テレビ番組の題名に「どや顔」が出たと思ったら、今度は雑誌の見出しに「どや服」だとか。
この用法(どや+名刺)を肯定的に使う人達の気が知れない。
響きが下品だと感じるのは私だけなのだろうか。
「どや顔」は、テレビ朝日の定義?によると「古くはしたり顔、得意顔」だそうだが、より強く悪意を感じる。
悪意というより、その顔をしている人を冷たく見下す第三者の視線と言うべきか。
愛着のある(ことに目下の)誰かを形容するならまだしも、いたく失礼な気がしてならない。
「バカって言う人のほうがバカなんだからね」とかいう格言もあり、自身が上品だとも思えないが。
とは言え、何事に対しても「秘するが華」なのだろうか?
ことを荒立てず意識しないようなどこかにしまっておける人は、恐らく上品な人だろう。
意識して飲み込める人も、上品に映るに違いない。
いかなる修養を積んでそうした振る舞いができるようになっているのか、想像も付かないが。
こうして詮索すること自体が、既に、…かもしれない。
それでも言うべきことは言いたいし、外界にある程度の関心を払っていたい。
言わずにおくべきことは、もう少し意識して慎む必要がありそうだが。
こんな私でも、見る人が見ればよくよく言葉を選んでいるらしい。
本人はほぼ無自覚なのだが、近年よく指摘されている。
それが透けて見えている時点で厭味に映らなければと願うばかりだ。