郷愁

知人が原風景の写真をブログで見せてくれた。
写真だけだったら「ふうん」と通り過ぎてしまったかもしれないが、そうさせない何かが本文にあった。
つまりは、原風景というのは、現実の風景と心象風景の重なった代物なのだな、と。


振り返って、自分の原風景はどこだろう、何だろうとしばし考える。
昼なお暗い防風林のような気はするし、延々と続く田んぼだった気もする。
でもその両方を否定してしまいたい気分があって、何だろうと思っていたら。
あの透明な哀しみと懐かしさを蘇らせる風景は、見えるものではないことに気づいた。
私にとってのそれは、金木犀の香りである。


小さい頃、私は「おばちゃんち」にいた。
朝晩はちゃんと両親の家にいたのだが、早寝早起きのせいかほとんどその記憶がない。
幼稚園から「帰る」場所は「おばちゃんち」であり、遊ぶ場所も必然とそこだった。
おやつをもらっているうち従姉の「おねえちゃん」が帰ってきて、ほとんどいつも遊んでくれた。
夕方になるとキバタンの「きいちゃん」が何度か呼び鳴きをして、父の車が来たことを知らせてくれた。
正直、その頃の「おばちゃんち」から自宅までの家路は暗すぎて何もおぼえていない。
その頃の「おばちゃんち」と自宅を結びつけていた感覚が、金木犀の香りだったのだと思う。
今いる家の近所にも金木犀の植えられた公園があり、その時期になると郷愁を感じる。
こちらでは秋晴れでも高く抜けるような空にはならないが、思い出すことはできる。
多分それが、私の原風景。

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