見えない苦労と見える皮肉

中国語には繁体字と簡体字がある。
前者は昔からある漢字で、後者は文化大革命の絡みで発明された大陸独自の文字だ。
情報処理の点から言うと、前者はBig5、後者はGB系の文字コードが使われている。
文字コードが違うということは、パソコンから見て両者が違う代物だということを意味するのだ。
ところが中国語に使われる文字セットはUnicode準拠のため、両者を包摂している。
つまり、同一の表に別の文字として登録されているのだ。
例えば「経」には7D4C、「经」には7ECFとコードがつけられている。
簡体字を読める人の目にはどちらも同じ(意味の)文字だが、機械はそう思ってくれない。


枕が長くなった。
某案件でややこしい原稿が出てきたのだ。
・「簡体字」と発注されたにもかかわらず、文字がどう見ても繁体字。
・字体は大陸で広く使われている「SimSun」がほとんど。
・いずれの文字コードで作成されているのか知る術はない。
これら三点は、普通の人から見て何ら問題にならないことばかりである。
私の場合どこが普通でないのかというと、手元に同一顧客の過去訳を持っていることだった。
過去訳は簡体字で「SimSun」表記の原文だったものが蓄積してある。
同一顧客の過去訳があれば用語や言い回しをそちらに合わせて翻訳を進めるのが常。
ところがいざ検索しようとすると、上記の理由で引っかかってくれないのだ。
それでも用法や前後の表記を覚えていればどうにか探し当てることはできたのだが。


一晩で訳し終えて早朝に納品したはずが、午後になって「新版」原稿が支給された。
旧版との差異がどこにあるかの案内はない。
それどころか、新版は全編が見るからに簡体字で作成されていた。
つまり、昨晩との差分を取るにも機械的に検索できないということだ。
新旧両方を並べれば、目には同じ箇所がすぐ分かる。
そこで旧版の対訳から訳文を拾ってきて新版の該当箇所に貼り付ける作業とあいなった。
記載順が一致しているうちは、それでもよかったのだが。
書式の保持やら何やらと表面には出ない作業もあれこれ発生。
しかし新版への対応経費は新規訳出分の文字数に通常単価を乗じた金額だけだった。
手間は倍ほど掛かっているのに釈然としないが、商品は成果物なのだから致し方ないか。

互換性と流用

数十枚の原稿ファイルと数百枚の資料へのリンクが渡された。
曰く、リンク先の資料がかなりそのまま使えるので流用するようにとのこと。
どの部分がどれだけ使えるのかという情報はない。
一から訳せと言われても探し出したであろう資料なので、そこから先を探すのは何でもない。
気に掛かるのは、文言をそのまま流用するようにとの指示だ。


原稿は、とある国際規格に対応した中国国内規格。
その国際規格は英語で作成されているが、日本語版「仮訳」が出回っている。
参照/流用するよう指示された資料はその「仮訳」だ。
用語や言い回しの統一のために便利だろうというのは頷ける。
特に複数の翻訳者が絡む案件の場合は統一性が優先されてもおかしくない。
しかし、今回は一本の規格を全て私だけで担当している。
言い回しなどが揺れる心配はあまりしないでいただきたかったところだ。


本件の実作業としては、
1)原稿の内容と合致する文言を資料から探し出し、訳文に流用する。
2)中国ならではの内容などで資料から流用できない箇所は一から訳出する。
3)自分で訳出した箇所の用語や言い回しを流用した文言に合わせる。
となる。
ただし文書の構成上、作業順は2)→1)→3)とせざるを得なかった。
また、規格文書の序文などは他の規格と大差ないので自分の過去訳が使える。
実際に訳出した箇所は分量にして全体の2割もなかった。
やり甲斐としてはたったの2割弱だが、3)の手間には充分すぎる量だったとも思う。


本件の翻訳会社が出回っている文書の流用を是とするのには一応の理由がある。
見慣れた文体のほうが読者は安心できる、というものだ。
意味以外のところで引っかからず読めるようにするには、既存の文を使うのが早道だと。
「それを分かって呑んでくれる人って少ないんですよ」と社長に言われた。
それはそうだろう。
正直、心が痛む。
誤解なく通りの良い文を目指して自ら訳出してきた箇所を、
他人の足跡に合わせてほぼ機械的に「修正」する作業が続くのだ。
そこに善悪の判断は挟まない。
発注者からの指示であり注文なのだから。
流用箇所で変更を加えたのは、ほんの「てにをは」程度。
用字の揺れもいくつか見つけたが、敢えてそのまま適用した。
そうしておいたほうが後工程には都合がよかろう。


反面、この手法でもたらされた富もある。
気持ち悪いほどの生産性だ。
一から訳出したら丸三日はかかりそうな分量が、一日弱で終わってしまった。
ただ、この生産性が常時あると期待されても困るので、まだ納品はしていない。

マイペース

先週あたり何かと他者に振り回されるような日々が続いていた。
振り回されて迷惑だと感じるならば自分が毅然としていればいいこと。
特に迷惑でもないならば振り回されているなどと意識しなければ済むものだが。
なかなかどうしてそうも行かず調子を崩していた。
世間様に言うところの三連休でそこそこ復調したので自分のペースなるものを考えてみる。


一般にマイペースというと「ゆっくり」がついて回る気がするのだが、私は例外なのだろう。
「のびのび」でもない。むしろ「かっちり」だ。
意識してゆっくりと時間を過ごすことはできるようになってきたが、それともまた違う。
ことを進めるにあたってゆっくりしていられない性分と言う方が近い。
短絡的で性急というほどではないつもりだが、何事もさっさと進めるのが好きだ。
事前に見積もった工数以内で片付くと気分がいいのは誰でも同じかもしれないが。
ただ、その工数を見積もる手間はしっかり取っている。
あまり厳密に線を引いてしまうと首が絞まるのは春先に学んだので、余裕分も考慮。
その余裕分の「予算」の中で外出したりもできるようになってきた。
何年もこの仕事をしていて恥ずかしい話だが、なかなかできなかったことである。
仕事以外は何でも後回しにしてばかりいたのだ。
たいていはそれで済む程度の案件ばかりなので「え、仕事してたの?」となっていた。
それが、まとまった規模だったり納期見合いで作業量が指定されたりすると話は変わる。
どこまでを何時までに、と線を引いておいて進捗管理をしないと落ち着かない。
そのペースの計算、配分、実行(、再計算)が私にとってのマイペースだと気づいた。
恐らく、似たような業態の人々にとっては当然すぎて意識することもないものなのだろうが。

下請け稼業と家族商売

珍しい電話をもらった。
「下請け専業の翻訳会社なんですが、一緒にお仕事しませんか?」というもの。
請けそびれた案件の発注元翻訳会社から紹介されたのだという。
普通は登録翻訳者募集の場合、応募者がメールで履歴書等を送付する運びになっている。
ところがこの会社、社長が電話してきて副社長に代わってハイ完了だったのだ。


驚いたのはそれだけではない。
・人間関係にこだわる
 社長の自己紹介からして「?」だった。
 「細く長く付き合う気しかないんです」と言われても当惑するばかりだ。
・基本報酬が他社の半額
 実は下請け専業の他社にも登録しているのだが、そこより更に安かった。
 最近の受注事情で値下げせざるを得なかったからと云って、支払額4割引とは。
・関係者がみんな同姓
 こういうのを家族経営と言うのだろうか。
 我が家では互いの仕事に全く手を出さないので好対照かもしれない。


まずは実際の仕事を請けてみないと取引先としてどうなのかは判断しかねる。
従来の取引先にも人間関係にもなかった種別の人々なことは確かだが。
それを理由に取引を始めないというのも勿体ない気がして条件を提示してみた。
正直、気は重い。
厭な予感が的中しないことを祈る。

縁日屋台のプチたい焼

番外編。近所の夏祭りに出ていた屋台。味は選べて9個300円也。
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上には抹茶云々とあるが、実際はポークビッツだったりと不一致あり。
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これは流石に鯛焼きとは認められない。
全くののっぺらぼうで、鱗はおろか目もないのだ。
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粒あんは意外とあんこの味がした。
いかんせん、生地がやはり鯛焼きでない。ベビーカステラそのもの。

ぶれない人

鳥仲間と会ってきた。
先週の話をしかけたところ、「ブログに書いてたあれですか?」
何とまあ彼女も読者だった。
どうしたことか、このブログの読者は感想をコメントではなく対面でくれることが多い。
先月も話した相手なので他の近況報告もあるまいと思っていたのだが。
「この一年でだいぶ変わりましたよね」と意外な一言。
色々な物事の捉え方が変わったのはお互い認めるところではある。
「そんな(苦手そうな)相手と接触して、…って心配されるんですが、大丈夫なんですよ」
無理に友達を作ろうとも思わないし、特定の相手を敢えて引き留めることもなくなったという。
特にそうしたい相手ならともかく、そこまで自分が思わないなら、と割り切れると。
「ぶれない人って憧れます」と言う彼女、ぶれていないと思う。
ミクシィやらついったーやらで去っていった人達の話もいくつか聞いた。
片思い状態で親交は成立しないから諦めはするものの、最後にありがとうを言いたかったと。
何としなやかな強さか、と思った。
世の中にはくどく感じる向きもあろうが、私は彼女を支持する。
見習わねばとも思う。
どういう事情で去っていく人とも、交流があったことは事実だから。
親しかった時にかけてくれた言葉には、嘘がなかったと信じられるから。
その時があって今の自分がいるから。
信実というやつか。

言葉ないし自分はどこまで素直か

苦手意識は持っていなかったのだが、センター試験で最低点を叩き出したのは国語だった。
よくそれで合格したものだと大学の同期にはさんざん笑われたものだ。
自己採点では古文と漢文が満点、現代文が恐ろしく悪かったのを覚えている。
つまりは文の「意図」が読めていなかったということだろう。
それが今や日本語を売る商売で食べていられるのだから不思議なものだ。


人の話を鵜呑みにしやすく、何でも字面どおり額面どおり受け取ってしまう帰来がある。
それと裏表で、言われていないことの察しが悪い。
だから「気が利かない」し、人にも好かれない。
…というようなことを刷り込まれてきたような気がする。
断っておくが、誰が悪いのではない。
「お察しください」文化になじめない性分なのだ。
ほぼ何でもかんでも自分の言葉で整理しないと気が済まない。
今でも時々「(そんなことを)分析してどうするの」と言われる。
確かに実用的な分析ではないのだろうし、いちいち失礼なのかもしれない。
恐らく愚痴をこぼすようなもので、線を引ければ少し落ち着くだけのことなのだ。


何でもかんでもとりあえず否定してかかり、悲観的な言葉を投げつける人がいる。
そうした言葉を浴びながら、いちいち真に受けてきた結果なのだ。
真に受けたのは自分の情動であるし、某かの判断が働くべきところだから自分の責任。
しかし未だにその責任が自分に対して負いきれずにいる。
どうしてやったら自分は素直になれるものだろうか。

たい焼 たこ焼 「ゝ神-TENJIN-」

店名のとおり、たこ焼きも扱っている。小倉130円也。
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いわゆる天然ものだが、保温ケースに入っていた。
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太った鯛のように丸いのだが写真で伝わるだろうか。
生地は薄皮タイプだが、保温時間が長かったのか内面はしんなり。
香ばしい風味は充分に残っていた。
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あんは甘く、ほくほく、ぎっしり。喉が渇いた。
ぎっしり詰まっているという表現がこれほどしっくりくる一匹もない。

ちか八

煎餅など他の和菓子も扱っている業態。小倉あん130円也。
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恵比寿様焼きなるもののほうが有名らしいが、敢えて鯛焼きしか買わない。
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ふっくら分厚く庶民的な感じ。
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ふかふか好みの人にはたまらないだろうとは思いつつ、自分は薄皮派であることに気づく。
あんは正直あまり存在が感じられない。

いろいろはんぶんこ

昼前から大切な人に会ってきた。
親友と称しても失礼ではなかろうが、彼女に言わせると「兄弟」(姉妹ではない)。
予定が詰まっていて多忙だと言いながら、手みやげまで用意してくれていた。
席に着いてから料理が出てくるまで時間があったので、冒頭から物々交換の勢いに。
彼女が赤い鯛焼き、私が白い鯛焼きをとったので、半分こしてしっぽ部分を交換。
示し合わせたかのように作業が順調で、互いに噴き出してしまった。


対面こそ半年ぶりだが、日頃から会話があるので近況報告は特になし。
その行間にあったような、文字にはならないようなところが主な話題だった。
文字にできるほどまとまっていなかったこと、敢えて指摘するまでもないようなこと。
聞いているこちらがこわばるような深刻な事態でも笑いながら流してしまう。
笑いながら流すことに意味があるのは分かっているので、ところどころ一緒に笑った。
とは言え、いちいち文脈を考えて調子を合わせていたわけではない。
お互いに間合いが読めるので、特に意識せずともそうなるのだ。
世代も生活環境もまるで違うのに、何とも不思議なほど、馬が合う。
初めて耳にする話題でも、相づちは「やっぱりね」になってしまってばかりだった。
その状況でこの人だったらこうするだろう、というのがまず想定から外れないのだ。
「そういう性分だからねぇ」と笑いあうことしきり。
悲しい話もいくつか聞いたが、意外と涙は流れなかった。
そうでしたか、そうですね、と頷くことしかできなかったが、それで充分だとも分かっていた。
つまりはそういう間柄なのだ。
彼女に言わせると、私は自己評価が低すぎる。また笑いながら叱られた。
そこだけは意見が合わずとも譲れないそうだ。
買いかぶってくれても何も出ないよ、と私は本気で思っているのだが。
他の人には下にも置かない扱いをされると窮屈で仕方ないのに、ここでは苦笑止まり。
彼女の説得力が秀逸なのか、私が勢いに呑まれているのか。
いずれにせよ楽しいのでよしとする。
「ご近所だったらもっとおしゃべりできるのにね」
「仕事になりませんって」
「そりゃそうだわ、ならないならない」
だいたいそんなことを言い始めると席を立つ時間。
励まそうと思っていたのが、逆に元気をもらいすぎてしまったかもしれない。