価値と課金

英日翻訳の話を聞いていると、中日翻訳は単価が安いと感じてしまう。
理由は、とその人達に聞かれたところで私には分からない。
一個の末端翻訳者で業界の構造が理解できている人などそんなにいるのだろうか。
あるいは普通なら分かるのに私の認識が甘すぎるだけなのかは分からないが。


「台北のマクドで夜にLサイズポテト買ったらもう1個もらえるってキャンペーンやってたよ」
という話をダンナから聞いてふと思ったのだが、日本人は中国語が読めるのではないのか?
彼は私の知る限り、中国語を使って仕事も生活もしたことがない。
上述の話は台北のマクドナルド某店へ入ったとき目にした中国語ポスターの内容だとのこと。
(私は別行動で書店街へ出かけていた)
注文は英語でしたのだそうだが、ポスターは読めている???


「普通の日本人」まで広げてしまうと大げさなのだろうが、センター試験の漢文が苦手でないぐらいの日本人なら、中国語の文意は分かるような気がする。
「細かいことや正確な意味には自信がないけど何となく」読めてしまうのではないだろうか。
多少は分かるだけに、「中国語ができる人」の相対的価値が低いのでは、と思えてならない。
英語だと知らない単語は調べるまで「未知の何か」だが、中国語なら漢字なので「不思議な組み合わせ」であって語彙そのものが全く未知ではない(気がしてしまう)のではなかろうか。


新しい取引先から中文和訳の仕事で高評価を頂き、「英語もやらない?編集ならできる?」と聞かれた。
かねてから「翻訳の仕事ができる」は「当該言語ができる」とは違う、と思っていたのだが、このお客さんもそう考えているということか。
話がやや散逸してしまったが、私が提供している価値は「中国語が分かること」ではなくて「相応の日本語が書けること」なのかな、と改めて考えさせられた次第。

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