違いすぎて

大学時代の友達が遊びに来た。
会うのは二年ぶりだったが、二年分の近況を聞かれると意外に答えられない。
去年ばたばたしすぎたせいか一昨年の記憶がまるでないのだ。
彼女のほうも、何をしていたかというと「育児」の二文字しかないという。
まあ二年前に下の子を出産したばかりなので無理からぬ話だが。
彼女とはそもそも一時期いたクラブが同じだっただけのつながりで、他の接点はまるでない。
ダブルスクールから他大学の大学院を出て就職を経ず結婚し、今や二児の母。
経済観念が上流すぎないのでつきあえるが、まるで違う世界の住人である。
相変わらず快活で社交的で行動力のある人だった。
育児しかしていないと言いつつ、サークルを作ったりヨガ教室に通ったりと多忙な様子。
「今の内にやりたいことをしておかないと」とのことだった。
年度が替わったら、下の子を保育所に預けるべくまたパートに出るのだそうだ。
一方で、自営の仕事を始めたいがご主人の扶養から外れたくはないとか。
本や新聞でしか見聞きしていなかった人種が目の前で私に話しかけてくるとは驚きだ。
しかし全く裏を見せない人なので、こちらもひがむことなく相手ができる。


昼食が一段落したところで「ちょっと相談が」という。
「何でもいいからコメントちょうだい」と手書きのチラシらしきものを見せられた。
ごく真面目にあれやこれやが書き込まれた、でも暖かみのある作品。
自分がやりたい教室の宣伝チラシとのことだったが、教室自体が寝耳に水でしばし唖然。
彼女の決断力と行動力をもってすればおかしくはないのだが。
日本語の字面がどうこうという稚拙な突っ込みどころはとくになかった。
それよりも、何をしたいのかが分からないと何を伝えたいのかも把握できない。
勢い、「ここのコンセプトってこれでいいの?」「対象は誰?」と質問攻めにしてしまった。
真面目に、でも嬉しそうにメモを取られると妙に照れる。
こうした謙虚な姿勢も私には欠けているかもしれない。
私なりに考えて誠実に答えたつもりだが、素人の域を出るものではなかったと思う。
(振り返ってみると、広告ものの翻訳は数えるほどしか経験がない)
むしろ、一緒に考えて練り上げるという作業でこちらが勉強させてもらった。
その意図でこういう表現を選ぶ人がいたり、そういう場合があるのか…。


それにしてもすごい行動力だよね、と感心すると、「そう?」と彼女は屈託なく笑った。
「自分で始めないと何も始まらないから」
「今こうしているこの瞬間がとても大切だから」
まるで共通項のない彼女とも、それだけは面白いほど共有できた。
そうだよね、ありがとう。

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