夢と仕事と当たり前の毎日

商店街を歩いていたら、死んだ魚のような目をした女の子とぶつかりそうになった。
こちらの前方不注意ではなく、その子がふらふらと寄ってきたのだ。
目を合わせるでもなくそらすでもなく、彼女は小さなチラシを渡そうとした。
美容室某ですと言っていたようだが聞き取れず。
一つの商店街で三度ほど同じ目に遭った。
固まって存在している訳ではないが、美容室がたくさんある通りなのだ。
競争ってそういうことか、と少し遠く思った。
振り返ってみれば、あのチラシ配りはきっとみんな美容師だ。
小ぎれいな身なりに瀟洒な髪型で、しかし生気なく街角に立っていた。
暑い中たいした人通りもないので、気力が萎えるのも無理はない。
ただ、彼らに会ったからといってその店に入ろうと思えるか?
むしろ印象を落としているのではと他人事ながら気になった。


手に職があっても、腕に自信があっても、お客が来なければ始まらない。
それはサービス業であればほぼ共通だろう。
ではどうやってお客(→仕事)を呼び込んだものかというと。
まずは見込み客に存在を認知してもらうこと、だから彼らは街頭に立つのだろう。
呼び込みの仕事は不本意だと顔に書いたままでも。


私は街頭で呼び込みをしても仕方がないので、就職活動まがいのことをする。
フリーランス翻訳者の求人があれば応募して、履歴書と職務経歴書を送るまでだ。
すぐに話が進む場合もあれば、立ち消えてしまうこともある。
忘れた頃にお声が掛かることも珍しくはない。
いきなり仕事をくれる会社、テストを送ってくる会社、白紙で見積もりを要求する会社。
その相手をする時、ちゃんと生きている顔をしていたい。
伝えるべきことを伝えて、立てるべきところは立てて、自分はこうなのだと示したい。


まがりなりにも一つの夢が叶って、この仕事をしているのだ。
どれほど夢を見ようと追いかけようと、自分が生きるのは現実にすぎない。
だからこそ、真面目にやる意義があるし、それなりの手応えもある。
初心を忘れるなとは言うが、そういうことか。


初心なるものに言及したのは単なる偶然だったが。
個人として初めて翻訳の仕事を請け負ってから丸8年になる。
それから4年は副業ぐらいにしかなっていなかった。
仕事量が半端なため決心が付かず、勤めを辞められなかったということもある。
また、拾い手があるうちは拾ってもらおうかという甘えもあった。
それが甘えだったと気づいたのはごく最近のことだが。
仮に戻りたくても戻れないのだが、流石にもう勤め人に戻る気はしない。
繁閑の波もあれば浮沈も大きい自由業ではあるが、どうにか乗り切れる気がしてきた。
親元と上場企業での安定を捨てて、自分を養いながら通学すること2年あまり。
収入上は本業だった非正規雇用の数々。
当時してきた仕事たちも、実は何かと翻訳の肥やしになっている。
一つの専門分野があって貫いてきた訳ではないので、職務経歴書は決して美しくはない。
それでも、それまでがあっての自分なのだから。
翻訳会社の登録審査を落とされずに済む程度でもあるし、卑下するにはあたらないのだろう。
過去に拘泥したくはないが、足元を見据えて歩きたい。変な方向に戻らないように。
これまで関わってきた全ての人々と仕事に感謝して。

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