素直vsそのまま

専門性が低い文章は簡単だと紹介されることが多い。
渡す側は本気で簡単だと思っているようだが、むしろ訳出は難しいほうに感じる。
「簡単(気軽)に」書かれた文章ほど意図が取りにくいものもないからだ。


同一の客先から、作者も主旨もばらばらな「作文」の和訳依頼を頂くようになって4年。
最近になってようやく一連の事業の全体像がおぼろげながら見えてきた。
どうやら事業を回すほうも手探りで試行錯誤を続けているらしい。
活動ごとに中国側当事者の感想文を集め、目を通しているようだ。
客先のホームページなどで公表されていないということは、内部資料なのだろう。
いかんせん原文は公募作文というときもあるのだが。
いずれにせよ、何か注文や指示が追加されても対応できるよう、まずは素直に訳す。
内容をそのまま伝えようかと試みるのだが、たいてい途中で手が止まる。
日本語になったとして違和感なく読めるかというと疑わしいものが多いのだ。
例えば、自分がいかに苦労/努力しているかを強調する内容。
蛍雪の功、臥薪嘗胆、刻苦勉励の類だ。
生き生きと具体的な行動で描かれているほど違和感を覚えてしまう。
そういうものは表出しないのが日本の美学なのか、どうにも見ていて引っかかるのだ。
「日本版」なら、第三者が認めるという体裁で出されるのが普通だろうか。
感謝があまりにも即物的で抵抗を感じることも多い。
「これをくれました」「あれが無料でした」「もっとあったらもっとうれしい」
具体的に「リアルに」感動を伝えたいのかと解釈し直してはみるがしっくり来ない。
自分が感じる厭らしさを伝えずに訳出できているだろうか。
根本的な意図が中日友好であることだけは分かっている。
その前提で、文化が違うことを伝えつつ、無用な誤解を避ける仕事。
ただ書いてあるままを日本語に置き換えるだけなら、わざわざ発注しないだろう。
何しろ元から両国の交流に関心を寄せている人々が書き手。
ものによっては日本語が交えてあることさえもある。
公開文書でなければ読み手も(国際交流の)素人である心配は無用なのだろうが。

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