農家に押しかけて過ごした一週間も終わり。
学んだことは多いが、一番の収穫はお二人の話を聞けたことだった気がする。
ご主人は物静かで理知的な人、奥さんは褒め上手で太陽のような人。
農業や自然との向き合い方も参考になったが、就農の経緯がかなり面白かった。
厳密には違うのだが、いわゆる脱サラなのだ。
田舎暮らしへの憧れが昂じて野菜農家になってしまったご主人と、彼を支える奥さん。
ご夫妻は東京で暮らしていたのだが、奥さんには田舎願望が全くなかったそうだ。
ただ、就農準備講座やらログハウスの下見やら、着々と布石を打つ姿に動かされ、
「人生は一度きりでしょ?」で信州にやってきた。
どうせなら新しい暮らしを楽しもうと思い切ったという。
当地独特の人付き合いもろもろはご主人が担当。
営農組合やら青年部やら、色々な「役員」を背負わされても嫌がらず顔を出すそうだ。
話を伝え聞いているだけでも、自分たちには無理そうな気がする。
よほど野菜作りが好きでなければ続かないだろうし、相当の覚悟も必要なはずだ。
作物の世話が始まると、ご主人は観光やら外出やらに興味を示さなくなるらしい。
せっかく花が咲いても、鳥が歌っても、それが日常だと言えばそんなものなのだろう。
ただ、作業の合間に外でおにぎりを食べたりお茶を飲んだりが「贅沢」。
すごいなあ、いいなあ、できそうにないなあ、などと言っていたら笑い飛ばされた。
「でも手に職ちゃんと持ってるのだってすごいじゃない」
何もできない若造の我々にもちゃんと敬意を払ってくれる。
好きでなければできないし、不条理な目に遭うこともあるのは自営であれば同じこと。
それでも農業が大変だろうなと思うのは、やはり人間の力が及ばない自然現象だ。
どれだけ丹念に手入れをしていても、一定以上の荒天に遭えばだめになってしまう。
それでも農協(流通)は規格や規定を押し通してくる。
産業なのだから致し方ない側面はあろうが、誰のためなのと思うものも多い。
唯々諾々と規格どおりの野菜を出荷し、残りは自家消費なのだそうだ。
「こういうこと(自家消費)を考えると、自分が好きな野菜しか作れないよねえ」
植えたままの野菜は生き続けるが、収穫してしまうと傷み始める。
あの手この手の料理法や保存法を調べたり試したりして、あるものとつきあう毎日。
それでいて暗さは微塵も見せない。
好きを超える何がそこにあるのかまで知ることはできなかった。