朝風呂の解禁時刻に旧友を叩き起こし、大浴場へ。
夕方や夜に入った時より確実に混んでいた。みんな朝風呂が好きなのね。
殊に今朝は未明の雨で山々が春霞よろしく煙って見えるので眺めがよかったからか。
寒いと思いながらも露天風呂に挑戦する甲斐はあった。
暖を取るならしゃがめばいいだけなので、むしろのぼせにくくていい湯加減に。
朝食バイキングで和食を堪能した後は、身繕いを済ませて近所の朝市へ。
漬け物から花瓶まで、小さいお店が色々と10軒ほどならんでいた。
何故か五本指靴下が市価より安かったので、土産としてでなく購入。
旧友は試食で気に入ったらしく大瓶の蜂蜜を買い込んでいた。
直後に私も漬け物を買ったので、時折ぱらぱらと雨に打たれながら重い荷物を抱えて宿へ。
チェックアウトの段になって優待券を出したら、本来チェックイン時に出すべきものだったらしく処理に時間がかかってしまった。
それでも規約どおりに拒絶せず割引を適用してくれたフロント係の人には感謝。
彼は更に「せっかくですから」と当地のグルメマップらしきものを出してくれた。
まずは礼を言ってその用紙を受け取ったが、次の電車で出るにはそんな時間などない。
バタバタと小走りで駅まで移動し、かなりぎりぎりで乗車に成功といった間合いだった。
美濃太田まで戻ると、旧友が美濃市まで車を出してくれた。
「うだつの上がる町並み」なるものがあると聞いて「上がるの?」と驚き、実際に見せてもらうことに。
大辞林 第二版 (三省堂)によると「うだつ」=「うだち」で、
うだち 【卯建】
(1)梁(はり)の上に立てて棟木(むなぎ)を支える短い柱・つか。うだつ。
(2)民家の両妻に屋根より一段高く設けた小屋根つきの土壁。
また、これにつけた袖壁をもいう。家の格を示し、装飾と防火を兼ねる。
美濃市の「うだつの上がる町並み」は(2)の方だった。少し納得。
江戸時代からの古民家を保存し、観光地化している静かな通りをしばし散策。
美濃和紙やその工芸品を扱うお店が古民家の風情と似合っていてなかなかよい眺めだった。
その後、いったん彼女の家に戻って運転手をご主人と交代。
桜並木がきれいだったはず、との彼女の提案により犬山城に連れて行ってくれた。
着いたのが4時半頃だったのでお城そのものに立ち入って見学するのはやめておいたが、
城下町?を歩いてまたまた古民家を見物。
流石にソメイヨシノ並木は来週ぐらいかと思われる蕾だったが、エドヒガンという種類の桜はきれいだった。
温泉、温泉街、遠景の山、渓流、美濃の町並み、犬山城の桜と味わって大充実。
期待していたよりずっと楽しい時間は、気がついたら終わっていた。
女二人旅
初めて家族以外の人と二人旅。
岐阜(美濃)にいる旧友と下呂温泉で一泊した。
まずは高山本線が二両編成のワンマンカーであることに軽く驚きつつ、渓谷を眺めながら下呂へ。
ここ数年ごぶさただったので、昔話どころか近況報告だけで移動時間が全て潰せた。
自宅を出るとき肌寒かったので羽織っていたフリースは明らかに場違いな暑さ。
風が吹けば爽やかなのだが、山のせいか日差しが強く感じる。
やや早く宿に着いてしまったがチェックインは受付時刻より20分ほど早く対応してもらえた。
部屋に荷物を置いて、温泉街を散策。
のはずが、ちょいと足を伸ばしすぎたのか気づいたら二時間ほど歩いていた。
飛騨川の水際すぐそばに整備された遊歩道が気持ちよく、いくらでも歩けた感じ。
宿に戻って汗を流しがてら大浴場を満喫。
アルカリ性のとろっとした泉質はとても好みだ。
いつもは一泊で一度か二度しか入浴しないという旧友も気に入ってくれたらしく、食後にも二人で温泉三昧。
一休みしていたら温泉街での花火が見下ろせてお得な気分だった。
土曜の割に宿(の大浴場)が空いていたのが一番ありがたかったが、ひねもす何をしても楽しかったのでめでたしめでたし。
久々の花鳥園
午後、神戸花鳥園で遊んできた。
中の人が当日の混雑予測をつぶやいてくれるのだが、今日は終日余裕があるとのことで安心してゆっくり滞在。
平日のせいか本当に空いていて思う存分のんびりできた。
土日や夏休みなどは人間と鳥とどちらが多いかという勢いで混むので、夢のような快適さ。
子供連れも数組いたが、みんなペンギンとの写真撮影に並んでいてほぼ影響なし。
まずは一通り水鳥からフクロウまでを鑑賞し、本命のオウム・インコは最後のお楽しみ。
昼間だというのに、寝ている鳥の多いこと。
ただでさえふわふわな羽の塊なのに丸まって寝ていると、枕に見えてくる。
春の陽気と相まって眠気を注入されつつ、不意に轟く雄叫びに振り返ると……孔雀が鳴いていた。
花鳥園は鳥がたくさんいてにぎやかなところであるが、それにしても孔雀の声は群を抜いてでかい。
人間の子供が全力で叫ぶぐらいの音量はあるような気がする。ついでに音程も近い。
一部のお客が気に入らないらしく、瞳孔を小さくして叫んでいた。
オウム・インコ室は期待以上に客の入りが少なく、存分に楽しめた。
モモイロインコ三姉妹と戯れるべく接近を試みたところ、長女「りんごちゃん」が肩に乗ってくれた。
見た目は鳩ぐらい大きいのだが、持ってみると意外にも軽い。
しばらく会話にならない会話を楽しむと、彼女は誰もいない床の方へ飛び去っていった。
公式ブログでも紹介されているが、なぜか床を歩くのが好きらしい。そして遅い。こまの倍は遅い。
置き去りにされてふと振り返ると、視界の隅でにじり寄る黄色い影が。
ネズミガシラハネナガインコの「セネちゃん」が無言で少しずつ少しずつ私に接近してきていたのだった。
詰め寄って来るわけでもなく、ぴぃとも鳴かない。ごく控えめに、奥ゆかしい感じで彼はやってきた。
腕を出すと嬉しそうにぴょこんと乗る。見る間にちょこちょこと肩まで駆け上がった。
におい嗅ぎ放題。#この悦楽は鳥好きにしか分かるまい
インコというよりオウムのにおいがした。
そしてセネちゃん、ジャケットのファスナーをがじがじと噛んでいる。
そう言えば以前この子の同類にコートのボタン(木製)を破壊された記憶が……
でも恨みはない。実害は出なかったし、何より無防備にまったりしてくれるのが嬉しい(←おかしい)。
飼いたくても今の住まいでは許されないので、気が向いたら会いに来よう。
夢見心地で帰宅すると、オチのように愛鳥がすさまじい勢いで呼び鳴きしていた。
現実に引き戻された。
どっちもインコなのになぁ。
社名の意味と意義
たいした話ではないが。
日本では株式会社と言えばおのずと「○○株式会社」か「「株式会社○○」であるが、
中華圏の企業では「株式有限会社」だったり「有限会社」だったりする。
法律の違いで表記がより自由という前提はあるのだろうが、実は縁起の問題だったりするかもという話。
先日、台湾で会社の命名本というのを見つけてきた。
子供の命名本なら日本でもおなじみだが、会社の命名というのに目新しさを感じて購入。
まあ内容は似たようなものだ。
人間の姓と名に当たるように会社名を分解する。
固有名詞の核である前半部と属性(業種など)を示す後半部にすれば、姓名判断と同様になる。
たとえば「ひよこ法律事務所」だと前半部は「ひよこ」後半部は「法律事務所」となるのだが、
・それぞれの画数が吉か凶か、総画数はどうかを見る画数解説
だけならともかく
・後半部の選択候補集(業界別)
がついている。
ハンコ屋だけで10件以上も載っている充実ぶり。
……なるほど訳したら同じになる固有名詞が多いわけだ。
上品な人
義母は非常に品がよい。そのおかげかダンナも上品な感じがする。
結婚当初、うかつにそれを従姉に自慢したら「アンタが気をつける方でしょ!」と怒られた。
#当たり前だ。今(と言うより発言した直後)ならその愚かさが分かる。
色々と四方山話をするようになって、家族の歴史もそこそこ聴いた。
それでも彼女が上品である背景につながる情報は得られていない。
目を見張るほどの家柄だった訳でなし、厳格な躾があった風でもない。
#集まった親族の面々を見て想像。
どのあたりが上品なのかというと、決して人を悪く言わないこと。苦情に感情を込めないこと。
こう並べてしまうと簡単そうだが見習うのは大変だ。
口が悪い文化圏で育ってしまったらしいヨメには特に前者が難しい。
義母は人を悪く言わないだけでなく、しょうもない愚痴をこぼすこともない。
「そんなこと言っても解決にならないでしょ?」と静かに微笑む。
……どこかで聞いたような、と思っていたらダンナの言動にそんなのがあった。
「そんなこと言っても誰も幸せにならないでしょ?」
それはそうだ。あなた方は正しい。ご無理ごもっとも!と泣きそうになることさえある。
家族なのに愚痴一つこぼせないのかよ、と……
脳裏をよぎる「ラポート・トーク(感情の共有)とリポート・トーク(情報の共有)」。
前者が拒絶されているように感じてしまうのは悲観的な性格のせいだろうか。
読みにくい新聞
数年前から新聞各紙の文字が大きくなったそうだが、読みにくくなったという印象しかない。
記事がぶつ切りで「関連記事は○面」「続きは○ページ」といった参照指示の入ることがしばしば。
しかも参照先ページを見てもやはり記事はぶつ切りなので、続きを探すのに手間暇がかかる。
内容を読みにくくしてまで字を大きくする意義が分からない。
字が細かくても平気な私だけでなく、親世代の人々も読みにくくなったとこぼしている。
恐らく中の人はものすごく精密なパズルを組んで日々の紙面を設計しているのだろうと思う。
人ではなく優秀なプログラムか何かがこなしているのかもしれない(全く分からない)。
いずれにせよ、勇気を出して元に戻す新聞があったらそれなりに人気が出るのではと思ってしまう。
勿論そういう意味での読みやすさ分かりやすさを最大の売りとする商品性で。
……と書いて無性にむなしくなったのは何故だ。
ひみつへいき
副業の分類業務やコード整理業務を行っているときだけ登板する「ひみつへいき」。
コンパクトフルキーボードを久々に出した。
数字入力が多いときはテンキーがとても活躍するのだが、独立テンキーはなんとなく落ち着かない。
Bluetoothテンキー電卓も持っているものの、マウスと置き場所を奪い合う気がするのだ。
キーボード一式で幅383mmに納まってくれる「ひみつへいき」の方がお気に入り。
難点はHomeキーがFn+←、EndキーがFn+→に割り付いていること。
Excelを使っているとShift+Home/End+↑/↓を同時に押して範囲選択をすることが多いのに、
上記のキー割り付けでは実現不可能なのだ。
まぁ数字入力と比べればはるかに低い頻度なので範囲選択のときはPC本体のキーを押すまでだが。
加えて、「ひみつへいき」はごくたまに出張する。
USBでもPS/2でも接続できるので、他のPCやらダンナのMacにも使えるのだ。
尤も普段はSynergyとやらのおかげで「ひみつへいき」の出番はないが。
愛読書は辞書だった
何故か昔から小説の類が苦手なので、私の本棚は参考書だらけだ。
翻訳領域が多岐に渡るので、高校の教科書類は手放せず重宝している。
実際には習わなかった生物や地学の教科書も、運良くもらいものにありつけた。
そういうわけで?見る頻度が最も高い参考書は高校の理科の教科書だったりするのだが、辞書もたくさんある。
留学中その価格差に味を占めた私は、中国語がらみの辞書は日本では買っていない。
小学館の中日辞典は大学に入ってすぐ買ったものだが、他は中華圏で仕入れてきたものだ。
ただ翻訳参考用の辞書はほとんどが対訳用語集のようなもので、あまり参考情報が載っていない。
語義の詳しい解釈やら囲み記事やらを読むのが好きな私には寂しい限りである。
電子辞書だと周辺の情報が視界に入らないので云々という話を見聞きしたことがあるが、
それより「検索しないと読めない」ので読むに適さない、という方が私には寂しい。
ただ検索するだけならこちらのほうが早いので私も持ってはいるが。
小学生の頃、よく授業中に辞書を読んでいた。
最初に与えられた小学館の国語と漢和は5周ぐらいずつは読んだと思う。
漢和辞書は特に言葉の出典などがあるため「読み物として」面白かったのを覚えている。
その習慣のせいか辞書を引くのも他人様より速いのがささやかな自慢だった。
……それが今や索引の位置すら忘れている。とほほ。
重なるときは重なるもので
翻訳(週明けまで)と副業(来週中)とお茶を半日で受注。
英文和訳ながら担当者がせっぱ詰まってそうなので、少し助けるつもりで応諾したらお茶の注文が。
量り売り商品の用意をしていたら今度は副業の引き合いが入った。
三者の間には何ら関係がないあたりが妙味。
副業の納期に余裕があったので翻訳と両立できることになったが、心情的にはこちらを優先したい。
……よりによって翻訳のほうが取引先の中では最も安い部類の単価だったので。
単価が安かろうと納期が短かろうと、それに応じて品質を調整できない(手を抜けない)ので儲けは薄い。
引き受けたからには全力で誠実にこなすのが筋であろうし、急ぐには瞬発力のようなものも要る。
しかしそれが報酬に反映されないと最初から知っている(宣言されている)のが何とも。
うにうに
生えかけの羽(筆毛)を抜いたり抜き損ねて折ったりしていた愛鳥こま。
そんな彼にもやっと新しい筆毛が生えてきた。
以前なら元々の羽がある下に生えてくるので目立ったりしないのだが、毛引きした箇所だと筆毛だけが見える。
かつて実家にいたころ筆毛の生えてきた子達をサボテン呼ばわりしてきたが、今回はむしろ海胆だ。
サボテンの本体(葉肉?)に該当する部分が見えないし、放射状に一斉に生えている。
これが無事に開いてくれたら毛引き問題も一旦は解決かと見守っているのだが、他人様から見たらかなり気持ちの悪い見た目だろうと想像する。
小鳥の首、腰に海胆。
ついでに言うと筆毛が軒並みスミレ色なので、ムラサキウニっぽい。