自分が八年前にしてしまったこと(の影響)を母に聞いて知った。
聞くまで知らなかった。
伯母から、幼少時の私は「見ている方が歯がゆいほどの引っ込み思案」だったと聞いた。
聞いて納得した。
勝手にその二つが脳内で結合した。
長らくいじめられていたことも、家庭内で大問題を起こしたことも、原因は私の非常識にある。
私の生まれ育った地方では必要な、そして誰もが身につけている常識を、私が持ち合わせていないのだ。
そう、いまだに身につけることができていない。
思いやり、気遣い、そして先回り。
あいにくどれも机上でしか理解できていない。
誰もが自分のことをあまり語ろうとしないので、あの地方では高度な空気読み能力が必要となる。
相手や回りの人間がどう考えているかをただ察するだけでは足りず、先回りして手を打つのが常識。
常識なので、誰も教えてくれることはなかった。
が、私は非常識なので、教えてもらえないことを知ることができなかった。
そして、教えを請う勇気がなかった。
もしかして生まれ育ったのが近年だったなら、社会なんちゃら障害とかいう病名がついていたかもしれない。
だが私の生まれ育った時代には、恐らくそんな概念など普及していなかった。
特にそれを恨む気はない。
まして今や誰に対しても負の感情は持っていない。
ただ、私は悲鳴を上げることができなかった。人に泣きつく勇気が出せなかった。それだけのことだ。
悲鳴を上げないこと、人に泣きつかないことだけが、「えらいねえ」と言ってもらえる手段だった。
その言外、その先にどういう考え、思いがあったのかまで察することができていなかったのだ。
よしんば察することまではできても、先回りして手を打てるほどの行動力は持ち合わせていない。
自己流で先手を打ったときの失敗が怖くて何もできない。
そこまでの弱さを、そのまま誰かの目に入れるだけの強ささえなかった。
この年で常識が身についていない私を許す人は、少なくともそこにはいないだろう。
否もしかするともっとずっと前から、誰も許してくれていなかったのかもしれない。
許してくれていなくても、それを読み取って何とかするだけの力はないのだから同じことだ。
都会の人は、東京であれ大阪であれ、相対的に自分のことをよく話すし強く主張する。
そして相手のこともかなり色々と尋ねる。
相手や回りが何でもぽんぽんと口にする環境にいれば、私も口を開くことはできた。
おかげでどうにか、自分の弱さを少しずつ見せられるようになってきた。
弱さは必ずしも弱みではない、ということが少しだけ分かった。
どうにか十歳児相当には成長したのではないだろうか。
だが今の私には、まだ地元が怖い。