手持ちの仕事がそこそこ順調に進んだので早めに就寝した数分後。
かなり懐かしい差出人のメールが携帯に転送され、やむなく起きるはめになった。
翌日までに中国語訳が必要だという。
どこぞの翻訳会社からの依頼であれば「和訳専門ですので」と断っていたところだ。
いかんせん、この人はそれを承知で「そこを曲げて」と言うので致し方ない。
幸い分量が少なかったこともあり、引き受けてみたら3年ぶりだった。
(もろもろのファイルを取引先別に保存しているため手元の検索で分かる)
参考資料として類似した文の対訳ももらえたので、訳出に時間はかからなかった。
最後にフォントを揃えようとしたところでExcelが異常終了してしまい、いったんやり直し。
やり直しても異常終了が再現するので、その旨は申し送りとして納品することにした。
中国語訳を業として行わないのは、そもそも求人がほとんどないのが主な理由ではある。
まして、自分の作文力では中国語「商品」にたどり着ける気がしない。
中国語は通信文や講演資料などの「一般的な挨拶」ほど想像を絶する華美な表現なのだ。
華美な表現を簡素で事務的な日本語に訳すことには慣れている。
それでも逆となると、肌感覚の絶対的な不足に直面してしまう。
発話者の立場や年齢に合わせて古典や定型文を引き出さねば「中国語」にならない。
それができなければ商品性もなかろうと思われるので手を出さないのだ。
日本人が中国人に馬鹿にされてはならない。
敵対的な意味ではなく、ただでさえ卑屈に見えるので「対等」にも演出が要ると思うのだ。
それが日中交流の「普通」だと、少なくとも自分は思っているから。
一方で、純粋に技術的な内容の文書であれば訳出もできるものだと感じた。
ものによっては膨大な手間暇がかかり、「商売」にならない恐れはあるが。
先立つものは経験。
一般的な論理としておかしい気はするが、この仕事については一面の真理だ。
まずは静かに、できるところから積み上げていくのみ。