互換性と流用

数十枚の原稿ファイルと数百枚の資料へのリンクが渡された。
曰く、リンク先の資料がかなりそのまま使えるので流用するようにとのこと。
どの部分がどれだけ使えるのかという情報はない。
一から訳せと言われても探し出したであろう資料なので、そこから先を探すのは何でもない。
気に掛かるのは、文言をそのまま流用するようにとの指示だ。


原稿は、とある国際規格に対応した中国国内規格。
その国際規格は英語で作成されているが、日本語版「仮訳」が出回っている。
参照/流用するよう指示された資料はその「仮訳」だ。
用語や言い回しの統一のために便利だろうというのは頷ける。
特に複数の翻訳者が絡む案件の場合は統一性が優先されてもおかしくない。
しかし、今回は一本の規格を全て私だけで担当している。
言い回しなどが揺れる心配はあまりしないでいただきたかったところだ。


本件の実作業としては、
1)原稿の内容と合致する文言を資料から探し出し、訳文に流用する。
2)中国ならではの内容などで資料から流用できない箇所は一から訳出する。
3)自分で訳出した箇所の用語や言い回しを流用した文言に合わせる。
となる。
ただし文書の構成上、作業順は2)→1)→3)とせざるを得なかった。
また、規格文書の序文などは他の規格と大差ないので自分の過去訳が使える。
実際に訳出した箇所は分量にして全体の2割もなかった。
やり甲斐としてはたったの2割弱だが、3)の手間には充分すぎる量だったとも思う。


本件の翻訳会社が出回っている文書の流用を是とするのには一応の理由がある。
見慣れた文体のほうが読者は安心できる、というものだ。
意味以外のところで引っかからず読めるようにするには、既存の文を使うのが早道だと。
「それを分かって呑んでくれる人って少ないんですよ」と社長に言われた。
それはそうだろう。
正直、心が痛む。
誤解なく通りの良い文を目指して自ら訳出してきた箇所を、
他人の足跡に合わせてほぼ機械的に「修正」する作業が続くのだ。
そこに善悪の判断は挟まない。
発注者からの指示であり注文なのだから。
流用箇所で変更を加えたのは、ほんの「てにをは」程度。
用字の揺れもいくつか見つけたが、敢えてそのまま適用した。
そうしておいたほうが後工程には都合がよかろう。


反面、この手法でもたらされた富もある。
気持ち悪いほどの生産性だ。
一から訳出したら丸三日はかかりそうな分量が、一日弱で終わってしまった。
ただ、この生産性が常時あると期待されても困るので、まだ納品はしていない。

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