誕生日の意義

先日、旧友の誕生日にメールしたとき思わず「もうめでたくないかな?」と書いてしまった。
「それもそうだね…」とアレなメールが返ってくる微妙なお年頃。


ふと思ったのだが、誕生日を迎えてめでたいのは本人ではなくその親ではなかろうか。
特に幼少時は他の年齢層と比べ生存率が低い。
物心がつく前の誕生日は、きっとそこまで育てた親を労う節目なのだ。
就学したころから自分の誕生日を認識し、待ちこがれるのはプレゼントをもらう口実だから。
満年齢が変わったところで法律上の地位が違う程度の影響なので、特に年を取りたい理由はなかった。
尤も、今では翻訳者という職業柄、若いより年かさな方が信頼は得やすそうだ、という事情はあるが。


さて「めでたくないかも」と感じてしまう年頃の誕生日は、誰をどう祝ったものか。
やはりここは、これまで育て、生活力をつけてくれた両親に感謝する日でいいのでは。
自分の力で生活しているようであっても、その基礎を与え、投資してくれた人あってこその今である。

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