他人事

ネットでもテレビでも「よくそんなことが言えたものだ」と呆れることが増えてきた。
ほんの少し前までは遣る瀬ない怒りだったが、考えてみれば怒る道理もない。
畢竟、達観とは他人になりきることかと心得た。


何が腹立たしかったのかを考えてみると「人の気も知らないで」だ。
この「人」は傍から見ている読者/視聴者であるところの自分ではない。
傍観者が怒らないよう配慮せよ、などと誰も言われる筋はなかろう。
当事者だったら、当事者のことを思えば、言えるはずなかろうという妙な義憤なのだ。
何が妙なのかと言えば、その義憤自体が自分の不快感の元だからだ。
とある意見や感想が無責任だったとして、その責任を取るべき立場に自分はいない。
改善/是正するべく行動を起こす気もないのであれば、自分もまた無責任なのだ。
無責任の鏡に映る無責任な自分に腹を立てている。
つまり全くの怒り損。
そこまで冷ややかに自分を見下ろしてやっと落ち着けるのは未熟さ故かもしれない。
ただ、そこまで成熟できるのは寿命が尽きる頃で十分な気もする。
そもそも人様のほうが人格も優れ観察にも秀でているのかもしれない。
とはいえ冷静に状況を整理して助言を出せるのは他人事ならではのような気がする。
おのずと客観できる立場にいるからこそできる考え方も恐らくある。
苦しみの断片と思しき言葉を見聞きしただけで当意即妙な助言はできない。
不器用で了見も狭い自覚はあるが、故に言葉がかけられず黙っているときがある。
あると言うより、増えてきた。
もし心当たりがあれば、直接こちらに声を掛けていただけないだろうか。
こんな奴でも一部を片付けるぐらいの役には立てそうな気がするので。

“他人事” への2件の返信

  1. ちょっとここのところ個人的に色々とあってイライラしすぎてたんですが、このエントリ読んですーっと冷静になれた気が。感謝。

  2. 卿が普段から言われるとおり、所詮は他人、自分ではないんですよ。
    でも、だからこそ、見えるものも言えることもあるんです。
    愚痴がてらの相談も役に立つときはありますよ。

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