いわゆる黒歴史の記憶

あの頃があって今があるので、決別するというつもりではないが。
ようやく人間として落ち着いてきたので、不毛だった時期のことを振り返ってみようと思う。


私は、物心ついた頃からずっと、高校に至るまでいじめられっ子だった。
今にして思えば、ひたすら仲間はずれにされるだけなんて甘いほうだったのだが。
「そんな程度の低い連中とレベルを合わせるな」と親に諭され、自分が悪いと思うほかなかった。
そんな連中にさえ下に見られる自分が情けなくて、身の置き場がなかった。
無論、当時は何度も自殺を考えるほどつらかった。
ただ幸い親戚や兄の友人達がかまってくれたので、帰宅すればさほど寂しくもなかった。
それでもひたすら、学校というものが孤独な戦場に思えて仕方なかった。


ぬるいいじめの被害が深刻に感じられるようになったのは、むしろ大学以降である。
大学生活では優しく気さくな人々に囲まれ、何も不自由するはずはなかった。
なかったのに、その皆さんとの付き合い方が分からなかったのだ。
幼少時から思春期にかけて身につけているべき社会性が、ごっそり欠落していると自覚した。
その瞬間が、いじめの当時よりずっと身につまされた。
いじめられている立場に甘んじて、自らを未熟なままで放置していた報い。
回りは大人ばかりなので、誰もそんなことで私を責めないが、自分で自分が許せなかった。
かといって、子供に戻って人間関係を学び直すことなどできはしない。
大学当時の自分にできることは、それでも相手にしてくれる人々を大事にすることだけだった。


周囲から嫌われている状態に何年も慣れてしまうとどうなるか。
そうでない環境に自分が放り込まれたとき、自分の立ち位置が全く分からないのだ。
当然のように挙動は落ち着きをなくし、おろおろくよくよとした嫌な空気を醸し出してしまう。
新卒で入った会社の同期に「自分を卑下しすぎる」と評価され、泣きそうになった。
分かっているけど直せないことを、第三者に指摘される痛み。
指摘してくれた彼に何の非もないことは分かっているので、逆恨みする気にはならなかった。
ただ、このどうしようもない自信のなさを背負って「社会人」でいる自分に当惑するばかりだった。


どうにか自分を許せるようになってきたのは、最初の会社を辞めて東京に出た頃。
外資系金融という職場がよかったのか、働きを正面から評価してくれる上司に恵まれて少しだけ自信が付いたのだ。
やるべきことをやっているのに萎縮する必要はない。やっとそう思えるようになってきた。
…これでやっと世間様の中卒レベルぐらいには到達しただろうか。

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