記憶の在処

気が向いたので、カシオトーンで少し遊んでいた。
電子ピアノにもシンセサイザーにもなれない、もっと手前の鍵盤楽器である。
ショパンの『ノクターン作品9の2』と『雨だれ』を弾いてみたのだが、やはり音楽にならなかった。
どちらも高校の頃は何とか弾けた曲目なのだが、今や全くのうろ覚え。
楽譜をめくれば見覚えがあるし、曲の音そのものは記憶にあるのに、弾けない。
61鍵しかないので上下いくつかの音はそもそも出せないが、それどころではなかった。
長音ペダルもないので、自分をごまかしながら弾くこともできない。
面白いことに、ついて行けないのは右手のほうだった。
しかも面倒な7連符やトリルなどではなく、単調な連打がうまくできない。
左手は存外まともにアルペジオを奏でることができた。


左右の手が別々に動いて一つの曲を演奏する、というのが面白いと感じるようになったのはごく最近。
実家に残しておいてくれたピアノが処分されてから何年になるだろう。
あったところで迎え入れる環境に住んでいないし、その目処も立たないので仕方ないのだが。
追想はともかく、弾けなくなっている原因は純粋な運動能力の問題ではないようだ。
まがりなりにも動けている左手がそう言っている気がする。
目的の旋律を奏でるためにどう動かすべきかの記憶が途切れているから、ではなかろうか。
恐らく記憶があるとしても文書情報などではなく感覚的なものなのだが。
「手が覚えている」といった類の何かだ。
その感覚を取り戻せたら何か面白いことがありそうな気がする。

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