無理してみた

東京に出ている間、抱えていた仕事を処理する暇がなかった。
納品できるほど暇では仕方がないので、まあいいことなのだが。
水曜納期の案件を月曜と火曜で片付け、水曜と木曜は穴が開いたように呆然としていた。
恐らく、その案件が手元になかったら、もっとひどい喪失感に苛まれていただろうと思う。


先週納品分の続きだとかいう打診が入るも、割が合わない条件だったので断る。
原文単価1.5セントはあまりにも安く、到底やる気になれない。
(その件では結局「日給30ドル」になってしまった泣くに泣けない経験がある)
まあ海外案件を断ってもそのうち国内でいい条件が、と思っていたら今度は単価3円。
国内で3円もひどいし、まして「難易度が低い」アンケート回答だったのでこれも却下。
アンケート回答は個人的に心がすり切れるので負荷が高く感じるのだ。


武士は食わねど高楊枝、と言うが、さてどうしたものかと思っていたところに電話。
一時期いい関係にあった翻訳会社の営業からだ。
その会社には、すばらしいコーディネーターがいて懇意にしてくれていたのだが、独立してしまって今はいない。
その穴を埋める人材がいないのか、営業担当から打診があるというのはゆゆしき事態。
何がゆゆしいのかというと、調整役がいないことである。
ともあれ、案件自体には問題がないようなので、それまでのつきあいも考えて引き受けたのが木曜の午後5時半。


納期は22日水曜の朝、すなわち火曜日いっぱい。
分量は中国語原文約5万文字(原稿PDF102枚)あるのに、丸5日しかない。
しかも「土日でもいいので分納してくれ」という条件つき。
この時点で「やっぱりこの人は分かってないな」と軽い疲労感が漂い始めていた。


1日に1万文字の中国語を和訳する負荷がどれくらいのものか。
参考までに私の通常の処理能力を挙げておく。
公称5000文字、緊急時8000文字が1日の処理可能な分量である。
つまり、今回の案件は軽く能力の限界を超えている。
だが、だからこそ引き受ける気になった。
些か不遜ながら、恐らく他の同業者にはまずできないだろうという読みがあったからだ。
別にその営業さん、その翻訳会社が失注しても私個人が困るということはない。
うまく行けば貸しを作れるぐらいのものである。
厭な予感のドキドキと、限界に挑戦するワクワクが交錯した。
試みに「ちょっと色を付けてくださいよ」と言ったら通ったので、勢い受注確定。


舞い上がっていても仕方がないので、まずは原稿の整理に着手する。
例に倣って支給原稿はPDFだが、納品形式はWordが指定されている。
幸い、今回のPDFはOCR処理しなくても文字が拾えた。
拾った文字を空のWord文書に貼り付け、余分な改行を消す単純作業が約4時間。
半分ほど終わったあたりでWord原稿も支給されたが、あてにならないことは一瞥で分かった。
ヘッダーにあるべき文字列が紙面の中間になど、実用的にあり得ない。
要は営業さん、見る相手のことまで考えてくれていないのだ。
「念のためチェックをお願いします」と言われても、そんな報酬も時間ももらっていない。


単調な文の貼り付け作業だが、原文を何度も目に(頭に)入れるという意義はある。
訳出開始までに、一通り全文の概要を把握しておくことができるのだ。
化学分野ということで経験の有無やら何やら聞かれたが、事業計画書なのでそれどころではない。
人事、会計、立地条件、化学物質の特性、行政手続きと、ほぼ何でもあり状態。
つまり翻訳メモリが余り役に立たない。地味に一大事だ。
手を付けてみないとペース配分が分からないので訳出に取りかかり、約一晩。
飽きてはついったーに顔を出していたので、「夜勤」の人々に珍しがられるなどした。


作業の合間に洗濯や料理をするのは休憩がてら。
自分でも信じがたいぐらいの早さで訳出が終了した。
受注(の瞬間)から丸4日。
少し寝かせてからてにをは確認をするつもりなので、達成感はまだない。
空の目薬瓶だけが残った。

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