現地価格

通うというほど頻繁ではないが、肩が凝った時は決まった推拿(整体)に行っている。
大阪市内にあるお店で、効果を感じやすく割安な料金なので頼りになる。


やや久しぶりに行ってみると、おしゃべりな先生に当たった。
「10分1000円なんて東京価格で大阪に出店してやっていけるんですかねぇ」
某チェーン店の話でおもむろにそう言われ、はたと相場の違いに気づく。
大阪では1時間3000円ぐらいのマッサージ店が多いのだ。
「何で東京の人って倍も払うんでしょうか」
考えたら肩が凝ってしまいそうな設問に笑いが漏れる。
利用者からすると、安いところがないから致し方なく払っているだけのはずだ。
しかし、だからと言って東京で半額のマッサージ店があったら入るかと問われると悩む。
有意に安いと訳ありのように思えてしまって足が遠のくのかもしれない。


こう考えると、相場というものは恐ろしい。
既に相場が形成されてしまっていると、そのものが価格判断の基準になるからだ。
3000円の価値を認めるから、ではなく、相場で3000円だから払う、ということ。
何故その相場が3000円なのかを支払う側がいちいち意識することはあるのだろうか。
恐らく、滅多にないはずだ。
上場されている有価証券ならまだしも、企業向けの商売は相場が見えない(はずだ)。
相場=基準が3000円だから、相対的に条件が厳しければ5000円くれという話になる。
例えば実務翻訳というサービス業で、翻訳者の側から相場が動かせるものだろうか?
どうも同業者の話を聞けば聞くほど、相場は一方的に下げられているようだ。
個々人の防衛手段としては、相場より相対的に高い案件を請けようということになる。
相対的に高い案件を誰もが請けることは論理的に無理だ。
全員が足並みを揃えて安すぎる案件を断るような行動がないと上げ潮にはならないのでは。
しかしそういった取り組みの話は寡聞にして知らない。
逆に、いつからかあった相場を当然のものとして頼り切ってしまい、
「日本だから」「日本語だから」「お客が日本企業だから」の上にあぐらをかいているだけか。
考えていたらやはり肩が凝る気がする。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です