ある職人の仕事

ここ数年、日常で出会うサービス業の人々が気になりだした。
親しみを持って交流してみたら何か面白いことが見つかるかもしれない。


ここ5年あまり使っている包丁がどうにも切れないので研ぎに出した。
料金が税抜き1000円はともかく、納期5日に目を丸くする。
よくよく聞けば5割増しで即日とのこと。
忙しそうには見えないのに、と思ってしまったが。
割り増しが惜しいというほどでもないが、予備はあったので即日では頼まなかった。
それだけの仕事を見せてもらおうか、というむしろ不遜な気持ちで。
果たして、返ってきた包丁は生まれ変わっていた。
新品当時より切れ味が増している気がする。
野菜の皮を剥いていて右手親指に毛羽のような傷がつくほどだ。
そして、気づくのが遅かったのだが、名前を失っている。
輸入物なので鍛冶の作品ほど深い刻印ではなかったのだろう。
とは言え、もう包丁の銘柄も材質も一目で分かる証拠はない。
いつかまた研ぎに出したとき、彼は「ステンだからねえ」と言えるだろうか。
依頼の前後には説教もされた。
刃物に対する認識が甘く、管理がなっていない由。
「仕方ないからまた持って来るんですな」
同情の色も笑顔もなかった。
さて、十分に仕事をしてくれたと言えるだろうか。
どこまでが、何が仕事なのかという認識と要求によるだろう。
そしてそのいずれも依頼者の主観。
翻って自分が「それでも頼みたい相手」になるには。
顔を見せない商売ながら、印象にも気を配るべきということか。

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