上海を見慣れすぎたせいで田舎は人が少なく見えるんだろうか。のどかな町の風景が続く。
雑居ビルどころか古いアパートの各室に各業者が雑居しているといった感じ。美容室から旅行社まで。
これが南かというほど寒いせいか公園の人手は少なかった。用務員がビリヤードで遊んでいる。
ボート遊びをしている複数組の中年男女に二人で失笑。許されへんやろ、これぇ。
その付近は人造の池らしく、優雅な四阿なんかがいくつかたたずんでいた。確かに眺めはいい。
が、自然山水館なるところにいってみると用務員らしきおっちゃんがクダを巻いて登場。我々は退場。
挙句、楽しみにしていた博物館(荘族の資料がある)は封鎖されていた。しかもチャリ鍵で。
たくさん回ったぞ!見たぞ!…..といったところでお腹が空いてきた。気づけば五時。
何か地元のものをといいつつ観光優先で歩いてしまっていたので、夕飯は本格的に摂ろうと決定。
シェラトンで桂林風味の何とやらを探していたら、妖しい日本語の売子さんに結構たかられた。
ここの五つ星って本当に一体…..その食堂もホテルの外で、行ってみたら準備中だった。
出たついで街を歩いてみようと方針転換し、えもいわれぬ臭いの中をちょっと探索。
「米国カリフォルニア風」串焼、って…..連れいわく「ないぞそんなもん」。
面妖な食材の屋台もあれば、食べ方の判らない果物屋なんてのも並んでいる。
目抜通り(?)を軽く一往復した中でひときわ気になったのが「桂林湯城」。
寒いから汁物もほしいねと言っていたところでもあり、店構えが清潔そうなので入ることに。
料理名を見ても何のことだか二人が二人さっぱり判らない。説明を聞くがそれでもぴんとこない。
えぇいもういいや、とばかり名前の妖しい順から炒め物・揚物・主食を注文してみる。
名前からして汁物の専門店なので一鍋どれかとりたいが、見ていると四人分はありそうで迷う。
しばらく間を置いてから、雀が入っているとかいう汁をとることにした。
料理はどれもあっさりめで美味だった。不思議なクリームソースに感心しているうち、すずめ汁ついに登場。
ぱっと見に具はなさそうだったが、混ぜてみると…..赤裸の雀が!何羽もおるぅぅぅ!
どうしたもんかと箸でつんつんしている私をよそに、隣は平然と頭からかじっている。
「うまいから食べなよ」うぅん、でも…..。とりあえず汁を啜る。甘みがあって悔しいほど旨い。
そして恐る恐る雀を食す。何だか鶏レバーのような一癖ある味だった。だしだけでいいや。
汁には雀の他に蓮の実・枸杞・木耳・押し麦のようなものが入っていて漢方の神秘を見た気分。
美味しい物で満腹になって、さて食後の果物でも買おうかということになった。
当地の特産だという文旦のような黄色いもの・火龍果・葡萄なんぞを選ぶ。
全部でいくらかときいたら百三十五元…..さっきの夕食二人分より更に五割も高い!
珍しいから仕方ないのかなぁと素直にぼられて宿に帰ってしまった。
部屋にて試食。文旦もどき、美味しくない。杭州文旦の半分も味がないぞという感想で一致。
火龍果は見た目が赤くてトゲだらけなのだが、割ってみると白くてキウイのようなものだった。
一番いけたのは葡萄(日本の赤葡萄に近い)というのも何だか皮肉な気がする。
上海市内の名所「玉仏寺」見物。笑える。
明日も旅行なのだが市内見物もしておきたいと思い、午後から出かけた。
押し合いで内出血しそうなほど混んだバスを乗り継いで一時間半。
ビルマ伝来とかいう白玉製の仏像で有名な「玉仏寺」は幹線道路沿いにあった。
線香をいらんほど束ねて売っている婆さんに「一把一塊、ありゃんと」と言われる。
一見で日本人と判ったから「ありがとう」と言いたかったらしい。でも買わず。
こっちの風習に倣って礼拝するだけの知識がないから避けて通ってしまった。
白玉製の涅槃像は艶めかしい光沢があり、隣の人が「女か、これ」と言っていた。
言われてみると確かに、仏様にしておくのが惜しいほど色っぽい。腰が(笑)。
そのお堂の向いが売店になっている辺り何とも中国らしいと言おうか、上海だなぁと云おうか。
ホログラム光輪つきのブラックライト阿弥陀座像(しかも二体一組)には笑うしかなかった。
本堂らしき所には妙に肉桂のつんつんした阿弥陀座像がやはり二体ましましていた。
信者が座布団に額をすりすりしながら憑かれたように何度も何度も拝んでいる。
真摯な姿を見て馬鹿にする気にはなれないが、でもここの仏様に御利益はないんじゃ…..。
顔が異常に人間(しかも中国人)くさいのだ。極彩色にも関らずまるで神々しくない。
堂内の両脇に陳列された諸神将しかり。しかも頭部がでかいので面白いとしか思えない。
建物もよく見ると面白い。鬼瓦が龍なのはいいが、瓦を咥えてかつ笑っている。
壁にも龍が浮彫りされていたが、これまた笑顔。かつだらしなくとぐろを巻いている。
不思議だったのは何体もある狛犬の全てが石の玉(つつくと動く)を咥えていたこと。
燃え盛る線香の煙でむせそうなので長くはいられなかったが、写真は撮った。
起きられず。授業まる無視で休養。
睡眠時間が圧倒的に不足してしまい、疲れも取れないまま朝になった。
授業に出る準備はしてあるものの、立ち上って三歩と動くことができない。
眠いだけでなく、体もどこか壊れているようだ。頑張って目覚ましだけ止める。
すぐ前後不覚に陥ったかと思ったら、午後まで寝続けてしまったらしい。
よく寝た感覚はあるのだが疲労感がぬぐえないためそのまま残りの授業も無視。
というより出たくても出られない。足がふらついて階段を降りることもできないからだ。
呆然と意義なく時間を過し、やっと回復した頃には夕方になっていた。