卒業

気に入っていたスカートを捨てることにした。
背面が総ゴムシャーリング、正面でボタン留めという着脱のしやすいフレアスカート。
水色のブロード地に白い梯子レースが入ったデザインも好きだった。
それでも、着られなくなったら手放すのが筋だろう。
着古しているので、リサイクルショップやオークションに回せる状態でもない。
ありがとうと声をかけて畳み、袋に詰めて捨てるつもりだ。
お気に入りとの別れであるが、悲しくはない。
緩くなって穿けなくなったのだ。
上述の仕様なので、前~横の身頃を裁ち直さないと細身に修正できそうもない。
そこまでするほど技量もないし、執着もないので、卒業することにした。
そこへ届いたセシールの最新版カタログ。
ざっと目を通したが、ここにお世話になることも当分なかろうと思う。
サイズの豊富さと価格で重宝していたのだが、今はどちらもよそで間に合うのだ。


客観的には些細なことかもしれないが、私にとってこの卒業の意味は大きい。
ようやく体型コンプレックスから片足は抜け出せたのだ。


私は物心ついた頃からころんころんに太っており、服の選択肢が皆無だった。
年の離れた従姉がしゃれたお下がりをくれていたので、みすぼらしくはならなかったが。
子供の頃から子供服にはあまり縁がなかった。
今から思えば、そのせいでやたら年上に見られていたのかもしれない。
その勢いのまま育ってしまい、高校の頃にはBMI30ほどの化け物になっていた。
通学は制服なのでどうということもなかったが、当然オーダー品でないと無理。
私服に至っては半分ぐらい男物を着るしかなかった。


大学進学で大阪に出てから、都会の恩恵で多少は「サイズ物」の選択肢にありついた。
しかし「サイズ物」は当時まだ「ミセス物」が主流で、やはり老け込むものばかり。
「人は見た目ではないから」という気休めに甘え、身を包めればよしという価値観だった。
そんな価値観(中身)では「見た目ではない」どころでないことも分からず。
一番いいはずの時期を、そんなこんなで無為に過ごしてしまった。
痩せる努力を怠っていたわけではない。
色々なものを試してはみたのだが、どれも決定的な効果が出なかっただけのことだ。


見た目にどれだけ妥協しても買わざるを得ない肌着の供給源がセシールだった。
スーパーの店頭では見かけないサイズのものでも、通販なら手に入る。
しばらく使っているうち、「普通の服」でも着られそうなサイズが揃っていることに気づいた。
斯くして第一段階の脱皮を果たしたのが大学卒業前後。
それから十数年、かなりお世話になった。
体型そのものも化け物から人間に近づいてきたので、どうにか街を歩ける格好に。
通勤のために最低限必要なものは揃えられたので、清潔感ぐらいは出せるようになった。
無難なものが見つかって安心してしまい、気づけば箪笥には同じような服ばかり。
勤めていたころは、それでもよかった。


自由業者として独立してから、全く別の事情に気づく。
日常の買い物をする程度しか家を出る必要がないと、やはり身を飾り立てる需要はない。
それが昨年来、人と会ってみようと思い始めてから困ってしまった。
採用面談やら商談やらに臨む服ならあっても、お友達と遊びに行く服がなかったのだ。
試行錯誤で買い足して行くうち、着替えそのものに気分転換効果があることに気づいた。
そうなると、「仕事(での外出)向き」「遊び向き」両方を揃えてみたくなる。


そこに面白い偶然が二つ重なった。
個人輸入で遊べるようになったことと、自分に合うトレーニング法が見つかったこと。
内外の両面から自分を変えていける気がしてきた。
たかが身なりのことで大げさかも知れないが、考える気になっただけでも進歩なのだ。
…と言ったところで理解できるのは母ぐらいのものだろうが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です