避難訓練

勤務先の入居しているビルで各社合同避難訓練。
半月前からメールでお達しが回っていた。
訓練は11時からだというのに10時から予告放送が入る。
ビル側はやる気のようだ。
その何ともお上品で悠長な放送を聞き、サンダルから靴に履き替える。
席に残っていなければというほどいそがしくもないし、
一度この高層階から階段で降りてみるのもいい経験だろう。
11時。予告と同じ調子で放送が入る。
ど真ん中の階で出火した想定らしいが、やはり緊張感がない。
部署の人に「行かないんですか?」と聞いても
「消防車いるじゃん、割と本格的なんだね~」と全く他人事。
一緒になって階下を眺めていた私も私だが、
この緊張感のなさはご丁寧すぎる館内放送のせいだろう。
数分たってもフロアから人が出て行く気配がない。
流石に誰も行かないのはまずかろう、と数人がしぶしぶ移動。
非常階段の入り口を開けて驚いた。結構な人数だ。
上層の皆さん、まじめに訓練してらっしゃるではないか。
ヘルメットを被ったり、旗を持ったりと本格的ないでたちの人もいる。
「うち以外みんなちゃんとやってるっぽいですよ~」
「他の会社はやっぱりまともだよね~」
「……でも人数の想像がつかなくて訓練にならないんじゃない?」
全くその通りである。
このビルの入居者では私の勤務先が最大勢力なのに、
階段で確認できる限り数人しかいない。
どうがんばってもフロアの一割にすら達していないだろう。
螺旋階段と言うべきか否か、四角い階段がぐるぐる続いている。
踊場の長さが適当にあるせいか、意外と目が回ったりはしなかった。
そして、四角い渦の真ん中は吹き抜けで下の方が見える。
「怖い」「落ちそう」「気持ち悪い」周囲の評価は散々だが、
なかなかどうして面白い眺めだ。
全く理解できない現代美術に放り込まれた感じ?
1階に着くと非常口が開きっぱなしになっているため寒い。
やっぱり上着を着てから「避難」すべきだったかと少し後悔。
集合場所らしき広場には相当な人数、みんな知らない顔。
よその会社さんは旗を振ったり社名の入った紙をかざしたりして集合している。
きれいに整列して点呼しているらしいところさえある。
それに引き換えうちの会社は…..どこなんだ、そもそも。
集合地点も点呼担当者も分からない。
それどころか一緒に降りてきた面々しかいないような気がする。
いくらなんでももっといるだろ!
震えながら同胞を探していると、
「え~、皆さん無事に避難されたと、確認できましたぁ~」との声。
ビル管理会社の人らしいおっちゃんが拡声器で何やら読み上げている。
「全社の点呼確認も終了しましてぇ~」
……ゑ?
してないよ、されてないってば!
いい加減だったのはうちの会社だけではなかったらしい。

カフェごはんの法則

私の勤務先は、東京の某再開発地区にある。
職場も含め、周りは巨大なビルだらけ。
そして申し合わせたように小洒落た飲食店がひしめいている。
居酒屋だろうとラーメン屋だろうと、みんな似たような空気だ。
だからお昼は「カフェごはん」。
「飯を食いに」行けるところはない。「ランチをしに」行くのだ。
カフェになぞ行かないが「カフェごはん」ばかり食べている。
法則その壱:白無地の食器。たまに黒いのも見るが、やはり無地。
形も正方形や楕円形のそっけないものが多い。
法則その弐:料理名にどうでもいい修飾語がつく。
「キャベツのパスタ」→「新鮮キャベツのパスタ」
「ごはん」→「おいしいごはん」
どちらの例も、そうでなければ困るのは私だけか。
この「法則その弐」を書いていて、ある通訳技法を思い出した。
日本語を中国語に訳す場合だけかもしれないが、
文字数や語呂を合わせたり、雰囲気をそれらしくしたりするため、
「預金する」を「銀行に預金する」と言ったり、
「会社に行く」を「会社に仕事しに行く」と言ったりするのだ。
逆に中国語を日本語訳する場合はそういった言葉を省いたりもする。
ええと。この再開発地区の出店者って発想が大陸的なのか?