「地上の楽園」蘇州観光、そして生還。心ここにあらず。

於:蘇州→上海
朝食でいきなり百元消費。昨日と似たような点心類で四倍はぼったくりぢゃ(怒)!
寝床は硬いわ浴室はしけったいわで、仕上げがこれとはよくできすぎている。
部屋に中・英・日のアンケート用紙があったので苦情を一筆したためてやった。
館内の案内には中国語しか使わないくせに、何でここにだけ慇懃な日本語がと思うと余計に癪だ。
しかし敢えて英語で書きなぐる。日本人だからって馬鹿にするなっちゅうねん。
八時半にロビーで待ち合わせと約束していた男性陣は二十分頃もう来ていた。
聞けば、近くのホテルに泊っていたという。しかも我々より待遇がよかったらしい(泣)。
ともあれ気を取り直して「天に天堂あり、地に蘇杭あり」と名高い蘇州観光に出発。
最初に訪ねたのは戦国時代の呉王にまつわる古跡・虎丘。大きな石がたくさんある。
しかも主立ったものには一つひとつに名前があり、ご丁寧に由来を綴った看板までついていた。
面積の大きい一枚岩には「千人石」、まっすぐな割れ目のある石には「試剣石」など。
そして丘の最上部には黄色い瓦で葺いた立派な塔がそびえているが、入場禁止だった。
止む無く塔のきれいに移りそうな場所で記念撮影。何故か「最適地点無料開放」の看板が…..。
群がってくる花売りの婆さんたちをよけつつタクシーを拾い、「寒山寺」へ。
花売りはここにもいた。ジャスミンのような芳香のある白い花を一輪いくらで売っているらしい。
師匠と顔を合せ一言、買ってつけてくれる人がいたらねぇぇ。
寒山寺は「寒山拾得図」があるので有名だが、それを覗くと何ということはない普通の寺院である。
壁や瓦が黄色いので日本のそれとは違う感じもするが、仏像を見るとやはり大差ない。
むしろ近くにあった「楓橋」から見下ろす長江の眺めの方が観光地らしいよさだった。
半分よどんだ江水の上を、けだるそうに船が渡っていく。
これがヤマハ原動機を搭載している船でなかったらもっとよかった気がする。
それから一行は蘇州を縦断し、ほぼ南端の古跡「磐門」に向かった。
ここも呉王の城跡だが、何故か界隈では骨董らしきものを売っている店が多い。
呉越春秋に関係ないものばかりが売られているのでやや辟易した。
しかし一つの楽しみ方ではあるので各人それぞれ一つずつ骨董まがいのものを購入。
全員が売値の半額まで値切らせることに成功。何なんだかな。
そう大した観光地点でもない磐門の近くに忽然とそびえる「新来登飯店」で昼食。
場所でまずびっくり、入ってみて更にびっくり。シェラトン蘇州なるものが存在していたとは!
男性陣が余りに値段を気にしているようなので多くは食べられなかった。
ここがあるなんて知ってたら泊まってたのに、と師匠がぽつり。怖い人だ。
中国四大名園の一つである「拙政園」についた頃には、もう帰りの時間が気になり出していた。
蓮池なり四阿なりを三十分はかけて見ていたのに、焦りがあるせいか今一つ物足りなかった。
こういう好きなところでぼ~っとしていられないのが団体行動の痛いところ。
駅前で記念写真を撮り、帰途に就く。切符はまたしても硬座のだった。
一時間ぐらい私はどうということでもないが、一人だけ離れてしまった師匠が気にかかる。
乗り合せた他の客と交渉して四人でまとまれるまでに三十分ほどかかり、
彼女には相当つらい思いをさせてしまったらしい。反省。
上海駅に着いた時には既に暗かった。帰りのタクシーを拾うのに難儀する。
駅前には降車場所はいくらでもあるのに乗車場所というものがどこにも見当らない。
お客を降ろしたばかりの車にもさっさと素通りされてしまう。何てことだ。
たいていホテルの前からは拾えるものだから、と最寄のホテルを訪ねてやっと成功。
ただ無事に帰るだけでも大変なものだ。生きていたことに感謝の念を禁じ得なかった。

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