異文化コミュニケーションのための中国語講座第3回。
やはり先生のこぼれ話が興味深く面白い。
政治や信仰の話は先生も避けておいでのようだが、ちらと靖国の話題に。
日中の誤解の原因は死生観にもあるのでは。
日本では死者はすなわち仏、生前の悪行が許されているようだ。
功罪の罪は言わないのが美徳か。
故人を偲ぶ気持ちも相応に軽いものに見える。
中国では誰であれ、死んだぐらいで行いは浄化されない。
悪いことは悪い、した人間は悪いから罵られ続ける。
水に流すなど、とんでもない。
この文脈の「許す」主語は社会、一般大衆である。
要はそういう眼差しがそこに向けられている、ということだ。
こうした「難しい」「微妙な」文化差を理解するのに何年かかるか。
「そういうのが分かって通訳できる」までに来日から20年かかったという。
日本人の言っていることを把握するまで3年。
聞き返されない日本語を話すまで10年。
その段階で「直訳」はできるようになったとのこと。
「直訳」から「意訳」まで、ほぼ同じ時間がかかっている。
自分に厳しく評価しての数字かもしれない。
一方で、「語学」から入って「通訳」に向かったからかとも思う。
結局のところ先生は通訳を業として行っていらっしゃらない。
教えるほうが好きだからだそうだ。
少し口角が上がった。