言葉なき便り

年末の買い出しから帰宅すると、宅配便の不在連絡票が入っていた。
差出人は郷里の伯母である。
ものを受け取ってみると、ずっしり重い箱だった。
冷蔵庫の一段をまるまる占領するダンボール箱いっぱいに、地元名産の蒲鉾。
のし紙も添え状も入っていない。
時節柄、紅白の板物と伊達巻きも入っていた。
二人で食べきれる量ではないので、季節物はダンナの実家へ運ぶことに。


私は電話が苦手なので、頂き物のお礼は手紙で済ますことが多い。
しかし今回は何か引っかかるものを感じたので、敢えて夜に電話をかけてみた。
品物は何の変哲もない蒲鉾だし、送られて不審に思う由もない。
ただ何となく、声が聞きたくなったのだろうと感じたのだ。
電話の第一声は、「この前は(家に)いなくてごめんね」だった。
帰省する時はできる限り顔を見せに行くことにしているのだが、先月は会えなかったのだ。
手土産だけを母が後で届けたこともあってか、こちらよりも気にしていたらしい。
その後どうということはない近況を話す声はやはり嬉しそうだった。
そして、努めて明るい声で話そうとしている。
恐らく何か気落ちすることがあったのだろうが、敢えて聞き出そうとはしなかった。
ちょっと聞こうかなと思うと、牽制するような間で「年だから」と苦笑いが入る。
そうじゃないでしょ、と出かかったのを飲み込み、一通り話を聞いた。
気分転換で長姉の旧居にほど近いその店を訪ね、いつもと違う空気を吸ってきたのだそうだ。
本数の少ないバスを乗り継ぎ、何区間分かはリハビリがてら歩いてきたという。
そうして蒲鉾を見たら、私の好物だったと思い出して送ったのだと。
全く彼女らしい。
元気でやっているからご心配なく、としか伝えようがなかった。
「若いからって無理をため込んではいけないよ」
「どこか調子を崩したら、徹底的にちゃんと治しなさいよ」
こちらが見えているかのように、耳に痛い言葉を投げてくる。
何も伝えてなくとも、お見通しなのだ。
そして自分のことは棚に上げて、こちらの心配ばかりする。
夏に顔を見せたときの「あんたは変わらないねえ」と言っていた表情を思い出した。
しばらくしたら、変わらない顔を見せに行こう。
それしかできないことは解りきっている。

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