許されざる言動

よく見聞きする言葉に違和感を覚えて指摘しては「いちいち噛みつくな」と言われる。
発信元に是正を依頼するわけでもないのだから、ただの煩い愚痴なのだろう。
ただ、よくも悪くもごく親しい相手にしか漏らしてはいないはずだが。


他人様の発言や表現がおかしいと思うことはあっても、許せないことはまずない。
しかるべき表現を知らないだけかもしれないし、状況からして無理かもしれない。
まして公人の公的な発言機会でもなければ誰に責められる所以もないだろう。
それでも許されない言葉。
「うちの鳥が家出しました」
厳しい人には「迷子になりました」「逃げました」も許せないらしい。
飼い鳥が自発的に逃げる所以はないし、逃がさないのが飼い主の努めなる旨。
それはそうだろう、自分も逃がしてしまわないように注意してはいる。
かと言って上記のような発言をする人をそれゆえに責めようとは思わない。
第三者が逃がしてしまうこともあるし、それが飼い主の不在時ということもある。
それでも悪いのは飼い主なのか。
責めてその鳥ないし誰かが幸せになるのか。
それより、パニック状態のまま助けを求めてはいけないのか。
愛鳥が出ていってしまってどれだけ飼い主が動転しているかは計り知れない。
とるものもとりあえず「見かけませんでしたか」と言っているだけではないか。
つぶやく暇に自分で探せよとのたまう方々も少なくない。
本当にその時、冷静に探せるものだろうか。
そんなときの備えも想定もしておきたくはないが、厳しい人にはそれができるのか。
小鳥の体力を思うと探し出すには一刻を争う。
その厳然たる事実を前に、ちゃんとした人なら焦らないのか。
焦ってもまるで表に出さず、愛鳥を取り戻すまで言動を慎めるのか。
そうできる、できた人も数人はおいでなのだろう。
仮に自身がそうできたとしても、とっさに取り乱す人を責める気にはなれない。
いい子ぶりっ子のきれい事かもしれないが。
飼い主が愛鳥に対して責任を尽くす態度は敢えて表に出すまでもないのでは。
表に出さないからといって無責任とも限るまい。
そこのあたり、人間に厳しすぎる人が多くて最近は窮屈だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です