出版翻訳講座の中日2回目。
後半になってようやく出版ならではの話題に入った。
実用書の和訳というお題で、書名などの固有名詞と成語や漢文の扱い方。
成語が日本で言う「故事成語」とも限らないし、韻文もまた「漢文」とは限らない。
ここで、どこまで意訳していいのか、を判断する基準の一つが紹介された。
「高卒程度の日本人が知っている(と期待できる人名など)か」
もっと言うと、高校の教科書に見られるものかどうかで注釈の要否が決まる。
杜甫、李白、白居易などの韻文であれば「漢詩」として扱っても無難。
文脈によっては(読み下し文を提示すれば)訳出の必要さえない。
ただし、引用先の原稿で彼らの名前に言及がなくとも、添えておくこと。
言葉そのものでなく、「箔」や「有り難み」を訳したことになる。
逆に、中国(語圏)では普通に使われている成語はそのまま持ち出さないほうが無難。
意味を訳出するなり、対応する日本由来の慣用句を充てるなりしたほうが通りがいい。
場合によっては全く無視する。
言葉を置き換えて満足するのではなく、そこにある意味と機能を反芻するのだ。
一文としてはあるべき語句でも、前後の文と並べたとき余剰になっていないか。
そこに論旨の重点は置かれているか。
訳文だけを見たときそこに違和感がないか。
「機能はあるが意味はない」表現も中国語には多いので、見直すときに注意する。
類義語を二重三重とたたみかけた表現は直訳するとどうしてもくどい。
くどいほどの華美さがあちらでは礼儀なのだ。
翻って日本語では、「控えめに」「無難に」「さり気なく」がそれとなく尊ばれる。
そこを考えるのが仕事の力点のようだ。