私だけではない

先週に引き合いのあったTRADOS必須の中日翻訳が正式受注できた。
支給された翻訳メモリを原文に噛ませながらああでもない、こうでもないと唸っている。
日本語表現がやはり私とだいぶ違う。
改版なので余り違った書き口を見せては読み手に違和感を与えてしまうこと請け合い。
間違ってはいないが、違う。-何度も呟いては飲み込む。
用語や用字の違いもあった。
誰かは分からない「前の人」の選択の方が正しく見える箇所も多い。
月初に私が出した訳文とはどちらが正しいのか、結局は最初から調べ直し。
100%一致しているものはそのまま流用するとして、一致率が80%台だとかなり迷う。
違う。違いがある。間違いではない。
ところどころ私の方が正しいと自信を持てる箇所もあるのだが、
まずは「前の人」の仕事を尊重しようかと思う。
誰かが調べ、考え、あるいは悩んで選んだ答えが目の前にあるのだ。
他人の仕事には敬意を持つことを旨としてきたのに、忘れかけていたことに気づいた。
独りで仕事をしているとついつい麻痺してしまいがちな感覚だが、
翻訳ができるのは私だけではない。
翻訳者としての私には、まだまだかけがえがある
明らかな間違いは提示できても、確かな正解は見えない世界。競合の顔も見えない。
それでも相対的にしか上を目指すことはできないが、それはそれで自分が選んだ道だ。
まずは、他人(恐らく先輩)の仕事を見せてくれた今回の発注元に感謝。
決してこれまでふざけていたわけではないが、本気で仕事をしようと気が引き締まった。

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