HSK(漢語水平考試)の申し込み。高いか安いか。

例年は一月に行われている冬のHSKが何故か今回は十二月二十日に変更された。
標準中国語の実力を測るためのテストなので学期末にやってほしかったが、致し方ない。
国家教育委員会が直接やるものなので学校の都合などは考えてもらえないらしいのだ。
一級から八級まであるが、今回の目標は六級。大学院の留学資格に相当する。
開催側いわく「中国での二年間学習水準」だそうなのだが、半年でどこまで行けるか。
掲示板の貼り出しによると受験申込は今日から来週の金曜あたりまでとある。
原則として会場はここになるはずなのだが、申込が遅くなると別会場に飛ばされるらしい。
不案内な町中で受験させられるのは嫌なので午後の受付開始から教務課に行った。
申請用紙を途中まで書いて提出すると、受験料と名前を書き付けた紙片を渡される。
料金はここではなく、二つ隣の財務室で払えとのこと。二度手間。だるいったらありゃしない。
領収書を教務課に戻って提示すると、窓際のお姉ちゃんがパソコンに何やら打ち込み出した。
そしておもむろに印字。記入漏れでやり直し。次の受験者分と一緒に印字されて受験票が出てきた。
いわく、「あんたのやりなおしてて遅れたの」。当然ごめんねの一言もない。この仕事に二百五十元?
ともあれ会場は構内の施設に落ちついたのでいいとするしかない。古いLL教室なのが癪だが。
試験は二十日の午前九時から。受験票・鉛筆・パスポート持参のこと、とある。
構内で九時ならむしろ寝坊できるぐらいなのでありがたい。問題は勉強だな(笑)。
せめて五級はないと…..それにしても何で大きい数字の方が高級なんだろう。

初めてクラスの商社マンの家に遊びに行く。やっぱり違う。

勉強が終わって手持ちぶさただったので三号楼の知りあいの部屋に喋りに行った。
現地のパソコンを買いに行きたいと言うのだがどこにいつ出かけようかを相談でもしようかと。
折良く彼は出かける寸前で、家電売場の広いスーパーに行こうとしているという。
もう一人と一緒に行くと言うので十分後に待ち合わせということになり、一旦お開き。
先に彼の知りあいの商社マンの所に寄るがいいかと聞かれた。異論はない。
企業から派遣されてきている社会人留学生の暮しとやらも覗いてみたかったし、
実は今クラスが同じなので私も知っている人なのだ。
五階まで階段しかないというのが意外だったが、中はビジネスホテルのようなものだった。
違うのは台所の流し施設がちゃんとついていることぐらいである。
飲物と何故かおでんを出してくれたので一同つつきながら一服。
そろそろ行こうかと言った時には既に数時間が経っていた。
問題のスーパーに着く。日本で言うダイエーぐらいの規模で割と立派なところだ。
二階と三階が家電品売場だというので三階まで登ってみる。妙に広い。
しかし行けども行けどもパソコンはない。売場の人に聞いてみると「ここにはないよ」。
誰だ!三階で扱ってるなんて嘘を教えた店員は!…..しかも二階にもなかった。
止む無く捜索を断念、学校前の通りに戻って夕食。おごってもらえた。
何故か食後から遊ぼうということになって、再び「南苑専家楼」へ移動。
最初いたもう一人が抜けてしまったので代わりに私の知らない顔触れが入った。
四人で「大富豪」。万年貧民。まぁ遊びがてらの雑談が楽しかったからいいとする。
寮に帰りついた時、校門は閉ざされていた。開けてもらって門番に頭を下げる。
何度も続くと警告を受けるそうで、台帳に署名させられた。

いつぞやの「商談」やっとまとまる。一安心。

日本人の知りあいに私の「互相」を補導要員として紹介する話が出てから十日は経つ。
希望条件を詳しく聞いていなかったので私は二人を引き合わせるだけのつもりだったが、
あいにく依頼側が風邪でつぶれてしまっていたので連れ出す訳にも行かず今日に到っていた。
いつも通り互相学習を終えてから彼女が思い出してくれたので、とりあえず電話してみる。
声を聞いたところ先週よりは回復してそうだと思った瞬間、電話機が壊れた。
「あのう、もしもし…..今ちょうど彼女がね」としか言わないうちにぷつり。
止む無く私が部屋まで足を運んで事情(午前中は中国人入構禁止)を説明する。
待ってくれているから起き出せたらでいいから来て欲しい、とだけ伝え急ぎ戻る。
彼が数分で現れただけほっとした。とりあえず会客室の空席に詰めて座る。
用件は先に話してあるので互いの名前だけを改め、しばらく当事者同士の商談を静観した。
私は単なる紹介者なので言わば高みの見物を決め込もうと思ったのだが、そう世間は甘くない。
彼女は私の癖ある中国語を聞き慣れてしまったので、普通の日本人の発音が判りにくいらしいのだ。
私とて流暢に喋れる訳ではないので二度なり三度なり言葉を変えて口を挟んだだけなのだが。
ともあれ話は円満にまとまった。去り際の彼女に謝謝とだけ言って見送る。
向うしばらくは今までと変わりなく来るだけなので、彼女の最後の一言はいつもの通り、
「ではまた、来週の、火曜日。一時、半」まで日本語で頑張って、再見!

やや早いが今月の打ち上げ。ご馳走と買い歩き。

今日は授業もそこそこに点心の有名な上海料理店で昼食を摂った。各種点心のコース五十元。
その店は観光地「豫園」の間近にあるので眺めも面白い。見渡す限り伝統的建築なのだ。
二階席の窓側に通されたので向かいの土産物屋の軒先なんかも見えてしまう。
どうやらご当地のものらしい民間芸術・絵文字の実演販売に人だかりができていた。
しかも列の先頭で買物をしているのは日本人観光客の二人組。何だか親近感を覚えてしまった。
食べているうちに店内が混んできたので追い立てるように勘定をつきつけられ、席を立つ。
どこかのパック旅行らしい団体客がどやどや押しかけてきたのだから致し方ない。
とりあえず窓から見ていた土産物屋で私も絵文字を書いてもらう。額つきで五十元。なかなかよい。
たかが漢字一字、されど吉祥模様で描かれた名前である。伝統美のようなものが感じられた。
珍しい動物のぬいぐるみを売っている店があったので各人それぞれ二つづつ買う。
師匠は犬を二種類、私はジュゴンと獏らしきもの。しかもしっかり値切る。
何とか雨に遭わないで済みそうなので食後の運動がてら「図書城」まで二十分ほど歩くことにした。
途中、不法露天営業者たちが「サツだ、早く逃げろ!」などと四散する姿を目撃。本当に速い。
図書城では折角なので素晴らしくマニアックな本を買った。隷書と篆書の精選作品集。
本当は立読みで名字さえ見ればいいかと思っていたのだが、何故か買ってしまった。
そして階下で印材と彫刻刀を入手。冬休みの暇にでも思い出しつつ篆刻をしよう。
それから道すがら師匠の買物につきあう。カレンダーとクリスマスカードと年賀状。
面白いことに福州路という通りは紙や文具を扱う大小の店が並んでいるのでよりどりみどりなのだ。
軒先に並んで売っている物はやはり色褪せや埃が気になるらしく、結局は本屋に落ちつく。
専用の売場を設けて頑張っている本屋に年末を感じ、やや無常を覚えた。

おまぬけ。鍵を部屋の中に封印してしまう。

無難に一日が過ぎたなぁと思いつつ部屋に帰り、鍵を開けようとしたら…..ない!
学食に置き忘れたんだろうか、それとも買物をした店でなくしたんだろうか?
もし外でなくしたなんてことになると部屋が改装される大変な騒ぎになりかねない。
我ながら一瞬で血の気が引くのを感じた。しかし持って歩いた記憶も今一ない。
小雨っぽい中を学食へ走るが、ない。これは管理人のおっちゃんに訴えねば!
しかし、おっちゃんの返事は「合鍵なら購買で二十元」…..手元にはないという。
購買で売っているという意味ではないらしい。購買の隣にいる門番にお金を渡せというのだ。
門番に部屋の鍵がないんだと言うと部屋番号と名前の照合をされた。
それだけで合鍵をくれるんだから怖いと言えないでもないが、背に腹は代えられないのでもらう。
門番いわく、二十元は押金で本鍵を見つけられたら合鍵と引換えに返すという。
しかし本当に見つかるものなのか自信はない…..ともあれ帰って探すのみ!
合鍵で扉を開け、入って明りを点けてみると…..あった。授業に出る時の鞄と一緒に。
学食に行くだけだからと財布だけ抜き出して、鞄ごと封印してしまったことになる。
鍵は鞄に入れたからと安心していたのが間違い。鞄は持たなかったのだから…..。
そもそも鍵がなくても施錠できる扉の作りに納得が行かない、と言っても無駄だろうか。
聞いたところによると、同様の事件は日常茶飯事だそうだ。何てこったい。

昼下り、大八車に山積みの便器とすれ違う。???

今日は朝イチの授業が退屈だったので、私も師匠も関係ない物を書いて過していた。
私は卒論のねたにしていた長い漢詩を全部、彼女は覚えている限りの「三国志」登場人物。
各人つらつらと思い出しながら書いていたが、私の方が早く終わってしまった。
そして休み時間に彼女のノートを見せてもらい、私が思い出した人名を書き加えてもらう。
奇しくもその中には沂水関の将軍・その名も「卞喜(べんき)」が含まれていた…..。
何て可哀相な名前をつけられた人なんだろう、などと云いつつ彼女の部屋で昼食。
そこにあった資料では、百回を越える人形劇の放送中たった一回しか現れなかったという。
そして役柄は、酒をふるまったにも関らず何の苦もなく関羽に斬り捨てられるだけ。
更に可哀相ですね、などと話しながら午後の授業へ向う途中…..。
いつものように用務員のおばさんが作業服で大八車をひいて通りかかった。
ふと見ると洋式便器が山積みになっている?!我々ばかりでなくその場の人みんなが笑った。
何故どこから何のためにどこに、おばさんは便器を引いて行くんだ?!
卞喜は沂水関を守る。便器は水洗の厠にある。そこで命名。お手洗いは「沂水関」だ!
それを聞いた師匠はばかうけ。笑いすぎてまともに階段が登れない。
しまいに彼女が涙を拭こうとハンカチを出したので更にとどめ。
沂水関には青龍刀とハンカチを忘れずに。

この時期にもなって美味しいアイスを発見。でも残り少なし!

今日は珍しく師匠が学食に同行した。彼女はそう簡単には学食を利用しない。
最近どうも栄養が片寄りがちなので我慢して青菜を食べようと決心したとのこと。
確かに学食の冷めたやたら塩辛い野菜炒めは食べるのに我慢が要る。
私は慣れたからまぁ耐えられる程度だが、この季節ご飯が冷たいのはやはり閉口もの。
かれこれ二人でぶつくさ言いながら絶妙にぬるい料理そして白飯を食す。
今日の青菜は最近にない塩辛さで私でも水分が欲しくなった。しかし入手できない。
外で買うならジュースよりアイスを選んでしまう私は、何となく師匠を誘ってみた。
小銭持参でないとのたまうので、とりあえず私が払うことにして引きずり込む。
数件の小さな店を覗くと、一件だけやけに品揃えの豊富なところがあるではないか!
何故か当地のアイスには値段が書いていないし値札もついていない(つけられない)のだが、
この店では畳大の黒板にずらりと価格一覧が書き付けてあった。二十はあるだろうか。
知っているものもあれば知らないものもあり、とりあえず手に取った棒アイスの値段は…..?
何と一元半。二十円ちょっとで買える。二人分でも三元。既にいい買物をした気分。
いざ、試食。類似品は何度か食べたが、これに勝るのは今はなき三元アイスのみと判定。
残り少なかったから多分この調子だと二人で食べ尽くすんだろうな…..。

EMSにて仕送りをもらう。便利なもんだ。

一時期あまりに寒かったので親にコート代を請求してしまっていた。
当初そこまで重装備は要らないと云ったのは私の方なのでやや心苦しい。
無駄に使わず残りは返すという約束で、親が送金してくれることになった訳である。
先週の金曜に発送してくれたはずだった。
郵便局員の友達にもらった資料によると、国際郵便に現金書留はないらしい。
普通郵便物に書留と保険をつけるよりはEMSの方がいいだろうと思い、親にその旨を話した。
特定の相手国にしか出せない種類の郵便物なのだが、扱いが丁寧でしかも早く着くのだ。
本来は事務書類用の郵便制度らしいので、内定先の社内報も併せて送ってくれるよう頼む。
親いわく一週間から十日かかると局員に云われたそうなのだが、有難い杞憂だった。
日本発の便は上海になら早ければ二日で届くのが普通だろうと後で聞いた。
時間が延びればのびるほど安全性は損われるので早くて感謝というところである。

暇なので読書にふける。辞書なしでも案外いける。

今日の「互相学習」には一時間しかかからなかった。毎週の恒例ではあるが、暇になる。
昨日の子に「添削するから何か書いて」と言われたのを思い出し、作文を書くこと一時間半。
貸してもらった「青年文摘」なる雑誌を適当に眺めるが、思想がかっていていまいち面白くない。
TVも再放送だらけ。かと云って今から昼寝をしてしまうと夜よく眠れない。
ふと気が向いて「辨公室実用口才」の本を手に取る。安いので買ってみた実用書だ。
弁舌による現代の処世術を説いた本らしいのだが、何故か表紙写真はダウンタウンの顔。
思わずブックカバーを裏返しにかけなおして糊で貼り付けてしまった。
前書きは買った時に読んだのだが、知らない単語が多いので本文は見ていなかった。
いちいち辞書を引くのも気分を害するので後回し、ということにしてしまっていたのだ。
だが改めて見てみると別に難しい単語もないし、文の構造も複雑ではない。
どうやら多少は授業の御利益が現れてきたようである。ちょっと嬉しくなった。
時間は読破できるほどあるのだが、考えながら読んでいるせいか目が妙に疲れる。
とりあえず第一章「耳は口の師である」だけ読み干したので、残りの実践編は後日のお楽しみ。

またもや停電。電話まで停まるなんて聞いてないぞ!

水曜頃に出された通知では、今日の早朝五時半から夕方六時半まで停電になるらしい。
則ち電熱器のお湯がもらえないことになるので昨日から熱湯は汲み置いて待機していた。
実際のところ何時から停電が始まったのかは判らないが、かなり早かったらしい。
八時に会客室へ行くと受付台には数本ろうそくが立ててあった。何だか不気味。
できるだけ明るい窓辺を選んで座り、今日の「互相学習」にいそしむしかなかった。
十時半に部屋へ戻り、まだメールチェックをしていないことに気づく。
昨日のうちにバッテリーの充電は済ませてあるから停電は関係ないはずだ。
が、いざ接続を試みると「発信音が聞こえません」の表示。とりあえず電話線を確認する。
どう見てもちゃんとつながっている。まさかと思い電話の受話器をとってみると、何の音もしない!
停電は知っていたが、電話まで停まるとは思いもよらなかった。愕然とする。
今日の午前中に書いたメールが送信できたのは午後四時をまわってからだった。
それでも私はまめに電気が来ているか確認していたから四時で済んだのだ。
きっと中には通知を鵜呑みにして六時半まで耐え忍んでいる人もいるに違いない。