選ばないしか選べない

近年ユーザーエクスペリエンスなる言葉が随所に踊っている。
広義には「その製品/サービスの利用者が感じる/味わうこと」だろう。
提供する側が示した何かではなく、結果としてどう思われているか。
そしてそれは、非常に残念ながら、提供者の努力だけでは決められない。


いち利用者として、セミナーや講演は学びの場だと思っていた。
興味のある話題に飛びついて、講師の話をひととおり聞いて、疑問があれば尋ねる。
他の受講者がする質問の切り口に驚いたりもするが。
これまでの経験上、それもたいていは講義内容の枠に収まるものだった。
が、一部催事に関しては過去になった。
話を聞きたくて、ではなく、言いたくて参加する「受講者」が複数いた。
私の国語能力で捉える限り、講義内容に関係ない「質問」が相次いだ。
講師の所属先の商売、ぐらいにしか関連性が感じられないものだった。
傍から見れば闊達な質疑だったかもしれない。
笑いがこぼれて和やかな場に治まっていたのかもしれない。
そして利害上その質疑を支持する人が場の半数を超えていたかもしれない。
それでも、それはないだろう。
商談会ではないのだから。
その様子を称して誰かが「直訴」と表現していた。
そんな美しい健気なものか。
恐らく、こんな所感を持ち帰った自分が最も少数派なのであろう。
場にそぐわなかったことを深く反省する次第。
学びたかっただけなのに。
主催者も講師も、順当に考えて受講者を選ぶことはできない。
(選べたとして自分が外されていた可能性は否めないが)
居合わせる他人を選ぶ術はただ一つ、その場を離れること。
本末転倒だろうという葛藤は拭えないが、もうああいう場に出せる顔はない。

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