編集が肝

日中訳講座の2回目は、前回の宿題に対する模範解答と個々人の添削だった。
私の答案は褒められこそしなかったが、修正の入らない部分もあり少しだけ安心。
やはり中国系の受講生のほうが中国語訳は上手い。
とは言え合否判定などではないので一喜一憂するまでもなく感心して話を聞いた。


原稿作者と読者は背景文化を異にする。
当然ではあるが、意識しないと訳文が文字変換になりかねない。
作者が言及していない暗黙の了解事項に、文化由来のお約束がないか点検が必要。
読者が普通にそちらの文化で生活していたら知り得ない事項が含まれていないか。
あれば原文に直接の記載がなくとも訳出する。
こうした作業が今日の講義では「編集」として紹介された。
話の軸→つながり→流れを把握し、図式化して整理する訓練が有効とのこと。
軸に沿って主体と客体を表に書き出すと、主語の入れ替わりに罠を見いだせる効果も。
日本語だから通る語順、許される飛躍というのもある。
無生物主語の場合、動作主体を発掘したほうが中国語らしくなる。
ただし、そもそも何故その箇所が受動態だったのかを汲み取らねばならない。
本筋は元より、休憩(のはずの)時間に先生が漏らした言葉が重かった。

翻訳会社が介在すると訳介(完全に読者側に立った訳)はできない。
この流れでは翻訳会社が客先のほうを向かざるを得ないからだ。
得てして客先(依頼主)は原文の読者ではない。
そうなると、(末端の)翻訳者ができるのは対訳の作成と正誤の確認ぐらいだ。
翻訳会社で校閲(原文原稿なしで訳文を直す)を重ねてやっと納品となる。
訳介は早晩なくなっていく。
語学力の優れた人があまりにも増えてきたので、訳すだけのプロは必要性が減る。
日中訳は日本事情に明るい中国人が書き起こした中国語文書に取って代わられる。
(社内文書は社内の人間が書くに限る)
そのほうがどうしても情報量もあり、よく伝わるからだ。
需要が残り続けるのは編訳(原文作者と読者との間に立つ訳)、学術分野。
今から学ぶなら実用的に身につけるべきは編訳。
単純な対訳でもない。

この「単純な対訳」に説明はなかったが、安価なサービスに淘汰されるのだろうか。
自動翻訳、ソーシャル翻訳などにこの果実は狙われていそうだ。
たとえその当事者達にその心づもりはなくとも。
編集力のみが活路ではなかろうが、腕の磨き甲斐がある技能とは言える。

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