傷ついても

原文に書いてあることではなく、原文で書きたかったであろうことを訳せ。
発言ではなく、発言者の意図を訳せ。
翻訳学校で教わった基礎の一つである。
技術文書を訳すときに気にすることはないが、個人的な文に向き合うときは必要なことだ。


そのための教材かと言えそうな原稿に当たった。
触れられたくない事件をいくつも報道記事で再掲し、偉人伝と並べて最後に「がんばって」。
仕事でなければ決してお目に掛かりたくない類の作文だ。
事実とやらで何度も読者の傷を抉り、「でも、だから、がんばって」と締めるのはずるい。
しかし許す許さないではなく、その文の意図である励ましを読者に届けねば翻訳ではない。
一読して自分が傷つくからこそ、そこから立ち直る術を提示するのが今回の使命だ。
原文筆者は読者を傷つけたいわけではないから。
それを全体に伝えないと、共感に辿り着く前に読者が折れてしまうだろう。
折れてしまっては本末転倒なのだ。
無論、書かれていないことを訳出するわけにはいかない。
文意から逸脱することなく、文の意図を伝えるのは基本中の基本。
自分にそう言い聞かせて通読しなおし、自分の言葉の挟み方を一から考えた。
あらん限りの心を砕き、必死に向き合って訳出したつもりなのだが、伝わっただろうか。
私のこんな気持ちは伝えてはならない。
透明な存在として、原文の声だけを届けないと。
祈るのは余りに無責任かもしれないが、願わくば全ての読者に励ましが届かんことを。

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