中高生当時は体育の次ぐらいに苦手だった家庭科。
不器用な私は実践が苦手だったうえ、受験の役にも立たないのが気に入らなかった。
でも実はかなり肝心な生活そのものには五教科よりはるかに役立っている。
カレーの材料、ボタンの縫い付け方、……、
掃いて捨てるほど稼げる人を除いてはかなり使える知識だったのではなかろうか。
が、家庭科の授業には最も肝心なところが抜けている(た)。
昔よく兄と言っていた記憶があるが、家庭の「作り方」がない。
衣食住の「作り方」は入口程度にどれも書いてあって教わってきたが、
そもそも家庭そのものの作り方がないではないか。
当時のネタは出会いから結婚のプロセスが授業にないという笑い話だったのだが、
そういえば家計についても全く学習機会がなかった。
諸外国では経済を習うところすらあるそうだが、いいのだろうか。
家計運営やらなけなしの資産運用やらは、本屋に行けばその手の本が結構あるが
自主的に調べる(探しに行く)必要があっていいものだろうか。
社会に出てから青くなって見に行って、間に合っているだろうか。
郷愁と似て非なるもの
今の住居を買う前に暮らしていた町へ行ってきた。
片道6kmぐらいあるので散歩にちょうどの距離ではある。
行きは氷水と財布ぐらいの軽装で出かけ、焼肉屋で夕食を摂って帰りは買い物をしたので電車に乗った。
その町を離れて約2年半。幹線道路の両側はこぎれいなマンションだらけになっていた。
薄暗い雑居ビルだったはずのあたりにしゃれた賃貸物件が建っていたり、
お気に入りだった回転寿司屋がカジュアル中華になっていたり、
見れば見るほど暮らしていた当時と違う様相だった。
単なる懐かしさとも郷愁とも違う、しみじみとした気分。
大きな建物は当時と同じ顔ぶれだったので道に迷うことはなかったが、
商店街の古本屋がコンビニになっていて時の流れを感じた。
そして元が何だったか思い出せないモデルルーム。
まだマンションが建つらしい。そんなに人がいるんだろうか。
よく野菜を買いに行っていた駅前のスーパーも明るく改装されていた。
地場野菜に強み、といった品揃えはどこかにいってしまったが、
A級品とB級品が並んでいるあたりは変わっていなかった。
同じ都内、ほんの数kmなのに馬鈴薯の値段が倍も違う。
やはり今いる再開発地域は人の住むべき処ではなかったのかもしれない。
涙色のお金
辞めた会社から最後の給与振込通知があったので、すぐ下ろすべく郵便局へ。
しばらくキャッシュカードしか使っていなかったので通帳記入に時間がかかった。
だいぶページが進んできたなぁとぱらぱらめくっていたところ。
定額預金が3本未解約で残っていることに気づいた。
日付はいずれも10年以上前。
今では考えられない3%台の金利が付いている。
思い出した。これは進学で実家を出るとき親が持たせてくれた非常資金だ。
「普通の貯金が赤字になっても一応は大丈夫だから」とだけ聞いていて、
当時は何のことだかまるで理解できていなかった。
その心は、定額貯金があるから担保にもなるよ、でも赤字にはするなよ、と。
大学2回のとき、クラブの合宿で入用になり、1本だけ解約したいと母に相談したところ、
「金利がもったいないから」と別途その金額を融通してくれた。
2年後、会社に勤めだしたので返そうかと話すと、ていねいに断られた。
両親とも既に年金生活者だったのに。
実家から会社に通っていた2年弱の間は、家賃と称して月5万ずつ渡していた。
その金額も母は手付かずで取っておいて、やはり定額貯金にしてくれていた。
つまり、結果として、私は完全にパラサイトしていたわけだ。
好き勝手に出歩いたり心配をかけたりして。
しかも「社会人なんだから小うるさく口を出さないで」とまで言ってしまっていた。
そんな日付が入っている定額貯金のページ。
お金に色はないと言うが、ここにはあると思う。
享楽的に消費してはいけないなと気づいたのは遅かっただろうか。
大丈夫なのか?
新橋界隈で時間が半端に浮いたので、駅にほど近いマンガ喫茶へ。
・ドリンクはホットコーヒーのみ
・パソコンはWindows98
・ホームページがIE6のダウンロードサイト
……私は小馬鹿にされてないだろうか。
ネットゲームの趣味はないが、この98でまともに動くとは思えない。
今まで類似業態の店に何度か入ったことはあるが、
どこももっと設備がよかった。
こんなところにも当たり外れってあるのね。とほほ。
コピー不可
パソコンが作業中であろうとなかろうと、他の用事は次々と発生する。
何の気なしにメールの返事を書こうとしてふと違和感に指を止めた。
……そういえばクリップボードは使用中だ。コピーも切り取りもできない。
間が悪く割り込んでしまったらデータベースに関係ない通信文が……
そしていかに普段コピーやら切り取りやらを多用していたかに気づく。
意識したこともないぐらい日常的に使っていたからこその不自由と違和感。
やはり作業中のパソコンは他の用途に使えないのか、とほほ。
#とはいえ他の機能はほぼ普通に使えている。3歳ながら働き者!
これは働いてないだろう
昨日から、それまで会社仕事でしか使わなかったパソコンの使い方をしている。
夥しいデータファイルの山から複数のデータを抽出し、一つの書式にまとめる作業。
どこかの会社からもらった仕事というわけではなく、ダンナの手伝い?である。
あわよくば家業にできそうな事業の種を拾ってきたのはいいものの、
勤め人が副業でやるには情報量と暇が足りなさ過ぎるらしい。
それで私ができるところは分担しようか、というわけで上記の作業をしている。
が、「作業している」の主語はパソコンであって私ではない。
私の実働はせいぜい十五分。
Excelにちょこちょこマクロを書いて調整して、あとは実行あるのみ。
実行段階になってしまったら私本体にはすることがない。
そういえば会社仕事で似たようなことをしていたときもよく手持ち無沙汰になった。
ある意味、私にしかできない作業をしているのだから、卑屈になることはない。
でも退屈のあまり卑屈になりかけたことが何度あったか。
あの頃はあれで普通に給料が出ていたんだなぁ、と遠く思う。
事実上の専業に
究極と言えるほどの個人的な事情で会社を辞めてはや半月。
週に2件ずつ翻訳仕事がもらえているので貧しくはない。
問題は生活リズムの崩れである。
幸いダンナが勤め人なので起床時間はまともなのだが、
することがないと送り出してすぐまた寝てしまう私。
言い訳の仕様がない眠さに負けた自分が厭になりつつ、寝てしまう。
日課を作らねば、という贅沢な悩みに苛まれつつある今日この頃。