肉と魚

少しでも有用そうだと感じたセミナーや勉強会にはできるだけ顔を出してきた。
そうした場所で薦められた本、出会った本も読むようにしてきた。
…英文和訳の。


世の中で翻訳と言えば英日/日英が9割(市場構成比)なのだから当然と言えば当然。
勉強になることも勿論それなりにはあった。
この段階で止まっているのはむしろ自分の不勉強のせいかもしれない。
それでも畢竟、他言語だと強く思うようになってきてしまった。
耕す畑が違うぐらいの認識だったが、どうもそうではない。
英文和訳と中文和訳は肉料理と魚料理ほど違う。
自分の能力で探し出せる共通項は「和食を作る」ぐらいのものだ。
共通する基本事項もあれば、そっくりに仕上がる工程もある。
使う道具も傍から見れば区別がつかないかもしれない。
大枠で捉えれば同じ機能のものなのだろう。
ただ、その枠の大きさは「翻訳できるなら、英語ぺらぺらだよね?」規模である。
よく自嘲しているとおり、自分は英語が使えるなどと思っていない。
最低限の連絡はできているようだという程度。
「同業者」英語屋さん達に向ける顔などない。
貧乏学生の手料理をシェフに自慢する度胸は持ち合わせていないということ。
中国語翻訳そのものの業界事情もできる限り定期的に仕入れてはいる。
総じて「違うんです」「違うんです」「違うんです」。
中国語「も」扱う翻訳会社の人々にもう少しその「違い」が伝わればとは思う。
いいとか悪いとかではなく、違うということが。
それでも個人的な話し相手になってくださる方々は大事にしているつもりだ。

“肉と魚” への2件の返信

  1. 個人的には、異言語の同業者だと付き合いやすい、っていうイメージがあるんですよね。
    同言語に比べていろんな部分で腹の探り合いしないでもいいっていう。うまく言えませんが。
    学ぶ部分も多かったりもしますし。

  2. こちらから見ると皆さん異言語なのでその感覚は共有できていないような。腹の探り合いが成立しないのはご尤もですが、話が通じているのかすら不安を覚えることが増えてきました。

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