大陸某社から依頼された翻訳の原稿が、なんとその会社と顧客との基本契約書だった。
和訳をさせたということは、日本企業との取引を拡大するという話なのだろう。
あいにく全文を見ることはできなかったが、責任範囲の規定が興味深いものだった。
・元原稿の支給が遅れたら顧客から同社へ違約金
・元原稿の見やすさと真実性は顧客の責任
・元原稿に修正が入ったら、納期は再協議、発生費用は顧客負担
・第三者の権利を侵害しない保証は顧客の責任
知らない人が見たら当然すぎる内容かもしれないが、果たしてこれは常識だろうか。
私自身は飽くまで末端の下請なので邪推の域を出ないが、守られているほうが珍しい。
少なくとも
・元原稿の到着が遅れてもこちらの料金は変更なし
・元原稿がところどころ読めない
・内容に論理的な矛盾がある
・「数文字(数行)だから追加料金なしで」
はよくある話だ。
(尤も同社案件でそういう目に遭った記憶はないが)
契約書は権利を主張して確認しあうためのものなのだ、と今更ながらに思った次第。
これだけ鮮やかに要求を言い切ってくれるとすがすがしいものを感じる。
相手の言い分が受け入れがたければ協議して修正すればいいのだ。本来。
現実問題として泣き寝入りに近い作業条件になることもままあるが。
自分の立場の弱さが分かっていないこともあり、権利を主張するのは怖い。
なのでせめて、新規の取引先とは最初に詰められるだけ詰めることにしている。
相手側の無理を聞くことがどこまで価値あるものなのか、改めて考えたい。
本当の中身、正味の翻訳だけでどこまで勝負できるのか。
発注してくれる側はどこを見込んでくれているのか。
あるいはそのあたりを怠ったまま、ここまで来てしまったのかもしれない。
考え直した結果、このまま行くとしても、向き合い方は変わるはずだ。
小さい案件ながら、得たものは大きいように思う。