異文化コミュニケーションのための中国語

県の機関が主催する中国語講座を受けてみることにした。
いきなり実践応用編に申し込んだので、講義は全て中国語。
幸い内容が聞き取れる程度の能力は残っていたようだ。


講師は複数の大学で中国語を教えているという大連の女性。
まずは自己紹介ということで、先生の経験談に耳を傾けた。
「回り道はあったけど、無駄はなかった」
様々な職業を経て「好きなのは講師(業)だ」と結論を得たのは44歳だったという。
純粋に日本語が好きで周囲の反対を押しきり大学で日本語を専攻。
多くは語られなかったが、文革の最中ではかなり困難だったことだろう。
それでも自分のしたいことにまっすぐで、協力者を引き付けたようだ。
運がよかった、と彼女は言うが、運すら引き寄せたのだろうと感じさせる何かがある。
受講者の自己紹介は午後の部になる予定だったが、鞘当てはあった。
順に学習経験を話すだけだが、聞くほどに自分は皆無としか言えなかった。
駐在経験や修士号取得など、皆さん実に誇らしい。
「日本の子に大学で教えたってすっからかんだからねえ」との枕が出され、投了。
そこから交流を学ぼうというのはなかなかハードルが高い。
或いは自分の学ぶべきは語学以前なのか。
自己紹介の本番は可もなく不可もなく。
当然と言えば当然だが、先立つものは内容であり論旨だ。
日中の相互理解に尽力したい、という発表に先生の表情が曇った。
「それは頭が痛い」と。
何故それを聞いて笑えるのだろう。
いっそ、そちらが冗談であれば救われるのだが。

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