宅配便がいわき市内各家庭への配達を復活させて最初に私が送った物は飲料水だった。
ウォーターサーバー用の12Lボトル2本組という、戸口でなければ受け取りたくない代物。
その水を母がいかに喜んで飲んでいたかを、父がさも楽しそうに再現して見せてくれた。
まあ喜ばれる贈り物ができたようで、少し安心。
4月、いわきの人々は震度6の余震とやらで2度目の断水に見舞われた。
幸い2度目は復旧が早く数日で済んだのだが、さぞや心細かったことだろう。
まして水道水の安全性も騒がれ出していたので、遅ればせながら水を送った次第。
実家は高台にあるせいか、元々ラジオがあまりよく入らない。
停電の復旧が早かったこともあり、主な情報源はテレビだったそうだ。
しかしライフラインや援助物資などの広報は「詳しくはwebで」扱いのものが多かったとのこと。
ADSLが復旧したのは4月に入ってからだったので、えもいわれぬ不安があったらしい。
市のホームページ広報内容に目だった更新があれば、私が印刷してFAXで送ることにした。
そうして知った近所の給水所に20Lのポリ缶を2本も携えて行ったところ、断られたとか。
急に断水だ給水所だと言われても用意がなくペットボトル持参の人も多かったという。
「そんなにたくさん汲むのなら浄水場へ行ってください」
おとなしく平浄水場へ行ってはみたものの、駐車場はないわ行列は長いわの騒ぎ。
おまけに浄水場周辺で断層が露出したり地滑りが起きたりで足元も不安定だったという。
夫婦交代で並ぶこと実に6時間、最初の給水にありついたのだそうだ。
向かいの奥さんから菱川町公園のほうが混雑していないと聞き、翌日からそちらへ。
最初の40Lを伯母宅へ届け、その帰りに自分たちの分を汲んだ。
私がさんざん世話になった伯母夫妻は高齢の上に車を持っていないからだ。
両親とて還暦を過ぎてはいるが、まだ車があるだけいいと水を運び続けた由。
物流麻痺でガソリンが尽きていく中、水は車でないと汲みに行けない日々が続いた。
上水道が復旧しても、蛇口をひねれば飲み水が出るとは信じがたいようだ。
元から大型ペットボトルに浄水用セラミックボールを入れて簡易浄水する習慣はあったが、
加えて放射性ヨウ素の半減期を待つことにしているのだとか。
数日で水が傷むほど暑くなる地域ではないが、カルキ分を抜いてしまうので心配ではある。