読みづらい原稿を支給されたときに追加費用の請求ありやなしや、という話があった。
個人的には「読める」「読めない」の判断しかせず、「読みづらい」は考えていない。
つらくても判読可能であれば読み取って訳す。
判読不能であればその旨を書き添えて翻訳依頼を断る。
それ以上のコストを判断にかけたくないからだ。
また、中国語のせいもあり支給原稿が画像PDFのことも多い。
当然OCRするなり読み取って入力するなりしないと中国語文字列は得られない。
しかし、その文字列化作業に対する代金を請求するかとの問いには驚いた。
(誤読かもしれないし、そうであってくれたほうが「みんなしあわせ」だろう話だが)
提供価値と無関係な作業費用に対する代金を請求してもいいものかと感じたのだ。
依頼元が求めているのは、翻訳文である。
その翻訳文とやらが何を指すものかの解釈が人によって違うのだろう。
翻訳者の作業をブラックボックスとして捉えるか、条件を揃えて契約するかでも違う。
前者の考え方では、「原文を渡して訳文が返ってくること」のみが条件となる。
途中でOCRをかまそうがTradosを使おうが依頼者の知ったことではない。
求める様式の訳文さえ上がってくれば、途中経過も手間も価値に関係ないはずだ。
後者の場合、他の指定するファイル類が使えないと取引が成立しない。
そのためにかかる手間であれば請求する所以もあるというもの。
気にかかるのは作業の序盤に入るそうしたものではなく、図や書式の反映のほうだ。
原文に図が入っている場合の扱いが取引先や案件によってまちまちなのだ。
基本契約書に「当社の案件はこの様式で」と指定されていれば検討の余地はない。
それこそ対応して引き受けるか丸ごと断るかの二択である。
問題になるのは「今回は」図や書式設定を盛り込んでくれという場合。
単発の条件提示、極端に言えば仕様変更である。
指示を呑んで追加請求しない、呑むが追加請求する、断る、交渉する、の四択か。
あいにく最初の選択肢しかとったことはない。
交渉材料になるなどと知らぬ若い頃にそのまま引き受けてしまった「実績」がある。
それを今更どうこう言って、取引先の心証を悪化させるのが怖いからだ。
付加価値が増すから料金も、と言うならともかく、その逆方向に見えやしまいか。
そのあたりをさらっとこなせる人のほうが自由業には向いているものか、とため息。