東北の片隅出身ですが何か

愛国心が足りないだとか、日本(人)に誇りが持てないだとか憂う御仁が多い昨今。
ふと思うのだが、日本国の前にオクニを忘れていないだろうか?
私ごときが郷土愛について語れる筋ではないのだが、田舎者は田舎者であることに誇りを持っていいと思う。


学生の頃、畑に植えられているナスとトマトを識別できただけで、クラブの先輩に「流石、田舎者は違うな」と言われたことがある。
その時は侮蔑されているのだと感じ無駄に傷ついたが、実は本当に感心されていたのかもしれない。
ただ、少なくとも当時は、田舎者だと他人に再確認されるのが何故か悔しかった。
どこでどうすり込まれてそうなったのかは分からないが、田舎者であることが厭だったらしい。
この年になってから、むしろ恵まれていた(いる)のだと思えるようになった。
別にナスの花とトマトの花を識別できなくても、大学受験に影響はない。実際、前述の先輩は優等生だった。
でも、識別できたら、次はどちらが先に熟すのかを知ることができる。
そういうことの積み重ねで食べ物の旬が分かる。
食べ物の旬が分かる、ということ自体が実はもう「流石」と言われる「資産」や「スキル」になってしまっているのだ。
流通やら産業やらの発達で、いつでも何でも手に入り口に入るご時世となって久しい。
それでも生鮮食品は旬のものを食べた方がおいしいのも事実だ(と思う)。


そんなふうに、田舎者だからこそ知っていること、できることというのも存在するはずだ。
同様に、都会に生まれ育ってこそ、ということもあるのは否定しない。
自治体の利害関係としては都会と田舎なる対立軸があるのかもしれないが、住民個々人がそれに乗る所以はないし、どちらが善でどちらが悪というものでもない。
それが何故か、田舎者(特に東日本出身者)には引け目がある。
その引け目の集合体が今の首都、東京の姿ではないだろうか。
大阪は都会の割に、地元を平然とさらせる空気がある。
「それは大阪も地方だからでしょ」と思う東京の方、あなたの田舎は?
あってもなくても人それぞれだが、卑下するものではないでしょう。
それだけ。

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