朝イチから郊外観光。寒いながら気分は上々。

於:西安→上海
本によると、兵馬俑の博物館は市内から車で一時間ほどかかり、八時半から開くという。
できるだけ見ることに時間を割くには、七時に出発すべし!と早起きして朝食を摂る。
郊外「東線」観光には昨日ホテルで予約したカムリを使う。半日チャーターというやつだ。
いちいち流しの車を探す手間が省けるだけでも余裕ができるだろうとの作戦。
博物館へは八時半ほぼぴったりに着いた。公園がまだ開門していない。
運ちゃんが中に呼びかけると、おやじさんが眠そうに南京錠をはずして開門した。
今日の一番乗りである。なかなか気分がいい。更に学割も効いて朝からご機嫌!
博物館には一号ホールから三号ホールまであるが、当然どこにも客はいなかった。
ただガイドの押し売りが一人いて少しやかましかっただけ。ふりきって一号ホール内部へ。
遺物保存のためなのか広すぎて諦めたのか、暖房が全くない。冷たい中に俑がごっそり。
人にも弓手やら御者やら色々な職業が見て取れる。が、服装はほぼ一緒に見えた。
よく見れば髷やら冠やらがついているのだが、今いち暗くてそこまで覗くのは怖い。
喋ると声が妙に響く。まるで生気のないこの空間では誰の答える気配もないのに。
二号、三号ホールは新しいものだそうで、寒いのは同じだが見やすい照明がついていた。
発掘作業の途中段階を紹介する掘りだしかけの馬や青銅製の武器なども飾ってあった。
観光でなく勉強に来てもそれなりに収穫はできそうな密度の濃い展示館という印象。
次に訪れたのは始皇帝陵。大きさは下からでは視界に入りきらない。
先が見えないほど延々と続く階段には、物売りが何人か来て商売支度をしていた。
階段というと独秀峰の記憶がまだ抜けないが、頑張ってみようということで最後まで登る。
最高地点についてみると何のことはない小高い丘といった感じしかしなかった。
見下ろす西安市内は霧に煙っている様子。街が来た道よりはるか遠くに感じられた。
ここにある地下宮殿とやらは非公開らしく、宝物は別の施設で公開とのこと。それはまあいい。
これで頂上の石榴売りと入場券売場の妖しいハードロックさえなかったらなぁ。
そして華清池。楊貴妃が入ったとかいう温泉なんかがあったりする。
楊貴妃像の立つ「九龍池」は温泉とは関係ないらしく、三mmほどの氷が張っていた。
唐代建築の湯殿を次々と見て回るが、どこにもお湯の張ってある浴槽はない。
底まで良く見えるようにとの配慮なのだろうか。ともあれどれも広く、贅沢な趣である。
建物を塗り直した時ペンキを使ってしまったらしく、色がどうも毒々しい。
これが少し枯れた丹塗の風情を持っていたら、湯殿だけでも十分に色っぽいのに。
蓮や海棠など、花の名前を付けた湯殿にはそれぞれを象った浴槽がある。割と深い。
「温泉って書いてはあるくせに、どこなんだよぅ」と振り返るに、湯気の立つ噴水が?
蓮の花に似せた台から吹き上がってくるお湯は、説明によると四十三度あるそうだ。
五角かかったが、手先をしばらく浸しただけで実に気持ちいい。半分は寒さのせいだが。
おち。庭園の外周にある建物は公衆浴場で、まさに「温泉」だった。ちょっと幻滅。
運ちゃんが勧めるので半坡博物館とやらに行ってみたが、面白い所なし。
ただ入口が巨大な女体である以外、何を見ても意味が判らない。さっさと切り上げる。
市内に戻って今度は自力観光。昨日から気になっていた包子をとうとう買って頬張る。
海老、高菜、貝、小豆どれも一つ一元。味はあっさりめ。あつあつで実に旨かった。
邪推ながら、小豆は日本からの逆輸入ではなかろうか?だって「あんまん」の味なのだ。
そして余り遠くない鐘楼まで歩く。地下道内に参観券売場があるのはやや意表を突かれた。
地上に登り、またまた階段。息を切らしながら市の四方を眺め、写真を撮る。
城壁までは見通せないほど遠いので、以降は車を拾って動くことにした。
まずは「安定門」こと西門を見る。客がまばらで非常に平和だった。
城壁の上に立ち、西の方シルクロードであった辺りをみはるかす。言葉を無くす。
門の上にある建物には天皇陛下の来た跡だとかいう見苦しい一角があった。
この下手な商売っけさえなかったらもっと感慨もあったろうに。
市の外周を辿って今度は大雁塔。手荷物は強制的に預けさせられる。かなり不安。
入場券だけでは塔まで入れてくれず、更に観覧料を取られる。ぼられてる気分。
階段が急な上に天井が低く首まで疲れて途中で息も絶え絶えになる。かなり笑われた。
何より哀しかったのは、登り切っても展望台に類する設備がなかったこと。骨折り損?
大雁塔を見た以上は小雁塔も行くぞ、ということで軽タクを拾いかなり北上する。
さっきとメーターの数字が違うのは何故だろう。ま、安い分にはいいか。
ここでも荷物は預けさせられたが、階段の幅を見ると納得できてしまう狭さだった。
へろへろぷぅになりながらやっとこさ小雁塔を踏破、と思いきや…..頂上に立てない。
奥行が手の幅ほどしかない階段から一歩で最上部に上がってしまったら降りられんぞ。
「えーっ、いいのぉ?」などと冷かされつつ、明日ある身なので空だけ覗いて退却。
余裕を持ってそろそろ空港に行くか、と軽を拾ったら何やらがみがみ言われた。
ずっと乗ると割高だとか何番の飛行機に乗りたいんだとか、とりあえずやかましい。
急ぎじゃないから途中から空港バスにしようか、といったところで運ちゃん御用。
いわゆる自転車道に乗入れたまま走っていたせいでキップを切られたらしい。
どうでもいいけどそれを客のせいにするなっちゅうの(苦笑)。
四時半に出ると言っていたバスが十五分にででくれて助かった。飛行機にほぼぴったり。
結論:西安のサービス業でほめられるのはバス乗場のおばさんだけだ。

昨日の今日で今度は北だ!いざ悠久の都へ。

於:上海→西安
桂林に行こうか西安にしようか迷っていたという経緯があって、桂林へは行った。
すなわち、西安に行く番である(笑)。午前中に飛行機が予約できれば行こうということに。
一口で予約といってもそう楽ではない。人民元を手に入れて代理店に駆け込まねばならないのだ。
更に前回の窓口では上海航空の券を扱っていなかったので市街まで出て買う羽目に。
それでも何とか間に合って、上海を飛び立ってしまった。なんてことだ(笑)。
とはいえ午後の便では到着が三時を過ぎてしまうので観光にでむく暇はない。
西安は見るところが散在しているので旧城内だけに限っても回れる勝算はなかった。
開き直るだだっ広さを逆手にとってタクシーで移動しつつ見えるだけ見てしまえ!
西安空港があるのは実は隣の咸陽市なので、咸陽市街経由で西安を外から見ることにした。
家並は民家どころか工場までがほとんど煉瓦づくり。砂か埃かをかぶっていて少し白く見える。
最初は「シルクロードって感じだねぇ」と喜んでみていたが、飽きるほどみんな煉瓦ばかり。
白茶けた建物が斜陽を浴びる姿は何となく哀愁をそそるが、ところどころ政府スローガンが書かれている。
遠目にいくつか古墳が見えなかったらまぁ刺激のない風景だったことだろう。
それよりタクシーの運ちゃんが自分を売込むのにやかましく、呆れるやら笑えるやら。
BP機(ポケットベル)を持っているというので、一応その番号を教えてもらうことにした。
視界いっぱいに広がる城壁を見つつ、余り大きくない城門から西安市内へ入る。
省都というだけあって都会っぽいが、一つ一つの建物がばかでかかった。
古典建築を再現したような形の行政機関やら、バスの十台もとまれそうな広場から。
間の路地には市場もあるが、これとて上海の農貿市場なんかと較べ数倍はある。
軽工業品、副食品、生活雑貨と扱う品揃えも場所によってまちまちらしい。
宿に着いてすぐ部屋に入り一服。明日の予定を簡単に話し合い、夕飯時になる。
おいしい餃子屋が市内に二軒あるらしいのだが、どちらも宿からは余り近くない。
ドア付近のおにいちゃんにおすすめの方を教えてもらって辺りを眺めつつ歩くことに。
日が落ちたせいか市場の人々は店じまいをはじめている。友諠商店のネオンがうるさい。
ふかしながら売っている包子類の蒸気に誘惑を覚えつつ寒い夕暮の街を歩く。
目的地が見当らないので軽食屋のおっちゃんに聞くと、何も買わないのに親切に教えてくれた。
かれこれ二十分は歩いただろうか。明代っぽいご立派な建物に捜索中の名を発見。
一階は普通の中国人席なので餃子コースを希望なら上へ、と二階へ通される。
他の街では二階席というとだいたい外国人だらけなのだが、ここは中国人が多かった。
楊琴やら古筝なんかの生演奏をやっていて、なかなか雰囲気がいい。
「餃子十八道」なる文字に惹かれ、一人八十元のコースを注文。ビールと菊花茶もとった。
一種類ひとつずつ小さい餃子が現れる。紹介は日本語だが、時々わけのわからない音が入る。
我々の卓が担当のおねえちゃんは日本語のできる人ではないらしい。
これだけ小さいのだけだったら余裕!と思いきや、何故か最後だけ大皿いっぱい。
「翡翠餃子」とか聞いた気がする。生地に法蓮草か何かの葉が練り込まれているらしい。
二つか三つ食べたところで満腹になってしまった。これ食べきれる人おるんやろか。
車を拾い、西門を往復して市街地の夜景を眺める。鐘楼が下から照らされていて壮観だった。
観光できる時間はあいにく過ぎていたので、車窓から眺めるだけでおとなしく帰る。
そして示し合せた通り車とモーニングコールを予約。あとは寝るのが仕事!

漓江くだりで絶景の世界へ。そして待ち受ける現実。

於:桂林→上海
朝食を摂ってチェックアウトを済ませると、漓江くだりのガイドさんが現れた。
一応「日本語ガイド」らしいのだが、我々が中国語でつっこむや日本語をやめてしまう。
まぁ彼女の言うことが判るだけいいとするか。いらんとこで実践学習させられている気分。
革シートの豪華タクシーとやらに揺られて市街地を離れること一時間あまり。
観光船の出発する竹江フェリーターミナルでは、またしても妖しい日本語の応酬。
かなり少ない乗客はほとんどが五十は過ぎたような日本人だった。
空は晴れ間なく曇っていたが、それが却って山々に幽玄味を添える。
二階の甲板に立つと雲の中から岩山が湧いてくるようで、浮揚感に似たものすら感じられた。
川の水は流石に少ないものの、全く濁っていない。淵の翡翠色がとても綺麗だった。
両岸には少数民族の家やら洗濯する人の姿やらが現れては消え、麓も面白い。
干上った川原で鴨が遊んでいたり、壁のように切立った崖を山羊が歩いていたりする。
寒くさえなければずっと外で見ていたいところだったが、最高気温すら七度。
風を受けながら甲板に立っていられる時間は自ずと限られてしまった。
昼食。川の幸ばかり出て来て私にはほとんど食べられなかった。
しかも向いのおやじ共が程度の低い連中だったので辟易して食欲どころでない。
ぼうっと向う岸を眺めてただ時を過していたが、景色そのものは決して悪くなかった。
水位が低いせいで川下りは臨時港「興坪」にて中断となった。本来の目的地「陽朔」へ陸路で移動する。
ここの船着場は山のように土産もの売りがいて、法外に高い値段で何でも売っていた。
面白かったのは水際に鎮座ましましている鵜。でかいがおとなしい。記念写真の有料モデルだそうだ。
船を下ろされた「興坪」は川下りの佳境の一つで、人は桃源郷と呼ぶそうである。
車に乗った時はぴんとこなかったが、数分するうちに頷けてきた。時の止まった風景。
日本で言う明治か大正あたりの家並が散在し、住民の様子もどことなく呑気。
牛を引いて歩いている女の子やら、トラクターに荷台を付けて寝転がっているお兄ちゃんやら。
遠くを眺めては奇岩に目を見張り、近くを省みてはふっと笑いそうになる。これが桃源郷か。
砂糖黍の畑が青々と波打つなか、煉瓦を干したり焼いたりする場所が赤く目立って見えた。
家は煉瓦造りで茅葺きのようだが、茅は砂糖黍の上半分を使っているかもしれない。
ところどころで咲く菜の花が、このあたりは本来ぬくいのだと教えてくれた。
そこまでして行った陽朔は妙に小さい街だった。通りの作りが宿場街を思わせる。
長屋の一階は土産物屋、二階には宿屋。西洋人観光客が好むというカフェ類も並んでいた。
ハードロックならぬハードシートカフェ(ロゴからして明らかに前者のぱくり)が笑わせてくれる。
多分これは中国ギャクだ。ハードシート=硬座を知っていて失笑しない者はないだろう。
町そのものが小さいのですぐに回り終わり、その足で空港まで送ってもらうことに。
桂林の市街地にさしかかったところでガイドのお姉ちゃんが下り、別れも告げず去っていった。
タクシーの運ちゃんが何やかにやと喋りかけてきて面白いやら鬱陶しいやら。
景色も人も面白いところだったが、サービス業の従事者だけは考え物だろうなぁ。
そして、本日のおち。折角こっちは早目に着いたのに、飛行機が来てくれない!
卓球したりものを書いたりで暇を潰すこと二時間。ごめんなさい放送が入り、軽食が配られた。
料理の味は悪くなかったが、飛立っていく他社便の姿を見ると哀しくてたまらない。
もし今日このまま飛行機がなかったら明日どうなっちゃうんだろう?
一応ないことはなかった。だが、上海に着いたら真夜中。タクシーに夜間料金を取られた。

景色も民族も神秘!そして不可解な果物たち…..

於:上海→桂林
とりあえず朝っぱらから上海虹橋国際空港で記念撮影。多分もうそんな機会ないから。
あほらしいながら面白いので勧められるまま「上海」の文字を頂いてまず一枚。
写るんですの残り六枚なのにこんなとこで使って何やってんだろ、私。
飛行機が桂林についたのは正午ちょっと前だった。団体が来ているのか日本人客が多い。
ふと見ると誰もタクシーを拾っていないので思わず顔を見合せる。
何だか気持ち悪いので我々も空港ミニバスに乗って市街へ向かうことにした。
鄙びた町並といい、平地からぽこぽこ出ている岩山といい、まるで現実ではないような景色が続く。
二期作の何かが青々と棚田を満たしているが、道を流れていく人々はみんな上海より厚着だった。
ここってぬくいのか?寒いのか?よく判らないのでセーターを重ね着してみたが暑くない…..。
中心市街は言わばただの都市なのだが、狭い区間に多くの商店が建ち並ぶので濃い感じ。
路線名標識が数百mおきにしか見当らないので現在位置を確かめるのにすら往生した。
昼休みのせいか人影もまばらな市街地を少しさまよって本にある美食城とやらに着いたが、何のことはない。
やや怪しい大衆食堂の雑居施設だった。不安につき宿へ直行することに。
見たことのない国産車(見た目が実に古めかしい)を拾うと、初乗りからして安かった。
で、問題の五つ星「桂林帝苑酒店」。思わず一言「あれ?これ桂林最高級なのか?」
熱帯風の中庭はまあしっかりしていて壮観なのだが、客の出入りしている様子がない。
しかも数人しかいない服務員ほぼみんなが眠そうでやる気なげ。
「日本語でどうぞ」の札を付けたおねえちゃんが何故か中国語で「これはプレゼントです」。
そして差し出されたものは、ちゃちながら星が五つ入ったキーホルダー。…..。
やはり食事は外でいいやということになり、まず明日の漓江下りを予約に行く。
この漓江下りというのが曲者で、パック旅行として早目に申し込まねばいけないのだ。
更にこの冬場などは水がないと中断や中止の場合すらあるという。善は急げ、で宿の旅行部へ。
英語と日本語のついたパック旅行一覧から漓江下りを選ぶ。値段を確認して申し込む。
ガイドの確保をするとかで受付のおねえちゃんが電話をかける。隣の電話が鳴る。
おねえちゃんが切る。切れる。をい、これは五星級サービスの一人コントか?
ともあれことが済んだので、割と近くの観光名所「伏波山」まで食堂を物色しつつ歩く。
蛇や蛙どころかドブ鼠まで食材として大切に(?)飼っているような所へは流石に足が向かない。
そして伏波山は見れども近づけず。登っている人間は見えるのに入口が閉ざされていた。
正門は蛇腹式の門扉がチャリ鍵で括ってあるし、横に回ると朽ちかけた扉に南京錠…..も、いっか。
次に歩いて数分の市内最高峰「独秀峰」へ。今は大学らしい旧王城跡の真ん中にぽこっとある山。
校門で入場料を取られるのも何だか変だが、旧王城跡の参観料だと言われると頷くしかない。
確かに明代あたりの施設が多く保存されているし、構内もまあいい雰囲気ではあった。
そして、急な山を階段で登る。手すりこそあるものの、石段は高く幅が狭い。何度か落ちそうになる。
頂上に着く頃には息も切れ切れだった。思い切り失笑を買う。だって足の長さが足りなくて(泣)!
景色を眺めていると「わっせ、わっせ」と奇妙なため息をつく現地のおにいちゃんにつかまり話に付き合わされる。
さっきの絵はがきはもっと安く買えただの陽朔(川下りの終点)にはバスで行けだのやかましい。
とりあえず話を聞き流して「いらん」を連発。石段を二割ほど降りたところでやっと解放された。
時間がいい加減おしてきたので車を拾い「西山公園」に向う。流れる景色が面白い。
見るからに違う民族の人々がチャリやら三輪車やらで町を走っているが、道は混んでいない。
上海を見慣れすぎたせいで田舎は人が少なく見えるんだろうか。のどかな町の風景が続く。
雑居ビルどころか古いアパートの各室に各業者が雑居しているといった感じ。美容室から旅行社まで。
これが南かというほど寒いせいか公園の人手は少なかった。用務員がビリヤードで遊んでいる。
ボート遊びをしている複数組の中年男女に二人で失笑。許されへんやろ、これぇ。
その付近は人造の池らしく、優雅な四阿なんかがいくつかたたずんでいた。確かに眺めはいい。
が、自然山水館なるところにいってみると用務員らしきおっちゃんがクダを巻いて登場。我々は退場。
挙句、楽しみにしていた博物館(荘族の資料がある)は封鎖されていた。しかもチャリ鍵で。
たくさん回ったぞ!見たぞ!…..といったところでお腹が空いてきた。気づけば五時。
何か地元のものをといいつつ観光優先で歩いてしまっていたので、夕飯は本格的に摂ろうと決定。
シェラトンで桂林風味の何とやらを探していたら、妖しい日本語の売子さんに結構たかられた。
ここの五つ星って本当に一体…..その食堂もホテルの外で、行ってみたら準備中だった。
出たついで街を歩いてみようと方針転換し、えもいわれぬ臭いの中をちょっと探索。
「米国カリフォルニア風」串焼、って…..連れいわく「ないぞそんなもん」。
面妖な食材の屋台もあれば、食べ方の判らない果物屋なんてのも並んでいる。
目抜通り(?)を軽く一往復した中でひときわ気になったのが「桂林湯城」。
寒いから汁物もほしいねと言っていたところでもあり、店構えが清潔そうなので入ることに。
料理名を見ても何のことだか二人が二人さっぱり判らない。説明を聞くがそれでもぴんとこない。
えぇいもういいや、とばかり名前の妖しい順から炒め物・揚物・主食を注文してみる。
名前からして汁物の専門店なので一鍋どれかとりたいが、見ていると四人分はありそうで迷う。
しばらく間を置いてから、雀が入っているとかいう汁をとることにした。
料理はどれもあっさりめで美味だった。不思議なクリームソースに感心しているうち、すずめ汁ついに登場。
ぱっと見に具はなさそうだったが、混ぜてみると…..赤裸の雀が!何羽もおるぅぅぅ!
どうしたもんかと箸でつんつんしている私をよそに、隣は平然と頭からかじっている。
「うまいから食べなよ」うぅん、でも…..。とりあえず汁を啜る。甘みがあって悔しいほど旨い。
そして恐る恐る雀を食す。何だか鶏レバーのような一癖ある味だった。だしだけでいいや。
汁には雀の他に蓮の実・枸杞・木耳・押し麦のようなものが入っていて漢方の神秘を見た気分。
美味しい物で満腹になって、さて食後の果物でも買おうかということになった。
当地の特産だという文旦のような黄色いもの・火龍果・葡萄なんぞを選ぶ。
全部でいくらかときいたら百三十五元…..さっきの夕食二人分より更に五割も高い!
珍しいから仕方ないのかなぁと素直にぼられて宿に帰ってしまった。
部屋にて試食。文旦もどき、美味しくない。杭州文旦の半分も味がないぞという感想で一致。
火龍果は見た目が赤くてトゲだらけなのだが、割ってみると白くてキウイのようなものだった。
一番いけたのは葡萄(日本の赤葡萄に近い)というのも何だか皮肉な気がする。

紹興を見に行ったのやら、日本人を見せに行ったのやら。

於:杭州→紹興→杭州
友好飯店を足場に日帰りの形で紹興を一日観光。思っていたよりも田舎だった。
前回もそうだったが、田舎人には外国人が珍しいようである。まして女二人。
駅の改札から切符売場に行くまでのわずか十数mで現地人に取り囲まれた。
地図を売り付けたいようなので師匠が値段を聞くと、ぼってくる。定価より三割も高い。
馬鹿にされてはたまらないとばかり「要らん」と吐き捨てて通過すると爺さんがついてきた。
いわく、「日本人は金持ちなんだから俺達に飯を食わせろ」。ふざけるな!
しかもその声がやかましいので他の観光客にまで注目を浴びる。恥かしい。
私が杭州に帰る切符を買っている間に師匠が他のおっちゃんから地図を買ったので事態は更に悪化。
切符売場の隅っこでそのおっちゃんと爺さんが大声で怒鳴りあいを始めてしまった。
しまいに良識ある(?)中国人観光客が「中国人として外来のお客に恥ずかしくないのか」と参戦。
何故かそのままごちゃごちゃ言い合いながら彼等は去っていった。唖然。
駅を出て最初に行ったのは王羲之で有名な「蘭亭」。バス停そばなのはいいが、バスがない!
止む無くタクシーで移動。舟遊びのできる東湖公園までへの道も同じ車に乗った。
道はたいがいだったが蘭亭そのものが古き良き中国の伝統を伝えてくれるので許す。
池のある庭に丹塗の四阿が映えて、時が止まったような静けさを感じさせた。
公園から陸游の詩にある「沈園」までへは運河を走る足こぎ船で移動。またもぼられる。
最初八十元と言われたのを頑張って交渉して六十まで下げさせることに成功。
船着場のおっちゃんがどぎつい江南なまりだったので会話そのものだけで疲れた。
しかし乗っている間に一人十元のチップを取られ、やられた気分。結局おっちゃんの言い値…..。
ケチで通している我々としたことが…..。

うまくいきすぎ。何か罠でもあるのか?

於:上海→杭州
午前中に最後の試験を終え、午後三時頃にタクシーで寮を出発。
待合室で一時間半ほど過ごしエスカレーターで上海駅のホームへ向かう。
のこり数歩のところでエスカレーターがいきなり停まり、のっけから驚く。
五時前発の旅游列車なる観光向きの電車を拾うと、杭州には七時頃に着く。
ものの本には四時間ぐらいかかると書いてあるのだが、ノンストップ便のせいなのか速い。
テストの感想やら名物料理やらの話をしている間に着いてしまった、…..のは杭州”東”駅。
師匠が持ってきた本には「杭州駅」しか書いていない。杭州”東”駅ってどこなんだ?!
ともあれ下車してすぐ、明日の目的地・紹興までの切符を買うのが最大の急務である。
というのは前回の鎮江駅では切符売場が見つけられずホテルを通してしか買えなかったからだ。
しかもホテルならどこでも切符の手配をしてくれるとは限らないのであてにはできない。
しかし幸いこの駅は観光客に慣れているらしく切符売場までの案内板がちゃんとあり、看板も特大だった。
念のために欲しい切符の種類から枚数までは細かくメモしておいたので、窓口の人にそのまんま渡す。
辺りがうるさくて喋っても相手に聞こえないようだったからである。
無事に八時発の軟座を二枚連番で入手。下手にホテルを通して買うよりよかった。
現地の地図を即座に買い、今いる東駅の位置を確認。幹線は元々ここで、杭州駅は地方線の駅らしい。
ただ本にある地図は間違いなく杭州駅を基準に描いてあるので、少々ややこしいことになった。
拾えるはずのバスが別な路線の駅から出るというのでは全く便宜性がない。
止む無くタクシーを拾うことになったが、乗り場は分かりやすい場所でかつ整然としており一安心。
乗り場が遠い上海や悪質な客引きだらけの蘇州よりはるかにいい。
今度のホテル「杭州友好飯店」は日中合弁なので日本料理屋が一階に入っている。
名物料理は明日に回そうということで、天ぷら定食をとった。げに二ヶ月ぶりの日本食。
素材はピーマンやら人参やらあってやや奇妙だったものの、揚げたてだったので美味だった。
部屋で明日の日程について相談。紹興観光から戻って余裕があれば杭州名物料理で夕食。
行けない可能性もあった紹興への切符が買えたとあって、朝に弱い師匠が五時半に起きると宣言。
五時半になら私は起きられるはずだが保険がてらモーニングコールを頼む。

天下に知られる景勝地「西湖」を歩いて縦断。ちょっとだらだら。

於:杭州→上海
二泊もしながら、杭州観光そのものに割いた時間はものの半日しかない。
しかもほぼ北端の霊隠寺からほぼ南端の六和塔まで内容はもりだくさんの予定。
バスを待つのも鬱陶しいので飯店からタクシーで霊隠寺に直行し、有名な磨崖仏だけ
鑑賞して寺そのものには入らず。せかせかと再び車を拾い、岳飛の廟へ。
週末のせいか寺といい廟といい人出がものすごく、歩いているだけで疲れる。
ことに岳廟の見せ場である「墓前に引き出された敵将の像」などは覗くのだけにも数分かかった。
そしてよく見ると銅像の一部がへこんでいる。傷みの激しい物にいたってはハンダで埋めてある!
どうやら観光客がひたすらなでるので摩滅してしまったらしい。「現行犯」を見る。
目的地のうち関心の高い物から二つを踏破してしまったので、漸く余裕が出る。
折角ここまで来て湖を鑑賞しないのも勿体無いからということで「蘇堤」を歩いて縦断することにした。
本当は遊覧船にでも乗って湖の中から見るのがいいらしいのだが、人いきれが厭なので回避。
中国での人ごみは何をなくすか分かったものではないので通行人の少ない堤を選んだ訳である。
詩人として有名な蘇東坡の指揮で作られたという堤は既に舗装されて久しいようだった。
だらだら四十分ほど写真を撮りながら歩き、南岸の近くにある「花港飯店」で昼食。
名物の東坡肉をつついて一服。これで食堂がもう少し空いていれば嬉しかったのだが。
午後は南側の観光地である六和塔とHuPao(虎が走るの意)泉を見学。
塔からの眺めは霧のせいもあって余り楽しめなかったが、空気がよくてほっとした。
そして泉は山を少し登ったところから湧いている。とても水がきれいで見ほれた。
中国人観光客はこぞって源泉の水を飲んでいたが、流石に飲む気にはなれなかった。
帰りの汽車でお手洗いが使えない心配があったからである。
シャングリラでの一服を経て杭州東駅、そして上海へ。現実に戻る時が来た。
夜景が多くなるにつれ、気が沈んでくる…..明日からまたいつものあれか。

「地上の楽園」蘇州観光、そして生還。心ここにあらず。

於:蘇州→上海
朝食でいきなり百元消費。昨日と似たような点心類で四倍はぼったくりぢゃ(怒)!
寝床は硬いわ浴室はしけったいわで、仕上げがこれとはよくできすぎている。
部屋に中・英・日のアンケート用紙があったので苦情を一筆したためてやった。
館内の案内には中国語しか使わないくせに、何でここにだけ慇懃な日本語がと思うと余計に癪だ。
しかし敢えて英語で書きなぐる。日本人だからって馬鹿にするなっちゅうねん。
八時半にロビーで待ち合わせと約束していた男性陣は二十分頃もう来ていた。
聞けば、近くのホテルに泊っていたという。しかも我々より待遇がよかったらしい(泣)。
ともあれ気を取り直して「天に天堂あり、地に蘇杭あり」と名高い蘇州観光に出発。
最初に訪ねたのは戦国時代の呉王にまつわる古跡・虎丘。大きな石がたくさんある。
しかも主立ったものには一つひとつに名前があり、ご丁寧に由来を綴った看板までついていた。
面積の大きい一枚岩には「千人石」、まっすぐな割れ目のある石には「試剣石」など。
そして丘の最上部には黄色い瓦で葺いた立派な塔がそびえているが、入場禁止だった。
止む無く塔のきれいに移りそうな場所で記念撮影。何故か「最適地点無料開放」の看板が…..。
群がってくる花売りの婆さんたちをよけつつタクシーを拾い、「寒山寺」へ。
花売りはここにもいた。ジャスミンのような芳香のある白い花を一輪いくらで売っているらしい。
師匠と顔を合せ一言、買ってつけてくれる人がいたらねぇぇ。
寒山寺は「寒山拾得図」があるので有名だが、それを覗くと何ということはない普通の寺院である。
壁や瓦が黄色いので日本のそれとは違う感じもするが、仏像を見るとやはり大差ない。
むしろ近くにあった「楓橋」から見下ろす長江の眺めの方が観光地らしいよさだった。
半分よどんだ江水の上を、けだるそうに船が渡っていく。
これがヤマハ原動機を搭載している船でなかったらもっとよかった気がする。
それから一行は蘇州を縦断し、ほぼ南端の古跡「磐門」に向かった。
ここも呉王の城跡だが、何故か界隈では骨董らしきものを売っている店が多い。
呉越春秋に関係ないものばかりが売られているのでやや辟易した。
しかし一つの楽しみ方ではあるので各人それぞれ一つずつ骨董まがいのものを購入。
全員が売値の半額まで値切らせることに成功。何なんだかな。
そう大した観光地点でもない磐門の近くに忽然とそびえる「新来登飯店」で昼食。
場所でまずびっくり、入ってみて更にびっくり。シェラトン蘇州なるものが存在していたとは!
男性陣が余りに値段を気にしているようなので多くは食べられなかった。
ここがあるなんて知ってたら泊まってたのに、と師匠がぽつり。怖い人だ。
中国四大名園の一つである「拙政園」についた頃には、もう帰りの時間が気になり出していた。
蓮池なり四阿なりを三十分はかけて見ていたのに、焦りがあるせいか今一つ物足りなかった。
こういう好きなところでぼ~っとしていられないのが団体行動の痛いところ。
駅前で記念写真を撮り、帰途に就く。切符はまたしても硬座のだった。
一時間ぐらい私はどうということでもないが、一人だけ離れてしまった師匠が気にかかる。
乗り合せた他の客と交渉して四人でまとまれるまでに三十分ほどかかり、
彼女には相当つらい思いをさせてしまったらしい。反省。
上海駅に着いた時には既に暗かった。帰りのタクシーを拾うのに難儀する。
駅前には降車場所はいくらでもあるのに乗車場所というものがどこにも見当らない。
お客を降ろしたばかりの車にもさっさと素通りされてしまう。何てことだ。
たいていホテルの前からは拾えるものだから、と最寄のホテルを訪ねてやっと成功。
ただ無事に帰るだけでも大変なものだ。生きていたことに感謝の念を禁じ得なかった。

やってもうた!…..それさえなければ最高の日だったのに。

於:鎮江→蘇州
東呉の古跡である「甘露寺」が我々の目的地である。朝九時に駅前を出た。
どこまで乗っても一元のバスを拾い、最後部の席について語りながら観光。
鎮江は「酢の街」らしく、ばかでかい酢の工場から独特の醗酵臭が流れていた。
寺のある「北固山公園」に着いてみると、何故か桃園三兄弟の塑像がお出迎え。
もしやと思ったら案の定、園内は三国志のテーマパークと化していた。
あちこちで写真をとりながら歩き、「三国奇観」なる洞窟(?!)を発見。
入ってみると薄暗く、蝋人形たちが不気味にかくんこくんと動いていた。
身も心も涼しくなってから山頂の甘露寺へ。似たような人形に絶句。
しかも本尊阿弥陀如来は礼拝者が座布団に額を付けると刮目する!
気味の悪さにそそくさと本堂を離れ、「魯粛墓」「太史慈墓」へ移動。
天然石でできた階段は苔が生したり角が取れたりしていて歩くのに緊張した。
偽物っぽいと思っていた魯粛墓の方が却って立派で(舎利が三年前こっちに来たらしい)、
期待(?)していた太史慈墓は写真を撮るまでもないただの石だった。
それにしてもこれだけ派手に三国志ものばかりありながら、
何でお土産がみんな無関係なものしかないんだろう。二人で首をかしげた。
暑くてだるいので駅前に戻ったついで、「鎮江賓館」でお茶する。
オリジナル飲料とやらをとったら、すこぶる不味くて半分と飲めなかった。
何なんだ一体!…..その名はジェイド(江中浮玉)&東方紅。
そして何かと楽しい思い出ができたのに、やってしまった。考え得る最悪の事態。
こともあろうに駅のしかもホームの隣で貴重品を全てなくしてしまったのだ。
しかも、よりによってパスポートも一緒…..どうなっちまうんだ、私。
気づいたのが発車の数分前だったのだが、流石に電車は止めてもらえなかった。
ともあれ男性陣には待ち合わせ場所で会うしか連絡する術がないので、
致し方なくそのままその電車で蘇州へ。切符は上海まで買ってあるのに、敢えて降りる。
師匠のパスポートを頼りにチェックイン。気が気でないまま一夜を過ごす。

遂に国慶節。いよいよ初の旅行らしい旅行に出発。

於:上海→鎮江
中国は祝日が少ないせいか、どこもお祭り気分らしい。
街には提灯があふれ、学食まで特別メニュー&おまけ付きになる騒ぎ。
なじみのない大皿に何種類もの料理が並び、スプライトとバナナがついてきた。
しかも無料!こう考えると毛沢東もすごいもんだ(笑)。
一息ついて校門に集合し、総勢四人で南京(とりあえず上海駅)へと向かう。
駅で全国版の時刻表を買ってみると、何と鎮江に止まる列車ではないか!
即座に師匠と示し合わせ、当然のごとく鎮江で降りてしまった。
南京まで一緒に行くはずだった男の子達には悪いことしたかしらん。
ともあれ硬いシートに三時間半も座るだけで慣れない体には苦痛なので、
降りてすぐ「鎮江大酒店」にチェックイン。予約がなかったので少し焦った。
そして最大の難関のはずだった鎮江~蘇州間の指定席があっさり手配できてしまう。
なぁんだ、ホテルの窓口に手数料さえ出しゃ何とでもなっちゃうのね。
外が暗いので食事に出かける気もせず、部屋でお持たせの夕食を摂った。
師匠と二人きりだということでマニア話に花が咲き、気がついたら午前二時半。
しかも地図上でかなり濃い穴場を見つけてしまい、早くも「もう一度ここには来ようね」。