二次元半の人々

私の東京滞在中に時間を割いてくれたのは、日曜に集まってくれた4人だけではなかった。
月曜の晩に1人、火曜のお昼にも1人、お店の予約までとって出迎えてくれた「弟子」がいる。


この「弟子」というのが私には(私にも?)いまいちよく分からないのだが。
ついったー界隈には何故か4人ほど、私を「師匠」と呼ぶ同業仲間がいるのだ。
呼ぶと言っても普段から二人称が「師匠」だったりするわけではない。
ふとしたときに出てくる愛称のようなものだということは分かっているのだが。
全員が全員、私より年上で業歴も長い人ばかり。
私のごとき若輩者に何を学ぶのかと尋ねると、不思議と全員が「人生」と返してきた。
(私の把握する限り、4人全員が顔を合わせたことはない)
かなり大げさに聞こえるのだが、言葉にするとそうなってしまうということなのだろうか。
実際にお会いして話をする機会があっても、学ぶことがあるのは私の方なのだが。


言いたいことを一方的に押しつけて満足、という人もいない。
心から敬愛するに値する先輩方が、何故か私を「師匠」と呼ぶ不思議。
皆さんに共通しているのは、日々せいぜい100文字の「つぶやき」を深く読み込んでいること。
人を不快にさせる「つぶやき」をしていないこと。
滅多に顔を合わせなくても(初対面でさえ)全くそうは感じさせないこと。
いつまで話していてもお互い(少なくともこちらは)飽きないこと。
何の話をしていても筋が通っていること。それでいて自ら前には出ないでいること。
建設的な言葉をかけてくれること。
そして、敬意を持って接してくれること。


反射的な同情ではない共感というものを教えてくれた人々。
普段は画面の向こう、二次元のような存在だが、実際に話をしても何らずれは感じない。
言葉をひさぐ存在としては正しくないのかもしれないが、語らずとも共有できている文脈がある。
探るような真似をしなくても、心が通じているのが解るのだ。
私から彼らに何を与えられているのかだけは解らず悩ましいところなのだが、
せめて前向きな力をくれた恩だけでも、いつかは倍返しにしたいと思っている。

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