変化の年

気づいてみると、2010年という年もあと数時間しかない。
傍目には分からないかもしれないが、従来ありえなかったことだらけの一年だった。
外、人々、社会に目を向けられるようになったこと。
自分から人に声をかけられるようになったこと。
斜めに見下すのではなく、自分や人と向き合えるようになったこと。
意外にも自分が受け入れられる存在であると知ったこと。
衷心から敬愛できる仲間に出会えたこと。
そして、いい一年だったと悔いなく振り返られること。


今更かもしれないが、どれも自分にとっては大事な変化だと断言できる。
ここで自分を否定しないことが何より重要だと、今なら思える。
前向きになろう、ならねば、とは以前から思っていたのだが、漸く「前」がどちらか見えてきた。
反省点も勿論ある。
どうしたいのか、何がしたいのか、自分を問い詰めすぎていたかもしれない。
問い詰められて出た答えが自分の望みなわけはないのに。


上記もろもろを踏まえて。
来年は、これまで得てきたものを誰かに、どこかに伝える年にしたい。
ささやかでも。


この駄文をご覧の皆様(、本当はもっとたくさんの皆様)、本年は誠にありがとうございました。

言葉なき便り

年末の買い出しから帰宅すると、宅配便の不在連絡票が入っていた。
差出人は郷里の伯母である。
ものを受け取ってみると、ずっしり重い箱だった。
冷蔵庫の一段をまるまる占領するダンボール箱いっぱいに、地元名産の蒲鉾。
のし紙も添え状も入っていない。
時節柄、紅白の板物と伊達巻きも入っていた。
二人で食べきれる量ではないので、季節物はダンナの実家へ運ぶことに。


私は電話が苦手なので、頂き物のお礼は手紙で済ますことが多い。
しかし今回は何か引っかかるものを感じたので、敢えて夜に電話をかけてみた。
品物は何の変哲もない蒲鉾だし、送られて不審に思う由もない。
ただ何となく、声が聞きたくなったのだろうと感じたのだ。
電話の第一声は、「この前は(家に)いなくてごめんね」だった。
帰省する時はできる限り顔を見せに行くことにしているのだが、先月は会えなかったのだ。
手土産だけを母が後で届けたこともあってか、こちらよりも気にしていたらしい。
その後どうということはない近況を話す声はやはり嬉しそうだった。
そして、努めて明るい声で話そうとしている。
恐らく何か気落ちすることがあったのだろうが、敢えて聞き出そうとはしなかった。
ちょっと聞こうかなと思うと、牽制するような間で「年だから」と苦笑いが入る。
そうじゃないでしょ、と出かかったのを飲み込み、一通り話を聞いた。
気分転換で長姉の旧居にほど近いその店を訪ね、いつもと違う空気を吸ってきたのだそうだ。
本数の少ないバスを乗り継ぎ、何区間分かはリハビリがてら歩いてきたという。
そうして蒲鉾を見たら、私の好物だったと思い出して送ったのだと。
全く彼女らしい。
元気でやっているからご心配なく、としか伝えようがなかった。
「若いからって無理をため込んではいけないよ」
「どこか調子を崩したら、徹底的にちゃんと治しなさいよ」
こちらが見えているかのように、耳に痛い言葉を投げてくる。
何も伝えてなくとも、お見通しなのだ。
そして自分のことは棚に上げて、こちらの心配ばかりする。
夏に顔を見せたときの「あんたは変わらないねえ」と言っていた表情を思い出した。
しばらくしたら、変わらない顔を見せに行こう。
それしかできないことは解りきっている。

二次元半の人々

私の東京滞在中に時間を割いてくれたのは、日曜に集まってくれた4人だけではなかった。
月曜の晩に1人、火曜のお昼にも1人、お店の予約までとって出迎えてくれた「弟子」がいる。


この「弟子」というのが私には(私にも?)いまいちよく分からないのだが。
ついったー界隈には何故か4人ほど、私を「師匠」と呼ぶ同業仲間がいるのだ。
呼ぶと言っても普段から二人称が「師匠」だったりするわけではない。
ふとしたときに出てくる愛称のようなものだということは分かっているのだが。
全員が全員、私より年上で業歴も長い人ばかり。
私のごとき若輩者に何を学ぶのかと尋ねると、不思議と全員が「人生」と返してきた。
(私の把握する限り、4人全員が顔を合わせたことはない)
かなり大げさに聞こえるのだが、言葉にするとそうなってしまうということなのだろうか。
実際にお会いして話をする機会があっても、学ぶことがあるのは私の方なのだが。


言いたいことを一方的に押しつけて満足、という人もいない。
心から敬愛するに値する先輩方が、何故か私を「師匠」と呼ぶ不思議。
皆さんに共通しているのは、日々せいぜい100文字の「つぶやき」を深く読み込んでいること。
人を不快にさせる「つぶやき」をしていないこと。
滅多に顔を合わせなくても(初対面でさえ)全くそうは感じさせないこと。
いつまで話していてもお互い(少なくともこちらは)飽きないこと。
何の話をしていても筋が通っていること。それでいて自ら前には出ないでいること。
建設的な言葉をかけてくれること。
そして、敬意を持って接してくれること。


反射的な同情ではない共感というものを教えてくれた人々。
普段は画面の向こう、二次元のような存在だが、実際に話をしても何らずれは感じない。
言葉をひさぐ存在としては正しくないのかもしれないが、語らずとも共有できている文脈がある。
探るような真似をしなくても、心が通じているのが解るのだ。
私から彼らに何を与えられているのかだけは解らず悩ましいところなのだが、
せめて前向きな力をくれた恩だけでも、いつかは倍返しにしたいと思っている。

JTF翻訳祭つぶやき係

20周年記念JTF翻訳祭に参加してきた。
純粋な聴衆ではなく、講師や司会でもなく、ついったー実況担当という不思議な役回り。
何をしたかと言うと読んで字のごとく、講演内容をひたすら実況していたのだが。
内容そのものは落ち着いてからまとめるとして、ことの経緯を種明かししておこうと思う。


今年のJTF翻訳祭は20周年記念ということもあり、新しい試みで行われることになった。
…という計画をひょんなことから耳にしてしまったのが9月の別イベント(PT)時。
仲間数人で昼食に出ようとしていたところ、偶然かそうでもないのか実行委員の一人である河野弘毅さんに声をかけられたのだった。
河野さんは4月に大阪で西日本セミナーの講師を務められた業界の有名人。
間接的にお世話になっている同業者は売るほどいる。
その大御所からおもむろに「手伝っていただきたいことが」と切り出され、目が点になった。
当初は翻訳祭の開催案内をついったーで告知してほしい、という程度だったのだが。
PTでメモ代りにつぶやいていたのが実況ツイートに見えたらしく、翻訳祭でもやってほしいということに。
今年の翻訳祭はメイン会場と分科会に分かれ、5部屋でそれぞれ別内容の企画があった。
ついては5人で実況してもらえまいか、と…5人?
何故か人選まで任されてしまい、とりあえず乗ってくれそうな仲間に声をかけてみることに。
唐突で中身のない申し出だったのにもかかわらず、皆さんすぐに快諾してくれて驚いた。
集まってくれましたよ、と河野さんに報告してさらに驚かれたのは言うまでもない。


事務局とはメールが2往復ぐらいした程度で、特に打ち合わせもなく前日を迎えた。
どうしたものか、と不安やら疑問やらもやもやしていたのだが、幸い5人が集まれることに。
実際は4人が仕事の都合をつけて集まってくれたというほうが正しい。
決して打ち合わせという名目や目的があったわけではなく、「みんなでご飯」だったのだが。
各人の近況やら仕事云々やらにまぎれて、「そうそう明日なんだけど」と話題になった。
あれこれ気にしていては発信できないし、自分のIDでつぶやくんだからのびのびやりましょうということに。
「いっそ失敗したほうが来年以降の人も気楽だよね」は極論かと思うが、楽しかったのでよしとする。


そして迎えた当日、基調講演から実況ツイートを開始するべく開場前に着席。
書記席の隣を確保しておいてもらえたので、難なくPC用の電源にありついた。
インターネット環境はなかったのだが、WiMAX端末を持参していたので事なきを得る。
そこから終日ずっと実況ツイートに没頭しており、とりあえず疲れたというぐらいしか記憶にない。
講演内容はどうにか覚えてはいるが、それこそツイートを読み返さないと思い出せないほどだ。
全文は書き込むなとか文句は書くなとか要求されていたのだが、正直おかまいなし。
構っている余裕は全くなかった。
ついったーなので時折こちらの書き込みに反応が届いたりもするが、流石に返信はほとんどできず。
返信に頭を使っていたらその間に講演が進んでいってしまう。
最後に「以上、メイン会場からお伝えしました!」と書き込んでやっと一息ついた。
分科会に出ている仲間に声をかけてみると、まだもう一講あるとのこと。
顔を見て挨拶ぐらいしようかと思っていたのだが、その気力がなくなっていたので早々に会場を出てしまった。

みんなでごはん

今回の翻訳祭、実は公認?実況ツイートという珍しい形で参加する。
実行委員の方に依頼されて聴講という不思議な事態だ。
会場が5つに分かれているので、私の他にも4人の方が同様に構えてくれている。
全員が9月のProject Tokyoでご一緒した東京近郊の同業仲間。
唐突に人選を頼まれて声をかけてみたら、こちらも驚くほどすんなりと快諾してくれたのだった。
翻訳祭前日である今日、その皆さんと夕食をご一緒できることに。
各人かなりご多忙だとは聞いていたので、まさか全員が集まれるとは思わず望外の喜び。


待ち合わせ場所に行くと、既に2人が立ち話をしていた。
顔を見るのはちょうど3ヶ月ぶりなのだが、お久しぶりという感じもなくごく自然に合流。
集合時刻の少し前にはみんな集まった。
幹線道路から少し奥に入った住宅地らしき場所のお店へ、にぎやかに移動。
席を予約しておいたはずなのに、どうもお店の人が人数分の確保を忘れていたらしい。
4人卓に所謂お誕生席を添える対応になったので、そこに座ることにした。
フォークが人数分なかったり、補充を頼むと倍ほど持ってきたり。
みんなでくすくすと笑いながら、仕事関連の具体的な近況を話し合ったりした。
誰もが相当の忙しさの中わざわざ集まってくれていることが分かる。
決して誰も恩着せがましいそぶりはしないのだが。
「わー珍しい、仕事の話してるー」
「じゃいつもは?」
「食べ物の話ばっかり」
全員が知らないというペルー料理。飲み物も敢えて想像が付かないものばかりを注文。
美味しいとか不味いとかではなく珍しい味だった。
写真を撮ってみたり、みんなで味見をしたり。


皆さん唐突に巻き込んで済みませんね、と依頼の経緯をかいつまんで説明し、少しだけ打ち合わせ。
「声をかけてくれなかったら参加しなかったかもしれないです」
「貴重な体験ができて本当にうれしいです」
などとお礼を言われてしまって恐縮した。
実況ツイート自体が翻訳祭としても初めての試みなので、まあのびのびやりましょうということに。
「ちゃんと実況できるのかなあ」
「むしろ最初に大失敗しておいたほうが、後の人も気楽だったりして」
「まずは思い出づくりってことで」
大阪土産を配りながら、ああでもないこうでもないと盛り上がる。
こうして集まって一緒に楽しんでくれる仲間ができて、純粋にうれしい。


わいわいしているうち、お店の人がおまけデザートを出してくれた。
ふと気づくと他の卓がすっかり無人になっている。
時計を見ると22時半。
あわてるでもなく精算を済ませ、やや迷子になりながら駅へ移動して解散。
私の宿泊先と方面が同じ人が1人だけいたので、話し足りなかった分?電車で談笑の続き。
本当に楽しいひとときだった。

東京の片隅で

未明に自宅を出て早朝便で羽田へ飛んだ。
とは言え昼食まで用事はないので、空港ラウンジでしばらく暇をつぶす。
いつもなら満席でもおかしくない時間帯なのだが、日曜のせいかラウンジは閑散としていた。
電源とネット接続があって、清潔なお手洗いが確保されていて、飲み物まである。
東京で一番お気に入りの場所かもしれない。


昼食は、ついったーで最近よく会話するようになった女性と初対面。
ついったーで知り合った人と実際に会うのは初めてなのだそうだ。
せっかくなので近隣の仲間も誘ってはみたのだが、あいにく師走で誰もつかまらなかった。
年齢の近い同性ということもあり、おかしな緊張をすることもなく飲食店へ。
twitcardならぬminicardを持参して、好きな写真のものを選んでもらい名刺代りに渡す。
このminicardは100枚それぞれ違うこま写真が背面に刷られているというもの。
普段こま写真に多くコメントをくれている人だったので、話の糸口にはちょうどよかった。
話題は七割方ペット。うさぎとインコではかみ合わないような、意外とそれでいいような。
現在は派遣社員として社内翻訳の仕事をしているそうだ。
派遣期限が切れたら独立になるか、といった辺りから仕事周りの話もちらほら。
私は言語(市場)が違うので経験をそのまま還元してあげられないが、他の諸先輩方から聞いた話をいくつか伝えてみる。
「なるほど、いいこと聞いた!」と目を輝かせてくれたのが収穫ということにしておこう。

筆跡は語る、のか?

癒しスタジアムなるイベントに参加すると称して、岐阜の旧友が来阪した。
どんなイベントなのかも分からないまま、乗り換え案内がてら同行することに。
彼女は既に特定のブースで予約がしてあるとのことで、一時間ほど「その辺ぶらぶらしといて」。
ビューティースタジアム同時開催とかで、前世占いからネイルアートまで凄まじい混沌の世界。
とりあえず二週ほど見て回っても時間は有り余っている。
せっかくの滅多にない機会なのでと思い、開運筆跡診断なるものを受けてみた。
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占い横町の一角?
葉書に自分の住所氏名と「様」を記入し、その筆跡を「心理学で」診断してもらうというもの。
後から聞いた話では、「筆跡心理士」という商売があるらしい(苦笑)
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青字が鑑定してもらった字、黒字は私のメモ(お目汚し失礼)

一通り書き終えて差し出すと、「先生」は開口一番に「ふるかわさん、情の人ですねぇ」としみじみ。
自分では、義理と人情を秤にかけたら義理を取るほうだと思っていたので意外だった。
診断の根拠は、「様」の最後の「はらい」が余分に長いことだという(写真参照)。
この字の書き方のとおり、余韻を引きずってしまうとのこと。
他に指摘された箇所は箇条書きにしてみる。


・一行目の後半が右(紙の縁)に寄っている:精神的に疲れている
・偏と旁の間隔が狭い:他人がつけいる隙のない「自分の芯」を持っている
・紙面に対して字が小さい:自分から前に出て行くタイプではない
・「とめ、はね、はらい」が徹底されている:責任感があり、自分でけじめをつけられる
 (一方で、こだわりが強く自分を追い込んでしまいがち)
・字画に「ひねり、ひっかかり」がない:素直に物事をとらえられる
・木偏の縦画が横画から十分に長く出ている(写真「様」の字):出るべきときは出られる
・横画の閉じが甘い(写真「智」の字):交渉の詰めが甘い


総合診断としては、
・情にもろく一途なところがある
・完璧主義でこだわりが強く、専門職に向いている
・売り込みや交渉は不向き
とのことで、職業を答えたら愉快そうに大笑いされた。
開運アドバイスがもらえるのかと聞いたところ「何をしたい?どうしたい?」と逆質問。
特に夢やら展望やらはないが、人に迷惑をかけず生きていければ、と素直に答えてみた。
「それならこのままで大丈夫。それでも困ったときには誰かに話を聞けばよろしい」とのこと。
そして最後に悪戯っぽく、「どうせ何をしろと言ったところで聞きやしないでしょう」。