塩梅

出版翻訳講座最終日。
前期と違って皆勤できなかったので少し気はとがめたものの講評を頂いてきた。


やや厳しめに感じる中訳の先生からは「筋はできている」。
原文(日本語)に引きずられる節があるのと訳文の冗長さに注意とのことだった。
前期の講評と比べてしばし唸る。
前者は目立った改善なし、後者は悪化ということだろうか。
「前後関係をきちんとふまえた上でお約束どおりの中国語が書けている」
と併せても、さして成長は感じない。
日本語に引きずられないためのコツはちょうど今回も出てきた。

・日本語の所謂「熟語」、複合語を構成要素に分解して捉え直すこと
・文章全体を見渡して事象を時系列に並べ直すこと(原文の段落は超越)
・日本語は非対称、中国語は対称を尊ぶ

どれも頭では分かる(つもりになってしまう)が、いざとなると非常に勇気が要る
それだけアタマが固い、経験が足りないということなのかもしれない。
「冗長さ」の所以には思い当たる節がある。
舌足らずな日本語をいかに補って中国語に持っていくか意識していた結果だろう。
ここまでで必要十分という線を越えてしまえばすなわち冗長さにつながる。
あるいは「冗長さの排除」を意識して見直せば最終的な洗練は可能かもしれない。
過度に悲観せず、まずは向き合ってみることにする。
一方の和訳はと言うと。
「考えすぎと単純思考のバランスがいい塩梅になった」との嬉しい評価。
掴んだものを整理して他人様に説明できる域にはないが、見えてきたものはある。
中訳との差を考えてみると、場数がものを言ったのだろう。
実務案件は圧倒的に和訳ばかりなので、和訳のコツは随時投入の機会に恵まれた。
この半年で「読みやすさ」の意識は徐々に養えてきた気がする。
自分の中訳に欠けているのも、言わば塩梅。
「やればやるほどできる気がしない」と感想を漏らすと「高原反応だ」と笑われた。
ある高みに達したときの停滞感を示す言葉らしい。
「まあ進歩の証拠ですよ」とのこと。
まだ上があるのは分かっているのだから、そこで歩みを止めるなということか。

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