接待ごっこ

義母が昼食の予約をしてくれているので、まずは母の手土産を運びがてらダンナ実家を訪問。
しばらくお茶など頂きながら、母達の世間話をそっと聞き流す。
ほどよい時間に義母・ダンナ・母・私の四人で会食場所へ数駅移動。
勿体ないほど贅沢な和食コース料理を頂いた。
食事中、私も聞いていなかったような昔の話をいくつか耳にして内心ざわつく。
物心つくかつかないかの頃から私が伯母の世話になっていた背景事情。
両親が共働きだったからとしか聞いておらず、そんなものかと疑問にも思っていなかった。
母方の祖母が入院していたためだったのだという。
それ以上は聞くまでもなく、いろいろな点と線がつながっていった。
まさに、親の心子知らず。


食後は途中駅で義母と別れ、淡路島へ。
ダンナが珍しく宿を手配してくれていたので、一路そちらへ向かう。
高速バスでは母と並んで座り、話しそびれていたこちらの近況を少し伝えた。
「ずっと孤独な仕事じゃないかと心配していたから、友達ができて何よりだよ」
ぐらいしか返事はなかった。
バスが終点に着くまでの間、父と兄の近況を聞く。
いずれとも直接の連絡がないため、母づてに知るしかない。
まあ相変わらずとしか言いようのない状況だったのは、一応いいことなのだろうか。


予約してくれていたのは、温泉大浴場がある大型ホテルの、何故かスイートルームだった。
「ちょっとの追加料金だったから」というセンスは正直こちらにはなかったので驚く。
母には和室部分に寝てもらい、我々はツイン部分に寝ようという話になった。
お陰で、特に暑がりの母が気兼ねなく冷房をつけられるように。
26度は我々にとって十分な涼しさだったが、客観的に考えれば夏日の気温なのだった。
母と連れだって温泉大浴場へ。
いつになく彼女が小さく、年を取ったように見えた。
特にこれといった話をするでもなく、部屋に戻る。
実は移動中に定期案件が一つ入ってしまったのだが、今回はPCを持ち出していなかった。
母がいるところで仕事をすると、悲しませてしまうからと思い、敢えて自宅に置いて出たのだが。
定期案件は私が客先から指名されており、非常に断りづらい。
しかも分量が少ないので、納期も短い。
部屋にはLAN回線が用意されていたので、愛機さえ手元にあればすぐ済む難易度だった。
ダンナが持参したPCを貸してくれたのだが、ちょっと触って違和感のあまり断念。
帰着後に着手しても納期は守れそうだったので、ひとまず後回しにして何気なく過ごす。


夕食は、これまた豪勢な和会席だった。
開始時刻を遅めにしていたのだが、品数の多さに食べきるのがようやっと。
もう少し若かったら、母が箸を付けなかった揚げ物を譲り受けていたかもしれない。
「もう15年前だったら残さず食べられたのかねぇ」が少し耳に痛かった。
そもそも母は小食なほうだったが、さらに…なのだろうか。


食後、一時間ほどして二度目の入浴。
リビングでついているテレビにどうしても苛立ってしまい、MIDを立ち上げてついったーを覗く。
私がテレビ、殊にドラマ嫌いなのは母も承知しているはず、という甘えもあった。
黙っていては不機嫌に見えそうだし、話しかけたら邪魔になりそうで、不必要に気が咎める。
結局いつもこんな感情を抱いてばかりで、まともな気遣いが何もできていない。
一方的に気まずくなってしまったので、一人で再び大浴場へ。
幸い、私が戻って間もなく二人は就寝した。
こちらは眠れそうにもないので、悪戦苦闘しながらも結局ダンナのPCで翻訳作業。
これでは結局、散財しただけで親孝行にはなっていなかったような気がする。

逆帰省

母が我が家にやってきた。
前回もそうだったが、何泊するか分からない。
当人に聞いても未定とのこと。
とりあえず、麦酒を冷やして新大阪まで迎えに出た。
東日本の朝とは10度ぐらい違うせいか、改札で羽織を脱ぐ母。
ヒートショックにならないかと心配しつつも、まずは自宅へと同行。
長旅でさぞや疲れているだろうと思っていたが、存外に元気なようだった。
まずは烏龍茶で一服してもらい、いつもの放鳥。
顔を覚えていないのか、こまが一向に近づこうとしない。
おやつを手のひらに乗せたら、やっと寄っていった。


まずはひととおり、近況を聞く。みんな相変わらずのようだ。
多少の不調や悩みを抱えつつも、まあ平和に折り合いを付けて暮らしているらしい。
そうせざるを得ないという諦めのようなものが随所に聞こえるのではあるが。
とりわけ深刻だったのは、生活にかかる費用の話。
父の年金は税金やら健康保険料やら天引きされるとほぼ残らないという。
どうにか二十年分ほどの蓄えはあるが、どこまで生きていていいのかという問いに答えられなかった。
今の私には「大丈夫、養ってあげる!」と言えるだけの甲斐性がない。
正直、この先そんなたいそうなものを身につけられる自信もない。
「あんたには先にふるかわ家を支える責任があるからねぇ」のつぶやきが重かった。


はるばる出てきて疲れているところに申し訳ないとは思うものの、積年の悩みをぶちまける。
母が直接どうにかできる問題ではないが、彼女の助力なしに解決できそうにもない。
言質を引きだそうとするつもりはなかったが、静かに「できるだけ伝えておくね」と言ってくれた。


いかんいかん。ちょっとでも親孝行しておかねばならぬ時に、却って心配事を背負わせてしまった。
明日は義母との会食の後、淡路島にでも連れて行こうかと思う。
などとカッコイイことを言いつつ、手配はダンナがしてくれたのだった。

孤独と翻訳と自由業

彼岸を過ぎて狂ったような暑さも鎮まり、ふと過ぎた夏を振り返る。
この夏は、自分にありえないほど、たくさん外出して人と会った。
お会いして話をしてきたのは、主に同業の方々。
個人翻訳者はその定義からして同僚を持ち得ないのだが、皆さん同僚と言っていいのではと思う。
こちらから一方的には、仲間だと思いこんでいるのだが。


仕事をすればするほど部屋に籠もってしまい、通勤先がないので他人と全く会わない生活。
不自然だとは思いつつも、春頃までの三年ほど、そんな日々が続いていた。
ダンナとすら食事中ぐらいしか会話もしないし、外を見てこないので話題すらない。
日本語の鮮度が落ちそうだと危惧しつつも、ここで日記を書くぐらいしか対策してこなかった。
その延長でついったーに指を伸ばしてから、何かがいつの間にか変わってこんなことに。


我ながら鈍いのか全く気づいていなかったが、似たような状況にいる人は結構いたのだ。
業種や業態が同じなのだから、似たような生活を送っていてもおかしくはない。
しかし、何度か出た単発セミナーの交流会では、こんな気持ちになったことはなかった。
仲間がいる
孤独と翻訳業と自由を抱えながら、前向きに歩いている仲間がいる。
それぞれが持つ孤独は、由来も質も違う。だが、どこかしら共鳴するものがある。
それぞれが請ける仕事は、言語も分野も違う。それでも、同じことを悩むことがある。
それぞれが手にする自由は、一見どこも重ならない。それでいて、どこかしら重なり合う。
話題を共有して分かったこと、場を共有して気づいたこと。
それもきっと各人ばらばらなのだが、私の場合、敢えて言語化すれば心強さだ。
(敢えて言語化したところで何が切り落とされたのかは自由にご想像いただきたい)
皆さんにお会いするまで得られなかった感覚であるとは断言できる。

「ツイてましたね」

原稿を待つこと丸々半日、未明に日程変更の憂き目にあった。
変更後の案件について電話があったのは昼前。
さんざんな目に遭わされたので(とは明言しないが)以降の案件もろとも断る。
何ともやるせない気分を抱えていたところ、携帯が鳴った。
「いろいろと大変だったようで…よかったらお茶でもと思ったのですが」とのメールが。
とても救われたような思いがして、すぐに「嬉しい!」と返信を打った。


車で迎えに来てくれたので、目的地を問うこともなく気軽に乗り込む。
見慣れない景色を過ぎて着いた先は、かなり大きなカフェだった。
一階部分の半分ほどが焙煎工場、残り半分が珈琲豆の販売コーナー。
吹き抜けで焙煎工場を見られるようにした二階部分がカフェとして営業していた。
ミルやらドリッパーやら、本格すぎてついていけなさそうな器具がカウンターに並ぶ。
到着した時点では禁煙席が塞がっていたので、しばらく店内を眺めながら待った。
案内された席は一人掛けソファが向かい合わせになっている贅沢な造り。
一人掛けと言っても、女性なら二人はいけそうな大きさだった。
ふかふかさのあまり半分ほど沈みながら注文伺いを待つ。


かなり前から参加を予定しておきながら、先週の案件がひっかかって出られなかったイベントの話を聞く。
まあおおよそ想像していたとおりだったので、妙な安心感を覚えた。
大規模なイベントは遠くで羨んでおくぐらいが丁度なのかもしれない。
少人数でちんまりやろうという企画もちらほらあるようなので、そちらには誘ってもらえたらと思う。
こうして卓を挟んでまったりと話し込むほうがよほど楽なのだから。


気づいた頃には一時間ほど過ぎており、ぼちぼち帰るべき時刻に。
「このお店に禁煙のソファ席があったなんて、…今日はツイてましたね」
そのツキをくれたのは間違いなくこの人だと思う。
まあそういう人にこういう間で声を掛けてもらえたのが、私のツキだったかもしれないが。
支え助けてくれる人に恵まれ、幸せだと実感した次第。

密会ごっこ

ある程度以上の案件を仕上げた時には、密やかに「打ち上げ」を挙行することにしている。
とは言え一人仕事の打ち上げなので、たいていはダンナと近所でパフェを食べて終わりなのだが。
今回は人生初(!)お友達と半日も遊んできた。
先日から何の気なしに「今度カラオケご一緒しませう」と言っていたのが結実してしまったのだ。
まさに瓢箪から駒。


歌いに行ってしまうと会話する暇もないから、ということで、まずは会食。
コースとまでは行かないが、少しだけ贅沢な釜飯御膳にした。
選んだ理由は「胃に優しいから」そして「時間がかかりそうだから」。
お互い飽食気味で、料理そのものよりも会話優先といった感じだった。
納得してそういうお店を選んだぐらいなので、当然のように話は弾む。
ただ、四方山話や趣味の話といった明るい話題はほとんどなく、むしろ身の上話が多かった。
一人で抱え込んでいると暗くなってしまうような話でも、何故か笑顔で発散できる関係は貴重だ。


食後、いざカラオケ屋に移動。妙な緊張で、二人ともおかしな笑いが顔に張り付いている。
自分の意志で遊ぼうとしているだけなのに、何故か「どうしてこうなった」と思ってしまう。
相手も同じ顔をしていたので、恐らく似たような感情だったのだろう。
なかなかその緊張が取れず、一曲目では声が真っ直ぐに出なかった。
一曲目は準備運動なので、声域ど真ん中で高低差が少ない旋律のものを選んでいるのだが。
まあ状態はお互い様だったので、それでよしとする。
選曲は特に「縛り」なし。気の向いた順に好きな曲を入れていくと、全くかぶるものがなかった。
全く知らない曲を聞くのも悪くない。
「こういうのが好きなのね」という気づきみたいなものもあるし、新しいものを知ることも面白い。
何より、他人様の歌っている姿を観察するのが面白かった。(意地が悪いかもしれないが)
選曲も発声もノリノリなのに、表情だけ深刻すぎるほど真剣。
だからこそなのかは分からないが、話す声からは想像しがたいところにある美声を拝聴できた。
自分の番にはひたすら歌い、相手の番には聞いているだけ。
本気で遊ぶのは本気で楽しい。


地下街のお店でおやつ休憩。
ほんの一休みして解散かなと思っていたが、気がつけば5時すぎ。
1時間ぐらい話し込んでしまっていたらしい。
仕事の引き合いメール着信に促されたような形で席を立ち、やっと?駅で解散。
それにしても、こんなことってあるのね。
些か魂が抜けたような気がしないでもないが、心底から楽しかった。

無理してみた

東京に出ている間、抱えていた仕事を処理する暇がなかった。
納品できるほど暇では仕方がないので、まあいいことなのだが。
水曜納期の案件を月曜と火曜で片付け、水曜と木曜は穴が開いたように呆然としていた。
恐らく、その案件が手元になかったら、もっとひどい喪失感に苛まれていただろうと思う。


先週納品分の続きだとかいう打診が入るも、割が合わない条件だったので断る。
原文単価1.5セントはあまりにも安く、到底やる気になれない。
(その件では結局「日給30ドル」になってしまった泣くに泣けない経験がある)
まあ海外案件を断ってもそのうち国内でいい条件が、と思っていたら今度は単価3円。
国内で3円もひどいし、まして「難易度が低い」アンケート回答だったのでこれも却下。
アンケート回答は個人的に心がすり切れるので負荷が高く感じるのだ。


武士は食わねど高楊枝、と言うが、さてどうしたものかと思っていたところに電話。
一時期いい関係にあった翻訳会社の営業からだ。
その会社には、すばらしいコーディネーターがいて懇意にしてくれていたのだが、独立してしまって今はいない。
その穴を埋める人材がいないのか、営業担当から打診があるというのはゆゆしき事態。
何がゆゆしいのかというと、調整役がいないことである。
ともあれ、案件自体には問題がないようなので、それまでのつきあいも考えて引き受けたのが木曜の午後5時半。


納期は22日水曜の朝、すなわち火曜日いっぱい。
分量は中国語原文約5万文字(原稿PDF102枚)あるのに、丸5日しかない。
しかも「土日でもいいので分納してくれ」という条件つき。
この時点で「やっぱりこの人は分かってないな」と軽い疲労感が漂い始めていた。


1日に1万文字の中国語を和訳する負荷がどれくらいのものか。
参考までに私の通常の処理能力を挙げておく。
公称5000文字、緊急時8000文字が1日の処理可能な分量である。
つまり、今回の案件は軽く能力の限界を超えている。
だが、だからこそ引き受ける気になった。
些か不遜ながら、恐らく他の同業者にはまずできないだろうという読みがあったからだ。
別にその営業さん、その翻訳会社が失注しても私個人が困るということはない。
うまく行けば貸しを作れるぐらいのものである。
厭な予感のドキドキと、限界に挑戦するワクワクが交錯した。
試みに「ちょっと色を付けてくださいよ」と言ったら通ったので、勢い受注確定。


舞い上がっていても仕方がないので、まずは原稿の整理に着手する。
例に倣って支給原稿はPDFだが、納品形式はWordが指定されている。
幸い、今回のPDFはOCR処理しなくても文字が拾えた。
拾った文字を空のWord文書に貼り付け、余分な改行を消す単純作業が約4時間。
半分ほど終わったあたりでWord原稿も支給されたが、あてにならないことは一瞥で分かった。
ヘッダーにあるべき文字列が紙面の中間になど、実用的にあり得ない。
要は営業さん、見る相手のことまで考えてくれていないのだ。
「念のためチェックをお願いします」と言われても、そんな報酬も時間ももらっていない。


単調な文の貼り付け作業だが、原文を何度も目に(頭に)入れるという意義はある。
訳出開始までに、一通り全文の概要を把握しておくことができるのだ。
化学分野ということで経験の有無やら何やら聞かれたが、事業計画書なのでそれどころではない。
人事、会計、立地条件、化学物質の特性、行政手続きと、ほぼ何でもあり状態。
つまり翻訳メモリが余り役に立たない。地味に一大事だ。
手を付けてみないとペース配分が分からないので訳出に取りかかり、約一晩。
飽きてはついったーに顔を出していたので、「夜勤」の人々に珍しがられるなどした。


作業の合間に洗濯や料理をするのは休憩がてら。
自分でも信じがたいぐらいの早さで訳出が終了した。
受注(の瞬間)から丸4日。
少し寝かせてからてにをは確認をするつもりなので、達成感はまだない。
空の目薬瓶だけが残った。

郷愁

知人が原風景の写真をブログで見せてくれた。
写真だけだったら「ふうん」と通り過ぎてしまったかもしれないが、そうさせない何かが本文にあった。
つまりは、原風景というのは、現実の風景と心象風景の重なった代物なのだな、と。


振り返って、自分の原風景はどこだろう、何だろうとしばし考える。
昼なお暗い防風林のような気はするし、延々と続く田んぼだった気もする。
でもその両方を否定してしまいたい気分があって、何だろうと思っていたら。
あの透明な哀しみと懐かしさを蘇らせる風景は、見えるものではないことに気づいた。
私にとってのそれは、金木犀の香りである。


小さい頃、私は「おばちゃんち」にいた。
朝晩はちゃんと両親の家にいたのだが、早寝早起きのせいかほとんどその記憶がない。
幼稚園から「帰る」場所は「おばちゃんち」であり、遊ぶ場所も必然とそこだった。
おやつをもらっているうち従姉の「おねえちゃん」が帰ってきて、ほとんどいつも遊んでくれた。
夕方になるとキバタンの「きいちゃん」が何度か呼び鳴きをして、父の車が来たことを知らせてくれた。
正直、その頃の「おばちゃんち」から自宅までの家路は暗すぎて何もおぼえていない。
その頃の「おばちゃんち」と自宅を結びつけていた感覚が、金木犀の香りだったのだと思う。
今いる家の近所にも金木犀の植えられた公園があり、その時期になると郷愁を感じる。
こちらでは秋晴れでも高く抜けるような空にはならないが、思い出すことはできる。
多分それが、私の原風景。

PROJECT Tokyo 2010第四講 翻訳は身体に悪い

本来の演題は「翻訳者のためのオフィス環境アセスメントと健康アドバイス 」だった。
投影されていたスライドが英語版で講義は日本語という特殊な進行。
講師のユウノ・ディニーさんは「踊る翻訳者」で、どう見ても運動不足ではなさそうだが、RSI(反復性過労障害)の前歴があるそうだ。


翻訳業は動かない、ストレスが貯まる、(物理的には)単調作業の連続。
肥満…やけ食い?→生活習慣病、DVT(血栓症)、腰痛、肩こり→頸椎ヘルニア、RSIの恐れが。
RSIは上半身ほぼ全域に及ぶ。翻訳作業でテニス肘(講師の実体験)になることも。
主な症状としては腫れ、むくみ、可動性低下など。
疲れが一晩で抜けない、手が冷える、荷物を避けたくなる、手が震える、痛いといった前兆がある。
RSIに陥りやすいリスク要因は、病気や怪我の経歴、まじめすぎる性格、作業の重複(趣味も含む)、姿勢や手の角度などの固定、、作業環境(道具の配置)、ストレス、休憩不足など。
RSIの予防について、労働環境を整える欧州指令はあるが、日本の法律は特にない模様。
尤もその欧州指令とて、雇用者にかかる義務である。
フリーランス翻訳者は自分が雇用者なので、自己防衛はどちらから言っても当然か。


「人間は事務作業をするイキモノとして設計されていないので、エルゴノミックな事務用品は欺瞞」
RSIの予防手段には、作業環境(机、椅子) 入力デバイス 就業/生活習慣 の改善がある。
まず、自分の体格に合った椅子の入手が無理なら、椅子の調節を。
座面高、背もたれの角度、モニターとの距離(キャスターで動かしやすいか)が調節要素。
腕の伸ばしすぎ、モニターと資料の配置にも注意(ねじれ姿勢による負荷)。
モニター(複数ある場合は主に使う方)は体に正対させ、ねじれ姿勢を予防すること。
モニターの高さはきちんと座った時の目の高さより少し下。
肘は直角や鋭角にならないように。
ノートPCだと、モニターとキーボードの位置が「あちらを立てればこちらが立たず」なので要注意。
自宅環境の場合はノートPCでも外付けキーボードをつなぐべきか?
背もたれはほぼ必須で、おおむね肩甲骨の高さ。
腕などの疲労を予防するため、すぐ使うものは近くに。
姿勢は他人に見てもらうのが一番。
書き物とタイピングでは適した高さが違うので、机または椅子の調整を。
足が床に着かない場合は台を利用。
机と椅子はセットで具合を見て買うのが吉。
アームレストは一長一短、環境による。(椅子の移動を妨げないのが前提)
マウスでの作業はキーボードよりも単調なので、ショートカットキーなどで適宜回避を。
ただし「同じ作業、同じ姿勢の繰り返し」は禁物なので、取り混ぜるバランスが肝。
奥向きに傾斜したキーボードトレイがあると、手首の負荷軽減によい。


就業習慣、生活習慣の改善も重要。
特に強調されていたのは休憩の重要性。
しっかりと席を離れて、めりはりよく休憩すること。
そのためのリマインダーソフトなどもある。
もし休憩中に電話が鳴っても取らないぐらいでちょうどよい。
そこで休めない性分もRSIのリスク要因なのだから。

PROJECT Tokyo 2010第三講 翻訳会社の作業の流れと翻訳者に期待すること

13:30-15:00の講義は、 (株)東輪堂の香村美弥子さんによる、翻訳会社の仕事概要について。
翻訳会社での勤務経験がないこともあり、個人的には本日の大本命。
講師の方は翻訳会社の社員ながら、フリーランス翻訳者のご経験あり。
そのせいか、かなり翻訳者に同情的な配慮や仕事の手配をしていらっしゃるのが随所で光っていた。


東輪堂が新規登録者をスカウトするのは、特需が出たとき、予備の両方。
予備でスカウトされた場合は実際の案件発注に結びつくのが往々にして遅くなる。
と言うのは、想像に難くないことながら、つきあいの深い順から発注することになるためだ。
ちなみに、この「つきあい」には年賀状や贈答品は含まないとのこと。
ただ、東輪堂のほうから声がかかったら、仕事の脈はある。
日英ではご本人の経験上、JAT〉ATA〉Prozの順で候補者の質を信頼しているそうだ。
希望は経験2年以上。未経験でも自言語に見るべきものがあれば採用。
主に英日登録希望者の日本人の場合は日本語、訳文だけでなくメールの印象も影響。
トライアルでは、原文の意図を把握する精度、訳文の読みやすさを重視とのこと。
用語を調査する、正しく使うというあたりは当然と見なしているようだ。
トライアル合格者でも、最初の本番がひどいときはフィードバックしない。
脈ありの場合のみ、現実的に改善可能な点のみ具体的に赤入れして返す。
翻訳者の選定は分野×コスト。
会社から見たコストには校正の工数を含むため、報酬額が安ければよい訳ではない。
直しが少なくて済む翻訳者には、高めに支払っても割安になる場合が出てくるのだという。


東輪堂の体制として、大型案件ではコーディネーターの上位にエディターを配備する。
エディターの役割は、主にDTPオペレータなどとの連絡。
案件の規模に関わらず、チェッカー(校正担当者)は必ずいる。
東輪堂のチェッカーは自言語しか上書きしない。修正を促すコメントのみ翻訳者に返す。
社内翻訳者と軋轢を生じた経験から、他言語の赤入れはしないのだそうだ。
チェッカーは未熟なほど(手加減ができないため)赤入れしたがるとのこと。
自分が働いているんだという主張が出てしまっているのだろうと邪推。
予算が少ないとき、翻訳者の報酬を削らない主義のため、校正の工数を削ることになる。
その場合、逆の意味になったり数字が狂ったりしていないかを重点的に見るとのこと。
校正の工数に実際どのぐらいを見込んでいるのかという質疑応答あり。
翻訳納期1日のとき校正は半日と見積もるが、安全を見込むと待ってもらう期間は3日。


不況になってから相見積もりを取られる頻度が上がったそうだ。
客先納期に余裕がない場合は翻訳者の予定を押さえてから見積を提示するのに失注することも。
いざ原稿支給の直前となってからキャンセルされることもしばしば。
(5件も連続したことがあるというのだから、翻訳会社も大変だ)


なし崩し的に質疑応答。
Q:チェッカーとして採用した人物を翻訳者に育てるか?逆の場合はあるか?
A:翻訳がうまい人だからと言ってチェックがうまいとは限らない。
必要な資質が違うので、少なくとも東輪堂では下積みとして校正をさせることはない。
Q:おかしな内容を含む用語集が出てくるのはどうして?
A:客先から渡されたものを翻訳者に丸投げしている場合、えてしてそうなる。
Q:報酬額に合わせて訳文の質を下げるなんて、翻訳者にはできない。どうしたらいいの?
A:存外に難易度や負荷の高い内容だった場合は翻訳会社に交渉してみること。
即座に報われなくとも、次回以降に色を付けてもらえる場合あり。


翻訳会社が翻訳者に望むことは、至って当たり前のことだった。
・校正の手間がかからない訳文を提出すること
・リピート発注を呼び込む、客先に喜ばれる訳出をすること

PROJECT Tokyo 2010第二講 What to Look for in Translation Memory Software

PROJECT Tokyo 2010の第二講は、「What to Look for in Translation Memory Software」に出席した。
題名からして、資料も含めて全編が英語での講義。
1時間も英語しか使われない講義を受けたのは、生まれて初めてのような気がする。
前提として出席者は英日か日英の翻訳者または翻訳を志す学生なので致し方ないが。



言及があったのはFelix,Trados,DVX,OmegaT、それからWEBアプリケーションであるWordfastAnywhere。
まずは操作画面の特徴が紹介された。DVX,OmegaT,MemoQは専用エディタで左右対訳。
SDL Trados2009は触れられていなかったが、この類型である。
正直なところ、遠目にはどれも似通った顔立ちであまり区別が付かない。
上下対訳形式での表示だったのはWordfast Anywhere。


講師のご自身のお気に入りは「書式不問ならMemoQ、書式ありならFelix」とのことだった。
両者とも、用語管理機能がかなり直感的で親切にできている。
用語集を使用している場合、原文の当該箇所が自動で強調表示。
また、強調表示された任意の箇所を選択するだけで、右側の別窓に訳語が表示される。
MemoQでは、QA(訳語ゆれなどのチェック)機能も分節単位で行いやすいよう、対訳画面内の各行に各種ボタンが配置されていた。
用語集の活用だとか、訳文内での表記の確認だとか、かなり省力化がされている。
ただし、日本語などの言語では検索精度がいまいちらしい。
(一文字に使われる情報量の違いや、単語と単語の間にスペースが入らない表記法のせい)
またMemoQでは、翻訳メモリの分節にAttribute(属性情報)を付記して、一つのファイルでも用途別や客先別に使い分けることができる。
Felixではそれがないのか、案件ごとに翻訳メモリを作成するとのことだった。
いかんせんMemoQは多機能すぎるのか、肝心の作業画面に至るまで三枚の画面遷移があり使用感がやや重いらしい。


【感想】
手元のTrados2007で間に合ううちに敢えて乗り換えたいというほどのものはなかった。
ただ、Tradosシリーズは重くて機能がありすぎ、サポートも利用しにくい上に高い。
Trados2007指定案件の引き合いがなくなってきたら、PCを買い換える機会でFelixに乗り換えようかと思った次第。